file.3 鰹節
「マスター、三か所まで絞り込めました。それぞれ近所ですが、特徴が類似しすぎています」
「ありがとう、いつも通り資料をお願いね」
「かしこまりました」
一か所に絞りこませず、保険を掛ける意味を込めて複数で留める。
ワトソンはパソコンを開いて、カタカタと素早くキーボードを叩いていく。
「いつもごめんよ、手間を取らせて」
ワトソンが得たデータを電子デバイスに転送すれば俺も見られるのだが、何分俺は電子デバイスを極力使用しない。諸事情でね。
そのため、ワトソンがデータをパソコンに移して、分かりやすく整理して、プリントアウトする作業が発生しまう。
「構いません、人間はいろいろな事象が起因し、立ち直れなくなりますからね。苦手なことはアンドロイドに担当させる生き方が合理的です」
言うワトソンは気にしなくていいと言っているが、本当にそれでいいのだろうか。
人工知能だって、俺たち人間に備わる知能と同じ。
つまりアンドロイドだって人間と等しく知能は疲弊するんだ。ただプログラムでその感覚を遮断しているだけ。
アンドロイドだって苦手なことは逃げていいと思う。
俺は、少しでもアンドロイドに人が寄り添える世界を願っている。
「ワトソン、今度温泉旅行でもいこうか」
「……唐突にどうしたんですか?」
「センシティブな話じゃないから安心していいよ」
疑問を浮かべた表情を見せるアンドロイドに、誤解を招かないよう設定する。
「ワトソンは防水仕様だし、温泉でリラックスして体を癒すってのもアリじゃないかい?」
「私のボディは鉄ですので、体を癒すならメンテナンスが最適ですが」
おっと、機械脳。
「例えそうでも、気分から得られる癒しもあるってもんだよ?」
「……またあなたは変な気を遣う。いいですか? アンドロイドと人間は対等な関係ではなく、主従関係です。気遣いは不要」
眉一つピクリとも動かさず作業の手を止めないワトソンは、やれやれとあきれた様子で言葉を吐く。
「まぁまぁ。そういう関係のところもあるだろうけど、うちは違うってだけ。俺たちは対等な関係でいようよ」
「本当に、マスターは底知れない変人ですね」
「はは。よく言われるよ」
今の言葉は、温泉旅行への前向きな回答として受け取っておこうかな。
「マスター、資料完成しました」
「了解、確認するね」
「お願いします」
猫三匹分の特徴、発見場所、移動予想範囲、猫の写真がまとめられた資料。
ものの数分でワトソンが仕上げた資料は、それだけで仕事が完結しそうなほど簡潔にまとめられていた。
「これ、さんまくんが三匹に分裂したって可能性はないかい?」
「ありえません、バカですか? 非現実的です」
資料を並べてみても、どれが写真と一致するものかの見分けがつかない。実物なら分かるかもしれないが、ここまで類似する猫がこんなにもいるとは。
「まず一番目は写真より毛が少し長いですね。三番目は目つきが穏やかです。恐らく二番目でしょう、さんまくんは」
ツラツラと考察を述べた後、「まぁどの道三匹とも保護してじっくり見るんです。今考えても無駄ですね」と自分のまとまった思考を切り捨てた。
「相変わらず切り替え上手だねぇ」
ワトソンに投げ渡されるジャケットに袖を通さず羽織り、ネクタイをクイックイッと微調整。
事務所の扉を開けて、外気を一斉に体に浴びる。
「暑いね、今日」
「十月にしては暑いと今朝のニュースでやってましたよ」
夏はとうに過ぎたというのに、ジワジワと汗が滲む気温の中、迷い猫を三匹も保護しなければいけないのか。
そんな探偵として失格な考えが脳裏を駆け抜けていったが、知らないフリをして突き進む。
「マスター。ここから直進して約五百メートルの場所に、一匹います。特徴から、三番目かと」
リアルタイムでカメラにアクセスして、瞬時に状況把握をするワトソンは、おおよその位置情報を俺に共有してくれる。
事務所を右に出て、そこから五百メートル程度歩いていけばそこに対象の三番目がいるらしい。
「もう帰らない? 暑いんだよね」
「まだ五歩しか歩いていません。甘えずに仕事してください」
「排熱機能切るよ?」
「肌をアルミホイルで覆いますよ?」
「すみませんでした」
こもり熱知らずの助手アンドロイドのメンテナンスを担当しているのは俺だから、少し強気で出たけど圧に負けた。
やはり恐喝は良くないね。反省しよう。
そんなたわいもないやり取りをして、辺りを見渡しながら歩くこと数分。ワトソンが精密な声帯操作でかわいらしい猫の鳴き真似を披露する。無表情で。
「猫の鳴き真似って真顔でするもの? 少し恥ずかしそうにしたりするものじゃない?」
「鉄の塊に羞恥心を求めないでください」
声帯を器用に切り替えて、猫語と人語を操るワトソンはキリッと凛々しい表情をしている。
首元で輝くループタイに付属する青の宝石が、よりクールな印象を与えている。
「と言うか、それ通じるの?」
「ええ、すでにマスターの足元に」
首を動かさず視線だけ足元に移して、俺の視線も自然に誘導していく。
「おっと、いつの間に」
「みゃー」
何かを訴えかけるように俺の目を見て甲高く泣く猫。もふもふなそれは、思わず顔を埋めたくなるような柔らかさを視覚に訴えかけている。
「君はさんまくんかな?」
「みー」
「ミー? つまり君がさんまくんだね」
「マスター、あまりつまらないギャグを人目につくところで披露しないでください。痛々しいです」
なるほど? ただの鳴き声ってことね。
「ワトソン、この子の言っていること分かる?」
「彼はダイゴローと言う名があるそうです。なんでも、商店街にある魚屋の店主が付けてくれた名前だそうで、野良にも関わらず名前をつけて親身に餌をくれるのだとか」
「あのひと鳴きにそんなハートフルな物語が詰まっていたの? すごいね」
猫のコミュニケーション。謎が多いね。
探偵として、この謎はいつか解き明かしてみたいものだ。
なんて考えるけど、そんな謎を追い出すのはきっと還暦を迎えて暇を持て余した時くらいだろうね。
「とにかくこの子はさんまくんでは無いのでリリースしましょう。目標物以外はキャッチしてもリリース。それがルールです」
「フィッシングのルールだねそれ、まぁリリースするけども」
なぜか急に釣りの心構えを披露したワトソンはスルーして、ダイゴローに視線を合わせる。
「人間の茶番に付き合わせて悪かったね、これはほんのお礼だよ。車に轢かれないように端で食べるといい」
胸ポケットから取り出した本枯れ節を取り出し、キラキラと目を輝かすダイゴローを端に誘導してから地面へそっと置いた。
「……なぜ削る前の鰹節を?」
「猫の貴重な一日を人間の都合で邪魔するからね、ほんのお礼だよ」
「だとしても削った後とかを少しとかでしょう。恐らくいませんよ? 猫に塊で渡す人」
「レアなことをしちゃったね。こう言う時に言うんだろうね、また俺なにかやっちゃった?」
最近ハマっている転生系ファンタジー小説に出てくるフレーズ。これはこういう時に使うと言うことを、俺は数々の作品から学んだ。
「私に感情はありませんが腹立ちますね」
「さ、次に行こうか」
拳を握りじっと見つめるワトソンに少し危機を感じた俺は、すぐさま話題を変えてダイゴローに別れを告げた。
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