第3話:竜の好きな景色
大晦日。PC周り含めた大掃除を終えてスーパーで蕎麦と餅を買い、帰宅して蕎麦を食べ、ビールを飲みながら紅白を見る。……もちろん一人だ。いつものことだから寂しくなんかない。その後、年が明け、除夜の鐘を聞きながら煙草に火を付けた瞬間――意識が一瞬途絶え、次の瞬間急に寒さに襲われた。
「――えっ?」
驚く暇もない。なぜか俺――
「お、来た来た。あれ? なんか服装違うね?」
山の頂上にある、ボロボロの灰皿とも呼べないバケツの横で咥え煙草をしていたのは、パイロープさんだった。竜なのは伊達じゃないらしく、半袖とはいかないが明らかに登山には適さない軽装でも寒さは全く感じているように見えない。
「い、いや、今日は会社帰りじゃなくて、休みなんで私服なんです……というかここは……めちゃめちゃ寒いんですけど、な、何とかならないですかね……煙草も消えそう」
「あ、そうか。ちょっと待って……はい」
パイロープさんが指を鳴らすと同時、俺の周囲が温かい空気に包まれた。
「……これは?」
「結界。私一人なら別にいらないけど普通の人には寒いよねごめんごめん」
すごいな結界。暖房設備にもなるのか。
「しかし、ここはどこなんです?」
広がる雲海。回りはまだ薄暗い。もしかして、夜明け前か?
「これから、日が昇るんだ。綺麗だから一緒に見ようと思って」
「……はぁ、なんで急に」
「ん。だって今日は、一年の始まりだからさ。初日の出」
「え? こっちもそうなんですか?」
時差はあるが、つまり、こちらも新年。そんな偶然、あるのか。
「――へぇ。リンクしてるんだ。なるほど……まぁいいや。うん。そうそう。せっかくだからさ、いちばん景色のいいところに来たんだ」
「そうなんですか。……初日の出、か。なんか、久しぶりです」
実際に日の出を見たのはいつ以来だろう。小学生の頃、眠い目を擦りながら早起きしたときだろうか。……ああいや、仕事の徹夜明けでビルの窓から差し込む朝日は何度も見てるけど、さすがに初日の出を会社で迎えたことはない。
「はいこれ。スープ。美味しいよ」
「……ありがとうございます」
差し出されたカップを手に取る。暖かい、トマトをベースにしたスープだ。
「そろそろだ」
薄暗い雲海が、少しずつ光に覆われていく。遠くの山から覗くように、太陽が少しずつ顔を出し、雲がまるで生き物のように動き回る。紫から、橙、目を焼くような光に思わず目を細めた。
――忘れていた。太陽がこんなにも眩しく、神々しいことを。
「……すごい」
「ね、すごいでしょ。この大陸でも一番の夜明けだと思う。普通の種族じゃ登ってくることも難しいから、こんなところに来るのは私くらいだけどね」
パイロープさんは得意げだ。
「……こんな景色をみたら、元の世界で見るどんな景色も霞んじゃいますね」
「うーん。景色は、何を見たか、もだけど、誰と見たか、も大事だからさ。いつかもっとすごい景色に出会うよ、きっと」
……だとしたら、たぶん、この瞬間は、越えられないだろうな。
漠然と思う。この奇跡みたいな時間を上回ることはきっとない。素晴らしい景色と暖かなスープ、そして、煙草を咥える赤い竜の女性。まるで夢のようなこの景色は、きっと塗り替えられることなく心に残るだろう。
せっかくだから写真を撮りたいな、と思わずポケットのスマートフォンに手が伸びる、が、そこで手を止めた。
「思い出は、目に焼き付けるものですよね」
代わりに、咥えた煙草を手に持ち、大きく煙を吐く。紫煙が朝日に溶け、雲と混ざった。
そうして、昇っていく朝日を眺めながら、俺は無言でスープを飲み干す。……と。
「何を取り出そうとしたの?」
「え? ああ、これ、カメラが付いてる端末なんですよ」
この世界にもカメラくらいあるだろうが、ここまで小型化はしていないだろう。ポケットからスマートフォン取り出して見せた。
「へぇ……試しに撮ってみて?」
「いや、思い出は目に焼き付けたほうが」
「えー。せっかくだし、撮ってよ。それに人の記憶なんて曖昧だからさ、残せるならその方がいいよ、うん」
長命種が言うと説得力があるな。それならば、とスマホで日が昇った雲海の写真を撮る。
「お、やっぱ綺麗ですね」
「どれどれ?」
パイロープさんがのぞき込んでくる。近い。
「おお、すごい! こんなに綺麗に撮れるんだ。いいねー」
パイロープさんはスマホの写真を眺めたあと、こちらをじっと見て、に、と笑った。なんだ。
「せっかくだから私の写真も撮ってよ。ほら、ぴーすぴーす」
雲海を背にピースサインをする竜。ピースサインって異世界でも共通なんだな。
「――はいはい。いいですよ」
言われるがままに写真を撮る。……被写体がいいから、写真の撮り甲斐があるな。今度はいいカメラ持ってくるか。
何枚か取ったところで、日は徐々に高くなり、煙草は反比例して短くなっていく。
「……あ、そろそろ時間ですね」
煙草がそろそろ消える。名残惜しいがこの景色ともお別れだ。
「あ、そうか。じゃあ最後に一緒に撮ろうか。できる?」
「え? ええ。一応。インカメラにすれば見ながら撮れるはず……」
「急いで急いで。ほらくっついて。ぴーす」
強引に肩を組まれ、画角に入れられた。ぱしゃり、という音が響いた直後に、周りの景色が変貌する。
「…………戻ってきたか」
一人ぼっちの薄暗い部屋。今までとのギャップで少し笑ってしまった。手に残っていた吸殻を灰皿に捨て、立ち上がる。
「……もしかしたら、今まで、現実じゃないのかと思ってたけど」
喫煙所で見る白昼夢。鱗もどこかで買ってきたお土産。そんなことを想像したこともあった、でも。
「少なくとも、この写真は本物だからな」
スマートフォンに残る、満面の笑みを浮かべた赤い竜の女性と、ひきつった笑いの自分。我ながら全然いい顔ではないけれど、ゲーム画面のスクショばかりのカメラロールにこの写真があることが不思議で、思わず笑みが零れてしまった。
「今度はもっと、笑えるようにしよう」
もしかしたら、次はないかもしれない。二度と合えないのかもしれない。
だからこそ、思い出を形に残すことに意味はある。自分が映っていない、彼女一人の写真を眺めて、俺は買ってきた餅を焼き始める。
――あけましておめでとう。今年は、いい年になりそうだ。
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