file.2 猫探し

「ワトソン、俺は街を徘徊しようと思う」

「そうですか、帰りに柔軟剤と食器用洗剤。それと、夕飯の買い出しもお願いします」


 視線はパソコンに送りつつ、言葉は椅子に座る俺に向かっている。


「食材は食べたいものを買って来てください」

「分かった」

「外出するのでしたら、昼食はいりませんか?」


 俺の食事は、いつもワトソンが用意してくれる。アンドロイドの自身は食事を摂取しないのにも関わらず、毎食。


「そうだね、たまにはゆっくり自分の時間を過ごしてくれたまえ」

「分かりました」


 ギンガムチェックがチャーミングな茶色のジャケットを、俺に手渡すワトソンは、「お気遣いありがとうございます」なんて丁寧に頭を下げた。


 俺とワトソンの関係は探偵と助手。気兼ねない関係性のはずなんだけど、たまに主従を感じさせるような瞬間がある。


 アンドロイドは人間をサポートするという前提を考えれば納得のいくことだが、俺が求めているのは主従ではなく、信頼しあえる相棒だ。


 いつか関係性が向上することを祈って、俺はジャケットを肩に羽織った。


「それじゃあ行って来るよ、忙しくなるからある程度覚悟しておいてね」

「マスターがそう言って忙しくなったことはありません」


 ネクタイをキュッと引き締めて事務所を出ようとしたとき俺は――俺たちは、何者かの気配を感じた。


「……ワトソン、お茶の用意を」

「すでに取り掛かっています」


 羽織ったジャケットを脱ぎ、ポールハンガーに投げ掛ける。


 ワトソンのグレーのジャケットを落とさないよう精密なエイムでスーツを収納した後、ソファーに挟まれたローテーブルの上に乗った古書や書類を俺の机に移籍させる。


「マスター、推定二十秒で対象が到達します」

「部屋散らかりすぎだなって実感したね」


 息切れを誤魔化しながら、部屋のドアから一番離れた場所にある自分専用の椅子に座り、机に手を置いて余裕を演出する。


 そんな俺の横にそっと控えるワトソンは、綺麗な姿勢で対象を待ち構えている。


「――あのぉ」


 来た。


 恐る恐るゆっくりと開いた木製の扉から覗くのは、ニット帽を被った女性。

 閑古鳥が鳴くこの探偵事務所に、一ヶ月振りの依頼人だ。


「ようこそ、語部探偵事務所へ」


 ドア付近で固まる女性を部屋へ誘導するように、左手を自身からソファーの方へと向けて歓迎の意を表現する。


「し、失礼します……」

「ワトソン」

「はい」


 阿吽の呼吸で、着席した依頼人のもとには瞬時にソーサーに乗ったカップがたどり着いた。


「粗茶ですが」

「あ、ありがとうございます」


 お気に入りの喫茶店で仕入れている安価の茶葉を使用した紅茶。


 安価とはいえ、香り高い紅茶なので、俺は来客用としてお出しする。


「お越しいただきありがとうございます。当事務所の探偵、語部紡久です」

「あ、佐々木です……。よろしくお願いします」


 探偵に依頼するのは初めてなのだろうか。

 佐々木と名乗る女性は、借りてきた猫のように委縮している。


「では佐々木さん。早速ですが、依頼内容をお聞きしても?」


「はい……」


 ゆったりと俺もソファーに腰かけて、依頼人と目線を合わせる。


「実は、飼い猫のさんまが逃げ出してしまいまして」

「美味しそうなお名前ですね」


 カバンから写真を一枚取り出す依頼人。


 白猫のさんまくん。一歳。特徴はふわふわな毛並みと鋭い目つき。


「猫ちゃん探しですね、お任せください」

「お願いします……! 唯一の家族なんです!」


 瞳に涙を溜め、必死に俺の心に訴えかけるように声を響かせる佐々木さん。


「探し物は得意なんですよ」

「そうなんですね……不安だっけど、あなたに依頼して良かったかもしれないです。親身にお話を聞いてくれましたし……」


 依頼人にそう言ってもらえるのは、探偵冥利に尽きるのではないだろうか。


「ちなみに、この探偵事務所を選んだ理由をお聞きしても?」

「あ、はい。アンドロイドの探偵は話をあまり聞き入れてくれなくて……ネットで調べたら今どき人間が探偵をやっている事務所があると知ったので」


 この人はまだ、アンドロイドに肯定的な意見がないタイプか。確かに、アンドロイドの探偵は殺人などをメインに介入すると聞く。


 アンドロイドを受け入れ切れていないことを察したのはどうやらワトソンも一緒で、ひっそりとその身を佐々木さんから遠ざける。


 型番が見えるところに書かれていないタイプだから、別に隠れる必要はないと思うが、依頼人のために配慮したんだろうな。


「珍しいでしょ? 人間の探偵って」


 アンドロイドが普及したこの世界。

 需要の低い仕事から、どんどん人間からアンドロイドに切り替わっていった。


 ドラマやアニメで見るほど華やかさのない探偵業は、その筆頭のようにアンドロイドが請け負う職業として定着した。


「ええ、とても」

「人間にしか出来ないこともありますからね。まだ必要でしょう? 僕のような存在が」


 渡された写真を手に持ちながらふっとニヒルに笑って見せる。


「奇特な方なんですね」

「恐縮です」


 佐々木さんは緊張がほぐれたのか、それとも俺との会話に慣れたのか、すこし砕けた笑みを見せてくれる。


 探偵として、依頼人との距離を縮められるに越したことはない。些細なミスなら許容してもらえるし、次の依頼につながったりもする。


「依頼完了予定日ですが、最短で今日の夕方。遅くて明日の午前中が目安になっています」

「どうか……どうかお願いいたします」

「今すぐに取り掛かりますね。もしかすると自宅に戻ってくるかもしれませんので、本日はもうお戻りください」


 事務所のドアを開け、先導するように腕を動かす。


「ありがとうございます」

「なにか進展がありましたらご連絡させていただきますね」


 佐々木さんの電話番号が書かれたメモをズボンのポケットに入れて、笑顔で佐々木さんをお見送り。


「ワトソン、もういいよ。気遣いありがとう」

「お気になさらず、依頼人第一ですから」


 存在感を消していたワトソンは、俺の前に現れてカップとソーサーを片付けはじめる。

 まだ周囲に残る茶葉の芳醇な香りは、ワトソンが動くたびに空気が揺れてふわりふわりと舞い踊る。


「一人で依頼を探そうと思っていたけれど、予定が変わったね」

「ですね、私も行きます」

「ああ、頼むよ」


 依頼が舞い込んだのに、依頼を探すバカな探偵はこの世に存在しない。勇気を出して事務所に来てくれた依頼人のためにも、本腰を入れてさんまくんを探さねば。


「ワトソン、ある程度の予測は出来るかい?」

「クラウドにアクセスし、情報を割り出します」


 言うとワトソンは、佐々木さんから預かったさんまくんの写真を穴が開くほどじっと凝視する。


 搭載された人口知能をネットの大海から各地の監視カメラにアクセス。

 そして、対象と似た特徴の猫を数千、数万の中から見つけ出す。


 これが語部探偵事務所の捜査スタイル。


 大まかな位置さえ割り出せれば、後は俺が足で探す。

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