file.17 晩酌

 ***


   

「お二人とも、長時間のお付き合いありがとうございました」

「構わない、それより体はどう?」

「まだ慣れませんが、すごく新鮮な気分です」


 未知の感覚に、期待を膨らませながら笑うワトソンに、いつもは死んだ目を貫くドクターだが、今回ばかりは少し笑みが漏れている。


「ワトたそー! 感情豊かなのかわいすぎー!」

「ありがとうございます、マイたそ」


 真音と笑いあうワトソンの姿は、人間との違いが全く分からないほど。


「ワトソン、しばらくは頻繁に定期メンテナンスを行わないといけないから、覚えておいてね」

「承知しましたマスター」

「皮膚や血液のメンテナンスもある」

「ありがとうございますドクター」


 人工の皮膚や血液などがしっかり定着するまではドクターが頻繁に点検を行いにこの事務所に赴いてくれるらしい。


「助かるよドクター、後で振り込んでおくね」

「その件だが、ワタシの依頼を無償で引き受けてくれるなら振込はいらない。面白いオペができたし」


 今回ワトソンのメンテナンスに携わった分の費用を聞き出そうとすると、予想外の返事が返ってきた。


「俺は全然構わないけど、珍しいね? ドクターが俺に依頼するなんて」

「今ちょうど困ってる」


 言うドクターは白衣を着崩し、着ているインナーを肩までずらす。


「ちょっとドクター!?」


 肩と鎖骨が露出すると同時に、ドクターは胸が小さくブラをしないことが露呈したが、俺は無闇に口を開かない。


「……あれ? その肩の傷どうしたの? 痛そうだね」

「依頼内容はこれが起因してる」


 ドクターの右肩は、鋭利な刃物で切り裂かれたような跡があり、それを縫った形跡も確認できる。


「最近患者が急に暴れることが増えてる」

「それは患者さんに?」

「うん、看護師庇ったら肩が裂けた」


 事情を詳しく聞くところ、暴れ出す患者は決まって人間の入院患者のみで、薬の服用時間の数時間後に暴れ出すようだ。


「幻覚剤や薬物に誰かがすり替えている可能性は?」

「その線も考えたけど、体内から検出されない。原因がわからないから、警察は機能しない」


 全くの原因不明。確かに、これじゃぁ警察は警戒性と言う名の待機しかできないね。


「そこで俺たちの出番ってわけね」

「頼まれてくれるか?」

「もちろんだよ」


 受けた恩は必ず返すし、何より俺は知り合いの頼みは断りたくないしね。


「ワトソン、病院の監視カメラで暴れた時の情報を全て洗い出してくれる?」

「すでに完了してます。十件見つかりました。回数に誤りはないでしょうかドクター」

「ああ、間違いない」


 ワトソンが犯行の瞬間を静止画にしたものを軽くチェックするが、ぱっと見では共通点が見当たらない。


 こんな特殊な状況が続くのは誰かが仕組んでいないと起きえないだろう。


「明日一度、病院へお邪魔するよ」

「分かった、院内を自由に回れるように手配しておく」


 事件解決のヒントは常に現場に存在する。

 現場へ行けばもしかすると共通点が見えてくるかも知れない。


「助かるよ」


 依頼はなるべく早く解決することを約束し、今日はもう寝ると言ってドクターは自宅へと帰っていった。


 泊まってけばいいのに。


「ワトソン、真音。明日俺は病院行くけど二人はどうする?」

「マスターは一人で事件を解決できないでしょう? 推理を人に語れないですし」

「ごもっとも」


 俺の調査は、一割の洞察力と九割のワトソンだ。間違いなく重要な情報は知りえない。万が一知り得ても伝える説明力を持ち合わせていない。


「アタシは掃除とか洗濯とか色々あるから事務所にいるね」

「任せっきりになっちゃうけど、よろしく頼むよ」

「しゅきぴのために働けるなら無限に動けるよ!」


 満面の笑みでサムズアップする真音は、正面から赤面してしまうような発言をする。言われ慣れてないから反応に困るね。


「とりあえず、明日。二人ともよろしくね」


 二人にそう伝え、今日という一日は終わりを迎えた――


「――明日に響きますよ」

「あれ? 寝たんじゃないの?」

「マスターがどうせ一人で事件の洗い出しをすると思ったので」


 時計の針が零を超えてから二時間。自室に行った二人を見送ってから事務所に戻った俺は、ワトソンが収集した監視カメラの映像を繰り返し確認し共通点を洗い出していた。


 やはり苦手とは言っていても、電子デバイスを頼らざるをえない状況は多い。全く……俺の気持ちもちょっとは考えて欲しいものだよ。あの頃と比べたら電子デバイス嫌いはマシになった方だけどね。


「まともな人間はもう寝る時間だよ」

「私はどうやらマスターに似てしまい、まともの枠にハマれないようになってしまったようです」

「はは、苦労するね。お互い」


 電子デバイスに移される監視カメラの映像を覗き込むように確認するワトソンは、「何かえたものはありますか?」と尋ねる。


「何もだね、全くわからない」

「そうですか、私も手伝いますよ。明日現場に行く前までに何か得ておきたいんでしょう?」


 見透かし、呆れるように笑うワトソン。


「さすがワトソン、俺の分かり手だね」

「映像を改めて解析してみますね」

「よろしく。でもその前にお腹空かない?」


 頭を使えば、なぜかお腹が空いてしまう。


「夜食作ってきます。少々お待ちを」


 キッチンへ素早く向かおうとするワトソンの腕をつかみ俺は、ニヤリと笑って見せる。


「ここは俺に任せてよ」

「……?」


 これは絶好のチャンスなのでは? ワトソンの初食事に立ち会えるぞ。


 るんるんで自宅のキッチンにて材料を探していると、後ろから気配を察知した。


「ツムたそ何してるの……? ふわぁ……」

「あれ? 起こしちゃった? ちょっと夜食を作ろうと思ってね」

「アタシが作ろうか?」


 こてんと首を傾げながら尋ねてくれるが、ここは俺がどうしても作りたい理由がある。


「気持ちだけ受け取っておくよ。ワトソンが初めて食べる料理は、俺の手作りを食べて欲しいって言う謎の親心があってね」


 野菜炒めの素と缶ビールを持って微笑みかけると、うずうずとしたような雰囲気で真音はニヨニヨとしている。


「真音も一緒に晩酌どう?」

「ううん! アタシは寝るー! 夜更かしはしない主義だからー」


 なぜかルンルンしているように見えたが、そう言うなら無理強いは良くないね。


 ザクザクと野菜を雑に切って、野菜炒めの素と大胆に絡めていく。


 野菜から出る水分や、野菜炒めの素がフライパンに熱され、ジュッと軽快なリズムを奏ている。


「こんなもんでしょ」


 普段あまり料理をしないとはいえど、これくらいは流石にできるようだ。焦げたらどうしようかヒヤヒヤだった。

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