1-5 百合に挟まる野郎は死すべし

 みさきとしほの間には、様々な約束事がある。


 例えば、「むやみに暴力を振るってはならない」という約束。


 例えば、「レストランやカフェに行った時は、別々のものを注文して、互いに一口ずつ食べさせる」という約束。


 例えば、「爪は常に短く切って、丁寧にヤスリがけする」という約束。


 大抵は、みさきが逆らえないことを良いことに、しほが無理矢理策定したものばかりである。


 そのうちの一つに、「毎月、第二土曜日は、二人で一緒に家で映画を見る」というものがある。


 本日は、初夏の訪れを感じさせる、よく晴れた日である。


 みさきはその約束を果たすため、朝早くに家を出て、しほがひとり暮らしをしているマンションまでやってきた。


 そして今、みさきは、座椅子に身体を預けるしほの足の間で、血みどろのスプラッタ映画を見せられている。


「うげぇ」


 液晶の中で、人の頭が弾け飛び、血しぶきが舞った。みさきはそれを見て、悲鳴を漏らし、目をそらす。


「駄目。駄目よみさき。ちゃんと見て」


 しほは、背後からみさきの頬を掴み、ぷにぷにと弄んでから、顔を正面へと向けさせる。


「ふぁっふぇふうぉうぃっふぇ」


「ふふ。何言ってるのか、わからない」


 しほは、みさきの肩に顎を載せ、耳元でそう囁いた。みさきの身体が、ぴくりと震える。


 画面の中では、シーンが切り替わり、男女の安っぽいベッドシーンが展開されていた。


「ほら、見て、みさき。殺人鬼に追われている最中だというのに、裸を晒して、身体を絡ませあい始めたわよ」


「高校生にもなって、そんなシーンではしゃぐなよ」


「滑稽よね。銃口がすぐそばまで近づいているというのに、自ら無防備になるのよ」


「そうとは知らないんだから、しょうがないだろ」


「愛を確かめるときは、邪魔の入らない、落ち着いた空間でするべきだとは、思わない?」


 しほはそう言って、みさきの胸元に手を伸ばした。


 服の下へ、ぬるりと手を差し入れる。


「……待って。まだ、明るい」


「夜までなんて、待てないの」


「じゃあ、電気消してよ」


「やだ」


 しほが、みさきの耳を喰む。それは、合図。二人だけの時間の開始を告げるチャイム。


「やっ、待って。せめて、カーテンくらい、閉じさせて、」


 その時だった。


「ふふ」


 嘲るような、笑い声がした。


 みさきとしほの表情が、ぴたりと固まる。


 視線の移動。ベランダ。人影が、二つ。


 こちらを、興味深そうに眺めている者がいた。


「ああ、失敬。つい笑い声を漏らしてしまった。こちらのことは気にせず、そら、続けるといい」


 背の高い方が、こともなげにそう言った。


「ただ、滑稽だなと思っただけだ。吾輩たちの存在に気づかず、情事に耽ろうとしているその姿がな」


 ——殺。


 みさきの行動は迅速だった。


 右手に力を込めて床を押し、跳んだ。着地した左足は、ハイキックのための軸足へと役割を変える。


 柔らかな股関節を駆使して放たれる上段回し蹴りが、長身の首元を狙う。


 ——殺った、とみさきは思った。


 しかし、


「この状況で迷わず首を狙いに来るとはな。うむ。やはり、貴様には見どころがある。いい感じに、頭のネジが外れているな」


 しかし、みさきのハイキックは、いともたやすく受け止められた。


 そればかりか、握られた足をぐるんと回され、床に叩きつけられる。


「がッ!」


 細腕からは考えられない膂力だった。


 長身は、床に胸を打ったみさきの背中に、腰を落ち着け、足を組んだ。


「まぁ、落ち着け。吾輩たちは、争いに来たのではないのだ」


「てっ、めぇ! 今すぐこの汚ぇケツをどけろ! ぶっ殺すぞッ!」


 みさきはギリッと歯を食いしばり、全身の力を込め、立ち上がろうとする。しかし、ぴくりとも動かない。動けない。


 まるで、巨大な岩がのしかかっているかのような重みであった。


「……あなたたちは、何者?」


 しほが、顕になっている左目で、闖入者を睨む。


 ただの不審者ではないことくらい、彼女にはわかっていた。


 みさきは、成人男性程度ならば複数人相手でも無双できる力と技術を持っている。そんな彼女が手も足も出ない相手というのは、明らかに、常人の類ではない。


「話が早くて助かるな。お察しのとおり、吾輩たちは、ヒトの姿こそしているが、ヒトではない。貴様らと同じような情念を有しているが、そこまで複雑ではない」


 関節を無理矢理に駆動させて、爪を立てようとしたみさきの手を、長い脚が踏みつける。


「貴様らヒトの劣情から生まれ出たる化け物。性癖の権化。それが、吾輩たちの正体だ」


 長身はそこで、にんまりと笑った。


「——その名を、フェチズマーという」

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