第2話:竜の人生相談

 数日前の不思議な出来事があって、翌朝。俺――国渡亮くにとりょうは、その後家や近所の喫煙所で煙草を吸ってみたのだが、特に何も起こることはなかった。場所や、シチュエーションが影響しているのかもしれない。


 あの日は金曜日で土日は休みだったので、二日ぶりに会社へと向かう。スーツの胸ポケットにはもらった赤い鱗を忍ばせていた。行く途中、何種類か煙草を買い込んでいる。普段は吸わないメンソールや、甘い香りのものなど、バリエーションを意識している。――もし、またあの竜と名乗る女性に会えたら吸ってみてもらいたいと思ったのだ。


「そういや、名前も聞いてなかったな……」


 夢ではない。だがまた会えるかはわからない。でも、もしかしたら……という思いで、仕事をこなす。仕事終わりが楽しみなのは、久しぶりだ。


 週明けの憂鬱さはいつもより軽く、仕事はスムーズに進んでいった。いつもだったら月曜はあまり残業しないのだが、今日は目的もあるので金曜と同じくらいの時間まで残って作業をしていた。上司含め、他のみんなはもう帰っている。月曜はまだ体も仕事に慣れていないから早く帰りたいだろう。


 ちょうど前と同じ時間に部屋を出て、喫煙所に向かう。前回と同じ銘柄の缶コーヒーも入手済みだ。そして、幾分緊張しつつ、煙草に火を付けた。まるで、別世界に導かれるような感覚。すると――。


「お、また会ったね」


 予想通りというか、目の前に例の赤い女性が立っていた。俺があげた煙草をくわえている。


「どうも。……やっぱり、会社近くの喫煙所じゃないとダメなのか……?」


「君の転移は色々な要素が絡んでるからねー。ただ、一度きっかけはあったから、場所には依存しなくなっていると思うけど……うん。たぶん単純に、魔力の不足かな。トリガーは煙草で間違いなさそう」


「……魔力、なんてものが俺にあるんですか」


「うん。全くない人間はほとんどいないよ。たとえ異世界人であってもね。単にそっちだとまだ一般的に知られていないだけじゃないかな。もちろん人によって量は違うけど、君はかなり多いと思う。それでも一回の転移で空っぽに近い状態になってそうだから、必要量溜まるのに……うーん、三日くらいはかかりそうかなぁ」


 なるほど、家で跳べなかったのは場所の問題ではなく、魔力とやらが不足していたせいなのか。


「そうだ。言い忘れたけど、その鱗を持っていれば道しるべになるから。座標指定なしで私のもとには来られるよー」


「これ……そういう意図だったんですか」


「もちろん鱗に価値はあるけど……君の元の世界ではたぶん価値をわかる人はほとんどいないだろうし、こっちの世界には長いこといられないからあんまり意味はないでしょ。私のもとに来る気があるんなら、それを身につけておけばいいよ。なければ適当な喫煙所に飛ばされると思う」


 さすがにそれは怖いので、煙草を吸う際は身に着けておくことにしよう。


「そういえば、時間経過ってどうなってるんですかね」


 あまり気にしていなかったが、例えば誰かと一緒にいる時にいきなり消えたらまずい。


「基本的には元の時間、座標に戻されるはず。ラグがあっても数秒かなぁ」


「……数秒ラグがあったらやべぇと思いますが、まぁ、了解です」


 一瞬消えてまた現れることになってしまう。


「これ、魔力が溜まった状態で、煙草を吸ったらどこにいても飛んできちゃうんですかね? 寝間着で部屋で吸ってる時とかだとさすがに困るなーと」


「うーん。たぶん君の意思が働かないと飛ばないと思うよ。煙草を吸った時に、こっちに来たい、って思えばたぶん発動するけど、そうじゃなきゃ勝手には跳ばないはず」


「そうですか。取りあえずよかった」


 こっちに来たいときは人気のない場所で煙草を吸うことにしよう。


「煙草を吸ってる間だけの限定的な転移だろうから、残り時間はあんまりないかも」


 確かに、そろそろ一本目の煙草は吸い終わる。さすがに三本連続は気分が悪くなるので、連続で吸うのは二本まで、だ。吸い終わればまた元の場所に戻るのだろう。


「あ、そうだ。これどうぞ」


 鞄に入れてあった袋を手渡す。


「これ……煙草? しかもこんなに」


「興味ありそうだったんで、いくつか種類買ってみました。よかったら試してみてください」


「……ありがとう。嬉しい。私からもお礼がしたいところだけど……あいにく大したものは持っていないんだよねぇ。品物での礼は次に回すとして、例えば……何か聞きたいことはない? 一応竜だから知識は豊富だよ」


 竜の寿命は分からないが、ゲームや漫画だと長命なのが常だ。確かに色々なことを知っていそうではある。しかし……。


「聞きたいこと、ですか。……どうしようかな」


 元の世界のことはさすがに聞いても仕方ないだろうし、聞くならこの世界――喫煙所の外はどうなっているのか、から始めるべきだろうか。


「うーん、この世界のことを教えるでもいいんだけど……時間を考えると、むしろ本とかで渡してあげる方が効率的な気がするから、それは今度用意しとくね。あとは、そうだねー。人生相談でもする? 何か悩みとかない? 竜のおねーさんに聞きたいこととか」


 妙に気やすい口調になってきたな、慣れてきたんだろうか。


「人生相談、ですか……いや、これはマジでなんですが、悩みとかほとんどないんですよね。もちろん漠然とした不安とか、もっと金と時間があったらな、とは思いますが、今特に困ってることとかないもんで……」


 今の会社は残業もそれなり、給料もそれなりにはもらえている。人間関係は良好で、趣味や好きなことも楽しめていて、めちゃくちゃ健康というわけではないが、検診で引っかからない程度の状態は維持している。結婚願望も特にない。両親は元気だし、兄が結婚して両親の近くに住んでいるから今のところ孫を見せろとも言われないし、関係性も良好だ。異性に興味がないわけではないが、今のところ各種コンテンツで満足していて、個人的な付き合いは求めていない。友人もそれなりにいる。……ある種、満たされているんだよな。


 そんなことを話して、特に心配事がない旨を伝えてみた。


「なるほどー。つまり君は、満たされているんだね」


「……まぁ、そうですね。上を目指す気があればまた別なんでしょうが、俺は今の生活で満足してるので……悩みがあるとすれば、このままで自分はいいのか、ってことですかね。こっちの世界の人や、あなたからすると、あんまり好まれない考え方でしょうか?」


 例えば、昔の人は出世欲が強かったり、子供を作り、自らの意思を後世に伝えたいという思い――いうなれば生き物としての本能が強かったのではないだろうか。こういった世界ではそっち寄りの考えが強いのではないか、と考えたのだ。


「うーんとね。まずこの世界の人ということであれば、その種族や文化レベルによっていろいろ。より動物に近い生活様式を取っている場合だと、やっぱり生殖本能や上昇志向は強いから、群れの長となって、多くの子孫を残すことを目指すケースが一般的。だけど、今ではどちらかというと少数派かな。君みたいにやりたいことしかやらない、結婚も興味ない、っていう連中も少なくはないよ。まぁ子供は欲しがる人がやっぱり多いけど」


「まぁ、そりゃそうですよね」


 たくさん産まなきゃ滅びてしまうような種は当然生殖本能が強いだろうし、長命で生活が安定していれば特にその危機感は持ちづらいだろう。


「そして、私たちのような竜の思考は基本シンプル。やりたいことはやる。やりたくないことはしない。生き物として強靭だから、完全に己の意思が最優先って感じ。――例えば、君も、仕事を常に望んでいるわけではないでしょ? 私たちは基本的に働きたくないから、仕事はしない。基本的に欲しいものは他者から奪う。財宝を、書物を、食料を、技術を。――そして、命を」


 その言葉で、彼女と俺は別の生き物なんだと今更ながらに感じた。


「まぁでも、危険と見なされれば迫害されたり討伐されちゃうんだけどね。竜は強いけど最強じゃない。他種族にも化け物はいる。欲求に溺れて度を越えたら、同じ目に合うのが世の中。奪われ、傷つけられ、殺される。私はそれを望まないから、こうして人の姿を取って、ルールに従って煙草を吸っているんだ」


「……なるほど。煙草を吸いたいから吸っている。でもその辺で吸うと、人に怒られるから、喫煙所で吸うというルールは守る、と」


「そう。基本的には君も一緒でしょ? 欲しいものは手に入れたい。でも対価が必要だからそれを手に入れるためには働く。社会のルールに則って暮らしている。私が欲しいものは主に人間社会にあるものだから、あんまり働いたりはしないけど、剥がれた鱗を売るとか、魔物の退治を手伝うとか、そういう自身の許容範囲内で人間社会のルール通りに対価を得て、娯楽を満喫してる。……もちろん、他の竜は洞窟や火山に居を構えて、人から奪った財宝をため込み人を食って暮らしている場合もあるし、強さを追い求めひたすら戦いに明け暮れているようなやつもいるけどね。その辺は竜それぞれ」


「まぁ、人間と同じですね。上を目指して必死に生きるやつもいる。暴力ですべてを解決して生きるやつもいる。俺みたいに、今の環境の中で好きなことだけをして生きるやつもいる」


「うん。それは種族とか、本能の問題じゃなくて個人の考え方だから、正しいも間違っているもない、ってのが、私の考え。……ただ、それによって、身を滅ぼしたり、種族自体の衰退につながるケースもあるから、そのリスクをどう受け止めるかも、やはりそれぞれの考え方次第、かなぁ」


「ありがとうございます。漠然とした不安というか、俺はこのままでいいのかなっていう気持ちもあったんですが、少し落ち着いた気がします」


「ならよかった。そろそろ煙草も終わりかな。――最後に、何か聞きたいことはある?」


「ああ、そうだ。忘れてた。――あなたの、名前を」


 ヒトの姿をした赤い竜は、少し目を大きく開いて、そのあと、微笑んで、言った。


「そういえば、すっかり忘れてた。――私の名前はパイロープ。炎の意味を持つ名前。よろしくね、クニト」


「改めて、よろしくお願いします。パイロープさん」


 消えかけた煙草を灰皿に捨て、俺は彼女の手を取り、握った。彼女は少し驚いたようだったが、そのまま優しく握り返してくれた。――その手の暖かさ、柔らかさは、人間と何も変わらなかったことを、記しておこう。






 



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