第2話 先輩があーんしてきた

 覚悟は決めた。紙マスクもしている。僕は覚悟を決めて玄関の扉を開ける。するとそこには……。


「大丈夫か!? 熱は何度あるんだ? 咳や頭痛とかは? 病院に行ったのか!?」


「お、落ち着いてください一条先輩……!」


「落ち着いていられるか……と言いたいところだが、君のためではないな。すまない、取り乱してしまった」


 部活でも一切息を切らさない一条先輩が、珍しく少しだけ息を切らしていた。手にはドラッグストアのビニール袋。その中には薬やスポドリ、のど飴、あとは食材などが詰め込まれていた。


「学校からここまで遠かったでしょう……。とにかくありがとうございます」


「いや電車を使えば割と近い……いいや、自転車通学の君の感覚では遠いのか。まあいい、家に上がってもいいか?」


「え……、ちょ、ま」


「お邪魔します。ふふっ、後輩の家に上がり込むなんて私は悪い先輩かな?」


 一条先輩が一歩ずいっと無理矢理距離を詰めてくる。その表情は普段のクールな表情からは察することができない、少し意地悪そうな小悪魔的な表情であった。


 僕は一条先輩の圧に押されて一条先輩を家に上げてしまう。僕の家は2LDKのアパートだ。都会から離れたそこそこの田舎町に立っていることもあり、家賃はそれなりに安い。


 一条先輩は新鮮なのか、玄関からリビングまでの短い廊下でも、へぇ、ほぅ、ふぅんと言った反応を見せながら周りをキョロキョロと見渡していた。


「お茶を出します。少し待っててください」


「おいおい、体調不良な君を働かせるわけないだろう。熱は測っているのか? 何度だ?」


「いえ……まだ。起きてからは」


「では私が測ってあげよう。ほら、腕を上げて」


 一条先輩はリビングの机に置いてあった体温計を手に取ると、至近距離まで近付いてくる。剣道部の練習でも距離が近くなることは度々あったけど、これは違う……!


 だってこの人今制服だぞ!? そのたわわな胸もいつも見ている白いうなじも、男子生徒が憧れるような顔も、全部が近い!!


 視線のやりどころに困る! いや強い心を持て葉月鷲!


 こういう時見るべき場所は一つ! それは先輩の目!! 厳密にいうと目と目の間にある眉間だ!!


「そんな情熱的に見られても、何も出てこないぞ? 測り終わったようだな……熱は三十七度二分か」


「ありがとうございます。少し熱は下がりました。朝飲んだ薬のおかげでしょうか」


「それは良かった。それで食欲はあるのか? レインの返信を見るに、君、昼間は寝ていて何も食べていないだろう?」


 一条先輩は立ち上がると袋の中からスポドリを出して、僕の前に置く。


 先輩の言う通り、少しお腹が減っている。朝一に食べたお粥以外、今日は何も口にしていない。もう時間は十七時過ぎ。意識し始めたら、急激にお腹が減ってきた……。


 朝と違い、身体のだるさもないし、食べようと思えばなんでも食べられる状態だ。うん、食欲はあるかな。


「食欲はあります。インスタントのお粥の素が……」


「うむ、そうか。では私が夕食を作ろう。少し待っていてくれ」


 にこりと笑いながら、先輩は上機嫌な表情と雰囲気で台所に向かう。どうやらあのビニール袋に入っていたのは食材のようだ。


「ちょ……先輩に作ってもらうのは悪いですよ! それに体調も治りかけなんですし夜ご飯くらい……」


「ダメだ。体調は治りかけが一番油断ならない時なんだぞ。それにいつも惣菜パンを食べているであろう君に自炊のスキルがあるとは思えない。ここは私に任せておくんだ」


 ……全部先輩の言う通りで僕はソファに腰掛ける。その様子を見て、先輩は「よろしい」と口にした後、慣れた手つきで台所から調理器具を出していく。まるで自分の家かのように。


「君の母君は随分と調理器具にこだわっているな。いつか君に剣道だけじゃなくて料理を仕込むというのも悪くない」


「……僕だって料理の一つや二つできますよ。チャーハンとか」


「ほう? 是非とも今度ご馳走してほしいな」


「……体調治って予定が合えば作りますよ。今日のこともありますし。そのお礼として」


 慣れた手つきで料理を始めた一条先輩。その手がピタリと止まる。ソファと台所の位置関係からか、一条先輩の様子は見えないけど……どうかしたのだろうか?


「ふふ……ふふふふっ! そうか葉月君が私にご飯を……ふふっ! うふふふふっ!」


「あ、あの〜〜大丈夫ですかね先輩?」


 ところどころ何を言っているのか分からないけど、一条先輩の笑い声が聞こえる。次の瞬間だ。包丁の動きが凄まじく早くなる。そして……。


「君の料理を楽しみにしておくとしよう! そのためにも一刻でも早く君には回復してもらわないとな! 待ってろ! 今すぐに栄養満点の夕食を作ってやる!」


「テンションばり高くないですか先輩!? 一体何がどうして……」


「君がそうさせたのだよ! この女たらしめ! 私以外にしないほうがいい……変な勘違いを生んでしまうからな!」


「やっぱりテンション高い……」


 興が乗ったのかはたまた別の何かが乗ったのか。一条先輩は手早く料理を済ませて、僕の前に出来立てのうどんを置いてきた。


「これを食べて身体を暖かくすれば、すぐに治るぞ! 今日は特別に気分がいい。少し恥ずかしいがあーんをしてやろう」


「テンション高いどころかキャラ変わってませんか!?」


 僕の声なんて聞く耳持たないのか、レンゲにうどんを乗せて息を吹きかけて冷ます動作をする。


 息を吹きかける時、髪の毛を少し手でかきあげた動作に、少し心拍数が上がる。頬が熱くなるを感じていた。


「ほら、あーん」


 差し出されたレンゲを前にして僕はどうするべきか。鼓動が高鳴っていくのを感じながら、考えるのであった。

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