file.15 ドクター訪問

 ***


   

「来た、さっさと済ませよう」

「朝早くにごめんよ。今からバックアップデータを作成するから、朝ごはんでも食べて待っていて」


 清々しい朝日が室内に差し込む早朝。

 事務所のドアから入ってきたドクターを、自宅まで案内する。


 すらっと長い手足に、女性らしからぬスマートなシルエットのこの人が、やさぐれた医師の伊集院栞。


 目が死んでいるものの、お腹は空いているのだろう。

 さっさと済ませたいと言っていたのに、もう席についてトーストと向き合っている。


「……探偵、結婚してたのか?」

「誤解しているね」

「奥さん候補の蘭堂真音です! お話は昨日聞いてますよドクターさん! 本日はどうぞよろしくお願いします!」


 カタっと紅茶が淹れられたカップをドクターの前に置く。


「そろそろ身を固める時期だもんな、いい子じゃないか。服も可愛い」

「説明しても理解しないやつだねこれ。とりあえずご飯食べといて」


 自宅スペースにドクターを放置して、俺は地下の整備室へと降りていく。


 全体的にコンピューターが点々と置かれ、色々な工具や資材も置かれているこの充実した空間で今、ワトソンのバックアップを取得する。


「ワトソン、準備はいいかい?」

「ええ、大丈夫です」


 普段は嫌煙している電子機器だが、ワトソンのメンテナンスの時だけはフル活用する。こう見えても開発室の人間だったからね。


「じゃあしばらくおやすみだね」

「おやすみなさい」


 首の後ろあたりにコードを刺してまずパソコンに接続する。

 そのままカタカタとキーボードを叩いてバックアップを丁寧に取得していく。


 バックアップが取得出来たことを、画面を見て確認したら、いよいよ本体の電源をオフにして、電力供給を断ち切った。


「よし、まずはチャチャっとやっちゃいますか」


 作業着のポケットから小さなドライバーを取り出し、細かなパーツを外していく。


「人間に寄せて作ったアンドロイドなのに、なぜどの型のアンドロイドも無駄なパーツが何個か付属しているんだろう」


 なんてことを思いながら、俺はスピード重視で作業を進めていく。


 元々アンドロイドを一から作成していたと言うこともあり、ここらの分解はとても容易くこなせてしまう。


 プログラミングも解体も改造も修理も出来る俺だからこそ、成せる凄技だと思っている。流石に自負しすぎ?


「パーツは幸い全部揃っている。つまり、後は俺の技術次第でワトソンはさらに人間へと近づく」


 本来なら法律で人工知能は人間の権利を尊重しなければいけないとあるため、アンドロイドを人間に近づけることは禁止されている。


 ただ、今の俺には木原という後ろ盾が存在している。

 これほど安心感のある味方はいないだろう。ただ、あまり迷惑をかけすぎてもあれだし、国に信号が送られないように慎重にワトソンのシンギュラリティ感知装置を撤去したいと思っている。


「……パーツがやはり多いね」


 シンギュラリティを知らせるパーツは、心臓部分に存在し、俺は胸部にドライバーを入れ込み、配線を剥き出しにする。


 たまに素人でもいじろうとする人が現れるため、それを防ぐ用途でダミーパーツなども多く採用されている。


 このパーツを丁寧に細分化しつつ対処しないと、面倒ごとになってしまう。

 何度もメンテナンスや開発を行なっているとは言えど、感知装置を撤去する作業は初の試みになってしまう。


 やはり初めて試すことは緊張する。


「落ち着け俺。この作業の後にまだ三工程くらい残っているんだぞ、気張れ」


 技術者にとって緊張がいちばんの強敵とも言える。

 緊張はいつも体を硬直させ、思考を狭くする。


 いつも通りのパフォーマンスが出来なくなるのはまずい。


 目を閉じ、鼻から息を十分に吸い込む。

 身体中に酸素が運ばれ、脳内が鮮明になるのを実感し、俺は再び撤去作業に取り掛かった。


   

 ***


   

「……あとは任せるよ」

「ようやく出番」


 時刻は夕方六時。

 作業を開始して約、十二時間が経過している。


 何度か休憩と、ドクターへの進捗連携、ドクターへの要望とすり合わせを行いながら、本体の改造とプログラムの改ざんは一通り終わらせた。


「準備はできてる、三時間欲しい」

「分かった、食事はどうする? あとで持っていこうか?」

「作業中は食べない主義、あとでもらう」


 言うと、ドクターは地下の整備室へと降りていった。


「お疲れ! ツムたそ!」

「ありがとう、やはり作業後の紅茶は格段に美味しいね」


 疲弊した脳みそに紅茶の芳醇な香りが広がり、少しリラックスできた状態で、チョコレートで脳の疲れを緩和させる。


 久しぶりにアンドロイド開発の技術を本格的に発揮したからか、いつも以上に疲れてしまった。


「スーツ姿もいいけど、作業着姿とかギャップ萌えすぎる!」

「はは……ありがと」


 作業時はスーツではなく、紺のつなぎを着用して行うのだが、その姿がどうやら真音の癖に刺さってしまったらしい。


 穴が開きそうなほど熱烈な視線で凝視してくる真音にツッコむ気力すら今の俺には残っていない。


「写真撮っていい!?」

「いいよ」


 真音は俺の隣に座り、インカメラで行う自撮りの画角に俺を器用に収める。

 控えめにピースしてニヒルに微笑むだけが今俺にできる最善。


 ドクターの作業が終わるまであと三時間、この間に俺は食事と入浴を済ませて、思考を一度リセットする。


 改造した本体とプログラム、それとワトソンの記憶データを一つにする作業がいちばん神経を使うからだ。


「――探偵、言われた作業は要望以上に完了させた」


 普段から濃いクマで死んだ目だが、疲れ目なのかいつも以上にガラの悪さが加速している。


「にしてもよくあんなぶっとんだ改造したね、普通に引くわ」

「これくらい出来ないといけない環境にいたからね元々」


 人よりはぶっ飛んでいる自覚はあるけど、改めて言われると改心したくなるね。


 まぁ今回した改造は自分でも引くほどぶっ飛んでいる。


 まずシンギュラリティに達しても知られないように、感知装置の撤去。

 その次に、シンギュラリティの到達を防ぐために搭載されている感情抑制装置の無効化。

 そして、人間を模倣したパーツで胃袋や消化器官を人工で導入。同時に排出器官も同時に導入。


 これで、理論的には人間と変わらず食事を摂ることが可能になった。

 しかしまだ人間とは程遠い鉄のボディを、ドクターの技術でカバーした。


「何はともあれ、人工の肉と皮は取り付けた。飯をもらう」

「ああ、お疲れ様」


 そう、鉄のボディでも、肉と皮で覆ってしまえばただのか弱い乙女の柔肌に変えることができる。


 ドクターの技術あってこそだけどね。


「ツムたそマジで!? そんなすごいことしたの!?」

「これ社外秘ね」

「うん!」


 バッと両手で口を覆い、言わないことを表現する真音は、キラキラと輝かせた目で言う。


「探偵って色々できるんだね!」

「一部の人だけね」


 普通はアンドロイドの開発できる探偵なんていないよ。いないよね? 俺のアイデンティティ奪わないでね。


「さぁ俺は最終仕上げをしてくるよ」

「頑張ってねツムたそ!」


 背中に真音の応援を背負いながら、この長時間のメンテナンス作業に終止符を打つ。


 改造した本体が作成したプログラム通りに動くかを試験し、不具合がないかをチェック。


「異常なし」

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