第6話 先輩の生姜焼き弁当

 僕は先輩に促されるまま、先輩の前に座る。先輩に釣られて正座で。なんだか妙な空気感だ。


「足を崩してもいいぞ。部活じゃないからな。私も崩そう」


「そう……ですか。じゃあ僕も甘えて」


 僕は一条先輩に言われて足を崩し、あぐらの姿勢になる。一条先輩は横座りの姿勢になり、僕はその姿にまたもドキッと心臓が高鳴るのを感じてしまう。


 いつも姿勢正しく、清い一条先輩の座り方。なのに横座りの姿勢は目を惹くほど美しく、特にスカートとハイソックスの合間に視線を誘導されてしまう。


 僕は手に爪を食い込ませることで一線を越えるのを耐えていた。ここは神聖な剣道場、何を馬鹿なことを考えているんだ僕は……!!


 吸い込まれる視線を気合と根性で先輩の目へと向ける。もうここ以外、安全な視線のやりどころはない……!


「そんな情熱的に見ないでくれ……て、照れるじゃないか」


「す、すみません。でも、ちょっと楽しみです。どんな弁当を作ってきてくれたのか」


「あ、あまり期待しないでくれよ。弁当箱も間に合わせのしかなくてな……。これで喜んでくれるだろうか?」


 一条先輩が僕の前に置いたのは二段式の弁当箱とタッパーだった。二段式の弁当箱には生姜焼きをメインに添えて、煮物やミニトマトなどの副菜が入ったおかず。タッパーにはご飯が敷き詰められている。


「家で使っているのがこのサイズの弁当箱しかなくてな。足りないと思って白米とおかずは別にしたんだが……足りるだろうか?」


「全然こんなにもあれば大満足ですよっ! 早速食べてもいいですか?」


「ああ、どうぞ召し上がれ」


「ありがとうございますっ! ではいただきます」


 先ずは生姜焼きから。おかずは生姜焼きが占めるスペースが多く、一口大に切られているが総量はかなり多いだろう。生姜焼きをご飯にバウンドさせてから頬張る。


 生姜と醤油をベースにしたタレに、豚肉の程よい脂身が絡んで最高の味わいだ。惣菜パンでは決して得られない満足度がそこにはある。


 箸は思わずご飯へと進んでいた。口の中に残るタレの後味と、ご飯の上でバウンドさせた時に染みついたタレ。それをかき込む。


 ご飯が進むとはまさにこのことを指すのだろう。昨日のうどんとは違う。ガツンとパンチが効いた生姜焼きの味付け。箸が止まらない……!


「お……おぉ! そんなに勢いよく……! すごい食べっぷりだ」


 あまりの美味しさに僕は無言で食べていた。みんなが憧れる女先輩と一緒に食べていること……そんなのが頭から吹き飛ぶくらい美味しい。


 惣菜パンと牛乳だけで学校の昼食は十分だと思っていた。しかし、先輩の弁当を知ったからにはもう元の生活には戻れない……!


「ゆ……ゆっくりと食べるんだぞ! ご飯を喉に詰まらせないように……」


「ふぁ……ふぁい。おいひいです美味しいですふぇんふぁい先輩


「君という子は……! ふふっ、行儀が悪いけど今日は見逃してやろう」


 自分が普段ならやらないような行儀の悪い行動をしてしまう……。それくらい食べるのをやめられなかった。


 生姜焼きだけじゃない。副菜としてチョイスされた卵焼きと里芋の煮物。この二つがいい感じに箸休めとなる。


 卵焼きは少し甘い味付けのものだ。地方によっては甘く味付けするらしいから、おそらくその手の卵焼きなのだろう。


 そして里芋の煮物。これは時間が経過しているせいかとても味が染み込んでいる。口に運んだ時のねっとりとした味わいが、次に食べる生姜焼きへの期待値をグンと跳ね上げてくれるのだ。


 そしてあっという間に弁当は食べ終わってしまう。いつもの昼食では得られないような充足感が身体を満たしてくれている。とてもいい心地だ。


「ごちそうさまでした。とっっっっても美味しかったです先輩っ!」


「お……おおっ! 完食……! ありがとう! 味は? 感想を聞かせてくれないか!?」


 先輩の声が震えていた。米粒一つ残らない綺麗な完食。最後まで飽きることなく食べ続けられた。


 先輩は僕に味の感想を求めてくる。美味しかったが全てなんだけど……それをそのまま伝えるのは少し味気ないだろうか? もう少し工夫して……。


「その、弁当とかそういうのをあまり食べないんですけどおかずの配分が絶妙だなと思いました。箸休めにチョイスされた煮物と卵焼きも凄く食べやすくて……それに生姜焼きのタレが絡んだレタスやブロッコリーもよかったです」


「君に褒められるとやはりむず痒い気持ちだな……。量とかは大丈夫だったか? 生姜焼きは足りただろうか?」


「ご飯の量も合わせてちょうど良かったです。ただ……その、贅沢を言うならもう少し多くても……い、いえ! 作ってきてもらってる立場なのに強欲ですよね」


「いいや、君はまだまだ食べ盛りの高校生だ。それくらい素直な意見の方が助かるよ。確か……金曜日はバイト休みだったよな?」


「ええ、まあはい。今日はバイト休みですけどそれが……」


 一条先輩はその言葉を聞いた瞬間、ずいっと身を乗り出し、僕の両手を掴みながらこう口にする。


「ど、どうだ? 私と一緒に弁当箱を買いに行かないか? 君専用の弁当箱があると便利だろう?」


「へ……? 弁当箱? って、ぶ、部活は!?」


「君は病み上がりだしたまには休みも必要だから部長権限で休みだ! 学校の最寄駅のショッピングモールに行くぞ!」


 しょ……ぴんぐ、もーる……だと!?


 白金高校には馬鹿でかいショッピングモールが建っている。うちの生徒が学校終わりによく行っている場所だ。そして、僕のバイト先があるところでもある。


 いやいや、そんなところに僕と先輩の二人で……!?


 僕はともかく先輩は有名人だ! 特にこの学校の! 

 そんな生徒たちがたくさんいるところに二人で行けば、どうなるか想像できてしまう……絶対に変な噂を立てられてしまう!!


「だ、ダメか? 私一人だと君の弁当箱どれがいいのか分からなくてな……君の意見があると助かるのだが」


 先輩の上目遣い。バカやめろ鎮まれ! 起き上がってくるんじゃないもう一人の僕!!


 先輩はもう少し自分のことを知るべきだ。そんな風に頼まれたら男として答えるべきは一つだろう。


「光栄ですっ! ぜひお供させてくださいッッ!!」


「お、大袈裟すぎないか……? いや、でも嬉しいよ。ちょっと行ってみたかったんだああいうところ。放課後楽しみにしているよ」


 一条先輩は柔らかく微笑む。


 放課後に突如として現れた大事件もとい超大型イベント。それを前にして早速、僕の心臓はうるさいほど高鳴っていた。

 

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