第33話 シチナ・ランプロス⑩

「うーん……」


 シチナとディアンと、昼ごはんを三人で食べた後。二階リビングにて、フィーネは左手に紅茶の入ったカップ、右手に空間を持ちながら困った顔をして唸っていた。


「どうしたんですか?」


 自室から出てきたディアンは、まっすぐ椅子に座るフィーネの元へ向かう。そして、彼女を心配し尋ねた。


「カリッドさんね? ずーっと、寝てるかベッドに座って窓の向こうを見てるか、そのどっちかなの。まあ睡眠時間すごい短いけどね。だからね、とりあえず言いたいのは、顔をこっちに向けてくれないってことなのよ」


 フィーネは手に持った空間とカリッドの部屋にある空間を繋ぎ、覗いていた。ディアンも顔を近づけて覗く。


 あの時、フィーネが転がした球体の空間は、コロコロと棚の下に入り込み、丁度良い位置に停止したのだった。


「……」


 ディアンは空間から顔を離してフィーネを見ると、目を細めた。


「な、何よ」


「いつ行ってきたんですか」


「昨日の夜だけど」


 フィーネがランプロス邸に侵入して、もう少しで一日がが経過しようとしていた。


「起こしてくれても良いじゃないですか」


「一人でできるんだから、ぐっすり寝てるあなたを起こすわけにいかないでしょう」


 もちろん本心である。彼女にもディアンを酷使し過ぎたという自覚があった。


「そんなこと言って、どうせ僕がいない方がやりやすかったんでしょう」


「……そんなこと、ない、わ……」


 ディアンを置いて行った理由の中で、それも一割ほど含まれていた。ゆえに、否定の歯切れが悪くなったのだ。


「と、とりあえず、それはもう終わったことよ。今はこっちでしょ」


 ディアンはこれ以上追及しなかった。そのため、二人は仕事の話に移行することになる。


 フィーネが観察していて分かったことは、カリッドは部屋を出ることはなく、起きていても窓の方を向いている、……これだけだった。それでは何もできない。


「その状態だと、シチナさんにも確認できないですね」


「そうなのよね……」


 ずっと部屋にいるのなら、フィーネが侵入することはできない。こちらに顔を向けないのならば、シチナの記憶と照らし合わせることもできないのだ。


「もういっそのこと……」


 ディアンは何かを言いかけて、その口を閉じた。


「何よ。気になるから言いなさい」


 フィーネの無言の圧に屈し、話し始める。


「いや、あの……、僕がカリッド卿との面会を強行すれば良いかなと。その時フィーネさんもお連れすれば」


「あら、そんなこと貴族の何かしらに反する行為じゃないの?」


「それはそうですけど」


 できもしない事を口に出すのが憚られたため、先程ディアンは途中で口を閉じたのだった。


 貴族は、面会の際は事前に手紙で約束をしておく必要があるのだ。緊急時は面倒くさい不文律である。


「そうねえ……。直接会う、かあ……」


 空間の箱に映る、ベッドで寝ている男を見ながら呟いた。


「冗談ですから。止めてくださいよ」


 ディアンは、フィーネから不穏な言葉が紡ぎ出されて焦る。


 彼としては、彼女を危険に晒すことや、彼女の気分を害するようなことにはなってほしくなかった。

 フィーネが直接会いに行く。この行動は、彼女が禁忌魔法使いだと露見してしまう恐れがあるものだ。もしものことを考えると、ディアンの肝が冷えてくる。


「あら、あなたが冗談を言うなんて珍しい」


「それはフィーネさんが、…………いえ、なんでもありません」


 『それはフィーネさんが言えと言ったからじゃないですか』と、最後まで続くはずだったが、またもや彼女からの無言の圧によって彼の口は閉じられた。


「あなたも飲む?」


 フィーネがカップを見せながら聞いた。


「いえ。これから少し剣を振ってこようと思います」


 ディアンが自室に戻っていたのは、服や剣を準備するためだった。いつも修練の時に着用している、動きやすく通気性のよい服を着て、左手には木剣を持っていた。


 休暇だからといって、修練を怠れば腕は落ちていく。私兵はともかく、王宮騎士団に所属する騎士たちは、自分に厳しい者が多い。また、自分の技術向上に愉悦を覚える者も多かった。

 休暇で剣筋が鈍ることはご法度だった。暗黙の了解である。強者揃いの王宮騎士団で上を目指すディアンにとっても、それはあり得なかった。


「分かったわ」


 フィーネは紅茶を一口飲むと、そのカップを置いた。右手の箱を再度見始める。


「フィーネさん」


「なに?」


 目は空間から離さず、耳だけ傾ける。


「本当に行くなら、僕にも一言下さい。起こしてください」


「……行くのは私一人だけなのに?」


 フィーネは言いながらディアンの方に顔を動かす。


「はい。というか、また僕をのけ者にしようとしましたね?」


 ディアンはずいと顔を近づけた。


「ふふ、そんなに寂しかったのね?」


 フィーネはディアンの思いとは裏腹に、恥ずかしがるどころか余裕の笑みで、彼の頭を撫でた。


 完全な子供扱いだった。


「違いますよ」


 ディアンはすっかりヘソを曲げ、フィーネの手を払う。そして、窓から飛び降りるとさっさと森に駆けていった。

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