第31話 シチナ・ランプロス⑧

「今平気?」


 ローブのフードを目深に被ったまま、作業に没頭する男にそう訊いた。


 ディアンがランプロス邸で奮闘する中、フィーネは彼の実家であるフォルシュリット邸に再度来ていた。


 断りも入れず、フィーネは部屋の中央にあるテーブルの両側に置かれた椅子のうち、窓側に座る。これはゲラーデが来客と仕事の話をするときに使用するものだった。


「いや、忙しい」


 ゲラーデの言葉は嘘ではない。机には書類が山のように積まれており、それを捌くので忙しそうだ。


「君はいつもどこから侵入しているんだ?」


 しばらく黙っていると、目は書類に向けたままゲラーデが訊いた。


 フィーネはこの男に素顔を見せたことがない。彼は声と背格好から、この怪しい人物がフィーネであることを判断している。


「窓からよ」


 フィーネは窓に顔を向ける。ゲラーデもそれにつられて窓を見た。しかし、すぐに何か疑問を見つけたらしく、視線を戻しフィーネを凝視した。


「ここは二階だぞ? それに鍵も閉められているが?」


 窓は全て閉まっており、さらに鍵もかかっている。

 彼女なら入ってからすぐ話しかけるはずなのに、窓を閉めて鍵もかける余裕があったのか。閉めたとすれば音で気付くはずなのに、と疑問に思ったようだ。


「二階なんて、魔法で入れるでしょう。鍵は私が閉めてるの。入った後にね。あなたが気付くのが遅いだけよ」


「先ほどはディアンも突然現れたようだが」


「ディアンも窓から入ったのよ。彼は風魔法が得意でしょ?」


 フィーネは平然と嘘をついた。


「いつもは君一人だよな。……君も風魔法使いなのか?」


「さあね」


 ゲラーデはこれに関して深く追及することはやめ、次の疑問を投げ掛ける。


「それに、君は馬車で出掛けたのではなかったか?」


「ディアンに行ってもらったの」


「なぜその息子は休暇なのにも関わらず、ここに帰ってこなかった?」


「あら、それはうちの方が好きだからでしょうね」


 納得できなかったものの、これ以上追及しても意味はない、とゲラーデは口を閉ざす。少し拗ねたような表情だ。


「ディアンのこと、あなたがしっかり愛していたのは分かってるから」


 彼は手に持っていた書類を机に置くと、手を組みそこへ顎を乗せた。


「で? 用件は」


 ゲラーデは諦めたように言った。フィーネは用が済まなければ帰らないことを知っているのだ。


「ランプロス家について教えてくれない?」


「……ランプロスも何かあるのか?」


 ゲラーデは顔をしかめた。


「今回は珍しくウィンカルの件を確認しに来たのかと思っていたが」


 タイラーの依頼の時のように貴族の犯罪が明るみに出た場合、後処理をするのはゲラーデである。毎回フィーネに頼まれているのだ。

 証拠が揃った状態で彼女から話があるため、ゲラーデは断るに断れない。なんだかんだ言って、押しに弱い。


 処理と言っても、証拠をもって本人を脅すか、王の側近に直接密告するか、処理せず後に取っておくか、そのどれかである。

 証拠は毎回揃いすぎているため、脅せば大抵はゲラーデの言いなりとなる。ただそうなれば、謀反を企てているのでは、などとあらぬ誤解を生む可能性が否定できない。

 よって、王の側近に何度か処理を任せているのだが、当の側近は『そんなもの黙認しておけば良いものを』と、ゲラーデを仕事を増やす、面倒事を増やす厄介なやつ、と認識している節がある。彼がもってくるのが国家を危機に陥れる事案ではないからだ。

 ゲラーデは危機感を覚え始めていた。そのため、最近はほとんどを処理せず残しているようだ。


「違うわよ。後処理とかそういうの興味ないのよね。あと、ランプロスは何もないから。今のところ」


 証拠を渡した後はゲラーデに任せきりで、その後どうなったかを彼女が訊きに来たことは一度もない。悪人が裁かれたかどうかは、風の便りで聞くことができるため、わざわざここに赴く必要がないのだろう。


 彼女はゲラーデに手柄を渡すことで、これからも迷惑をかけても大丈夫と思っているのだ。彼にとっては無論、迷惑でしかないが。


「じゃあ何を聞きたいんだ?」


「……家族構成とか?」


「自分で調べればいいだろう」


「自分で調べてるから訊きに来たんでしょ?」


 ゲラーデはすでに、フィーネとの言い合いは時間の無駄だと学習している。


「ありがとー」


 ゲラーデが立ち上がり移動するのを見て、フィーネは了承の意で受け取った。


 彼はフィーネの向かいに座った。


「茶は出せないが」


「大丈夫よ」


 その答えを聞き、ゲラーデは話し始める。


「ランプロス家は、男爵の伯をもらっている。現当主はデリック。妻と娘が一人ずついる。コリーヌとジェインだ」


 これで先程の女の子は、デリックの娘であると判明した。


「先代は?」


「先代? 先代はカリッド卿だ。妻と息子が一人。その息子が現当主だ」


「カリッドさんはまだ生きてるのよね?」


「ああ。ただ、いつからかめっきり顔を見せなくなってな。何か重大な病気でも患ったのではと言われている」


 それを聞いてフィーネはほっとする。ディアンの知識はあまり信用できるものでなかったからだ。

 彼は、貴族の義務、ついて回る問題に無関心であり、いざこざに巻き込まれるのを嫌う。ある意味で無責任なのだ。


「奥さんの名前は何て言うの?」


「カリッド卿のか? 亡くなっているぞ?」


「ええ、構わないわ」


 覚えていないのか、ゲラーデは少し考える。


「確か……、ああ、そうだ。ジーナだ」


「じ、ジーナ?」


 似ているが、『シチナ』とは確実に違う。


「ああ。早くに亡くなったと聞く」


「……なんで?」


 なぜ名前が違うのか、という疑問で発した『なんで?』だった。知らぬ間に口からこぼれた言葉だ。

 またしても一筋縄ではいかないようで、フィーネは肩を落とす。


「原因までは知らない」


 その『なんで?』を、ゲラーデは死因を尋ねたのだと勘違いした。


「……屋敷はいくつ持ってるのか分かる?」


「詳しくは分からないが、一般的には領地の屋敷と、王都の屋敷……この二つじゃないか?」


「あなたは別荘いくつも持ってるのに?」


「……爵位が違う」


 爵位によって与えられる領地には差がある。さらに、財産にも関わっていると聞く。

 貴族の中で爵位というものは、権力や財力に関わる重要なものなのだ。


「そう……」


 フィーネは今後の予定を立てていく。顎に手を当て、考え込む。


「質問は終わりか? それなら早く帰ってくれ。仕事がまだ残っているんだ」


 黙るフィーネを見て、ゲラーデは立ち上がってから言った。


「うーん、もう一つお願いがあるのよ」


 彼女は一旦思考を止め、若干の猫なで声で話す。


「……聞きたくないな」


 嫌な予感がして拒否をするも、フィーネには通じない。


「お腹空いた」


「……は?」


 予想外すぎて、ゲラーデの口からは変な音が出ていた。

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