file.5 依頼完了
***
大きな建造物、周囲にはアナウンサーかタレントを出待ちする人がちらほらといるテレビ局前。
「よし、行くか」
「そこにいますね」
ワトソンが指さすところは、人の群れが出来ている。
あの渦の中に探しているさんまくんがいるのだろうか。
「少し失礼するよ、通してもらえるかな」
人と人とのわずかな隙間を縫うように掻い潜っていくと、中心部にいるのが猫ではなく、人だということに気付く。
「ワトソン、どうやら猫を囲っていたのではなく人のようだよ」
「その人が抱えています」
見れば人の群れのそばに電柱がある。どうやらそこに取り付けられた監視カメラから正確な情報を得たようだ。
「きゃー! こっち向いてくださーい!」
「写真撮っていいですかー!?」
周囲からは黄色い歓声がこれでもかと言うほど響いている。よほど人気のある人物がこの先にいるのか?
「ええよええよ〜! イケメンに撮ってやぁ!」
「きゃ〜! ありがとうございますぅ!!」
ふわふわとした、関西特有の方言でゆるく振る舞う声が耳に飛び込む。どうやら俺はこの声の主に心当たりがある。
しかし誰だったかな、聞き覚えのある声なのに名前どころか顔も思い出せない。
「通してね、ごめんね」
熱烈なファンであろう人たちが肉壁のように立ちはだかっているが、俺はここで引き下がるわけにはいかない。依頼なのでね。
「あれ? 探偵さんやん! その節はお世話なりましたあ!」
「へ?」
ようやく抜けたその先では、カジュアルな服装をしたサングラス男が慣れ親しむように声をかけて頭を下げていた。
探偵のような装いをしているとは言えど、さすがにファーストインプレッションで職業バレしているのは探偵としてどうなのだろう。
「あれ? 気づいてません? 佐原ですよ、佐原海斗。漫才師の」
佐原……漫才師……?
「あぁ、佐原さんですか。その節はお世話になりました。すみません、サングラスがあまりにも似合い過ぎていて気付きませんでした」
「ほへー、相変わらずお口がお上手で」
スッと片手でサングラスを外した姿に、俺は見覚えがあった。
なぜなら、一ヶ月前にこの人から相方探しを依頼されたからだ。
「で、今日は僕の出待ちでも?」
「いえ、仕事でその猫を探しておりまして」
「あ、僕はたまたまってことね。まぁええや、ほい。お返しするね猫ちゃん」
ぬわぁ、と低く鳴くさんまくんは、佐原さんとの別れを惜しむようにゆっくりと瞬きを二回ほど佐原さんに向けてした。
「探偵さん、来週にお笑いワンマンライブがあるんですけどよかったら来ません?」
異常な人だかりを警備員が一掃したのを見計らうように、カバンからチケット封筒を取り出して佐原さんは俺に渡した。
「いのかい? ありがたくいただきますね」
「もちろん! 行方不明の相方見つけてくれたんやもん! お笑いコンビにとって、命の恩人みたいなもんや」
ニカっと笑いながら「相方おらんかったらまじ職なしやからほんま感謝しとるで」と言う佐原さんの表情は太陽も相まって輝いていた。
「あ、もうこんな時間や。引き留めてごめん!」
「ありがとうございます、ライブ楽しみにしていますね」
颯爽と去っていく人気お笑い芸人の背中を見るのは、なぜかワクワクするね。これからすごい笑いを生み出すのだろう。
「ワトソン、楽しみだね」
「そうですね。ですがその前に依頼を完了しましょう」
ワトソンはいつだって依頼ファーストの優秀な助手だが、どうにも冷酷なほどに娯楽を軽視している節がある。
「佐々木さんに事務所に来てもらうように連絡してくれる?」
「承知しました」
スマホを取り出して、佐々木さんから聞いていた電話番号を入力していくワトソン。
アンドロイドゆえに、すでに記憶していることは、俺が手帳に記録しているのを見なくてもツラツラと入力できるようだ。
「急なお電話すみません。語部探偵事務所です。お探しの飼い猫様をテレビ局前で保護いたしましたので、三十分後に事務所へお越しください」
『本当ですか!? 分かりました! ありがとうございます』
スマホを貫通して聞こえる佐々木さんの声は、安心がにじむ喜びの音色を感じた。
***
「さんまぁ!!」
俺の事務所で今、歓喜に震える依頼人が愛猫を抱きしめている。
「佐々木さん、よかったです」
「本当にありがとうございます! 大切な家族なので、また会えてよかったです!」
うるんだ瞳の飼い主に、少しあきれながらも申し訳なさを感じさせる鳴き声を上げた。
「依頼料振り込んでおきました、本当にお世話になりました!」
スマホに浮かんだ文字は、依頼料一万の百倍。百万円が表示されている。
「佐々木さん。桁、間違えていますよ」
スマホを俺に見せるワトソンも、少し驚いたような顔をしている。
「自分なりの感謝のしるしですので! 受け取ってください」
この人は地主か何かだろうか、随分と羽振りがいい。
「……そう仰るなら、ありがたく頂戴しておきます」
大金を俺の口座に入金してくれた挙句、深々と頭を下げて佐々木さんは事務所を去った。
「ワトソン、すごく稼げちゃった」
「あの人、資産家のようですよ」
「通りで」
国のデータに侵入して、顔から個人情報を確認したらしい。バレたらデータ管理庁にひどく叱られる……だけじゃなくて間違いなく俺が捕まるな。
やめさせないといけないけど、便利なんだよなぁ。
「マスターとは雲泥の差の地位ですね」
「おっと? 随分辛口だね」
そんなやりとりをしながら、俺は佐原さんにいただいたお笑いライブのチケットを机に出した。
スーツのポケットに入れていたからか、少しぐちゃっとしている。
「マスター、いつも言ってますが小さいバッグくらい持っておいたほうがいいですよ」
「俺は荷物を持ちたくない派なんだ」
ずさんな管理に呆れたのか、シワの入ったチケットを見ながらワトソンはネットショッピングの画面をスマホで見せてくる。
「スーツスタイルに合うクラッチバッグを購入します、構いませんね? 荷物は私が持ちますので」
ほぼ決定事項なんだろが、一応確認してくるワトソンは「人様にいただいたものを雑に扱うのは人としてどうかと思いますので」と付け足した。
「うちの財布はワトソン管理だからね、好きにしてよ」
「購入完了しました」
瞬時な判断でネットショッピングを済ませたワトソンは、キッチンに立ち、エプロンを身にまとった。
「パスタでいいですか?」
「もちろん。ワトソンが作る料理はどれも美味しいからね」
「おほめにあずかり光栄です」
ササっと作ると言い残したワトソンは、宣言通りササっと作って、俺の前にペペロンチーノを置いた。
「どうぞ」
「ありがとう、いただくよ」
ふわりと湯気とともに舞うガーリックの香りが食欲をそそり、麺を巻き付けるフォークの回転が止まらない。
「美味しいよワトソン、一緒に食べられればもっとおいしいんだろうね」
「味は変わらないですよ」
「変わるんだなそれが」
食事は誰かと食べるとより美味しくなる。そう考える俺は、いつかワトソンと肩を並べて食事できる日を望んでいる。
「マスター、食事が終わったら集客用の新ポスターを作成しましょう」
「大金入ったし、しばらく働かなくてもいいんじゃない?」
「クズ人間ですね、マスターは探偵業をお金のためにやっていないはずですが? まさか人助けがめんどうになったなんて言いませんよね?」
ジトっと俺を見るワトソンの目は、まさしく疑いの目。信用ないなぁ。
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