第34話 シチナ・ランプロス⑪
「フィーネさん、本当に行くんですか?」
「ええ」
フィーネは支度を終え、ゲートを展開していた。後ろからディアンがフィーネに質問をしている。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ」
ディアンが一歩近付き、同じような質問を口にする。
「やっぱり僕が訪ねた方が」
「ディアン、あなたやっぱり寝てた方が良いんじゃないかしら」
さすがに鬱陶しくなったのか、振り返って貼り付けたような笑顔で応戦する。
それを見て、ディアンは負けを認めた。二歩ほど後ろに下がり、フィーネを見つめる。
「じゃあ行ってくるわね」
「はい。お気を付けて」
フィーネはゲートをくぐった。
「よし。到着」
なぜ声を出しているかと言えば、それは外だからだろう。ランプロス邸を囲む壁の外側、門から離れた死角となる位置だ。
フィーネは今回も箱を使って、カリッドの部屋の窓から侵入しようとしている。
「ジェネレイト」
彼女の美しい手を空へかざすと、そう唱えた。フィーネの両足が収まる面積の箱が、一つ形成された。
彼女はその上に乗ると、箱を浮かせた。箱は歩く速さで空中を移動する。
フィーネは空を飛んだ。その姿は、まるで妖精のようであった。
そのまま目的の部屋へと向かう。
カリッドが窓際のベッドに座り、外を見ていることは事前に確認済みだ。いつも窓を開けており、風を感じながら何かを待っているようだった。
「!」
フィーネを視認したカリッドは、目を見開いた。人が空を飛んでこちらに向かってきているのだ。無理はない。
あと三メル程、ということろまで来るとスピードを落とす。ベランダの柵のすぐそばに箱を近付け、乗り移る。空間は、そのまま浮かせておいた。
「こんばんは、カリッドさん」
左手を腹部に、右手は後ろに回し挨拶をする。美しい洗練された動きであったが、ローブで隠されていた。
この時、彼女は笑みを湛えていた。しかし、目深にかぶったフードと背後から差す月光によって、カリッドには闇しか見えていなかった。
「……何か御用ですかな」
年齢の割に、しっかりとした受け答えだった。恐怖を感じていないのか、落ち着いていた。しかも、どこか落胆したような声にも感じられた。
「少し聞きたいことがあるの」
「私に答えられるものであれば、お答えしましょう」
柵から降り、ゆっくりと部屋の中へ踏み入る。
「ありがとう。では、単刀直入に」
カリッドの前で膝をつくと、顔を床に向けた。敬意を表すこの行為。これは、顔を見せないようにしている事実を相手に悟らせることなく会話ができる、一番自然なものだった。
「シチナさんのことを、ご存じでしょうか?」
「……ええ。シチナは私の実姉でございます」
(姉……!)
「では彼女のこと、教えて頂けませんか?」
しばらくの無言の後、カリッドはゆっくりと話し始めた。無言は肯定の意だったようだ。
「彼女は……、姉さんは、強く優しく、上品で、本当に美しい女性でした。私とは七つ年が離れていましてね、姉には可愛がってもらいました」
懐かしむような口調だ。
「姉が十八になったときでしょうか。縁談が舞い込みました。ライトン伯爵家です。前当主のオーウェン卿。あちらから打診がありました。一目惚れをしたと」
(ランプロスは、旧姓か)
記憶がない中で、シチナが辛うじて思い出した名前。それが、旧姓であるランプロスだった。思い出したのが現姓ではなく旧姓ということは、強く魂に刻まれている何か、即ち会いたい人が、婚姻前の期間で関わった誰かなのだと推測できる。
「当時、ランプロス家は借金が多く、いつ没落するか分からない状況で。そこに現れたのがライトン伯爵家です。ライトンが、借金を肩代わりするからシチナを嫁にくれと」
カリッドは辛そうに話している。いや、どこか怒りを含んでいるような、そんな様子だ。
(嫌々だったのかしら)
「家のために出ていった姉でしたが、結婚後は幸せに暮らしているようでした。オーウェン卿は姉を心から愛していましたから。……しかし、姉は最近亡くなってしまいました。オーウェン卿、葬式の時も号泣していたと、息子からの手紙に書いてありました」
今度は微笑みながら語った。
「そうでしたか」
結婚後に苦労したわけではなさそうだ。愛されて生きること、愛されながら死ぬこと、一般的には幸せとされる。フィーネもこれを幸せだと考える一人であった。
「カリッドさんは、シチナさんとお二人でどこかへお出掛けしたことはありましたか?」
「いえ。出掛けるときはいつも、従者が一人はついておりました。出掛けるのも王都へ買い物に行くくらいでしたね」
(シチナさんの会いたい人は、カリッドさんではない、か)
「シチナさんのお部屋は残っていますか?」
「ありません。私物は全て、ライトン邸にあるか、すでに処分がなされています」
(じゃあ、次はライトン邸ね)
「カリッドさん、本当にありがとうございます。私はこれにて、失礼させていただきます」
フィーネは立ち上がってお辞儀をし、ベランダへ出る。
「少しお待ちください」
カリッドがフィーネを呼び止めた。
「あなたはどうやってここに?」
「……風魔法でございます」
フィーネは背を向けたまま答える。
「なぜ姉のことをお調べになっているのでしょうか」
「ある方からのご依頼をお受けしているからです」
「私が……、この事を口外することは、考慮していないのですか?」
「口外した場合は……、申し訳ありませんが、カリッドさんとこの事を知っている者全員、始末せざるを得ません」
こうは言っているものの、フィーネは『それはあり得ない』と確信している。
部屋から出ないカリッドは、人と接する機会が極端に少ない。部屋に入ってくるのは、一日に二回、食事を持ってくる使用人だけだ。そして、その使用人との会話もなかった。
そんなカリッドが、誰に口外すると言うのか。
「……口外しないと誓います。その代わりと言ってはなんですが……、私の依頼も、受けては頂けないでしょうか」
カリッドはまっすぐにフィーネを見つめ、言った。
「……内容によりますね」
フィーネは空間を消した後、振り向いてカリッドを見る。
「私を、殺して頂きたいのです」
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