第14話 タイラー・ポーヴル⑬
コンコン、とフィーネはクロッツのドアを叩いた。
彼女はこの音を出すのが嫌いだった。
「お帰りなさい、フィーネさん」
タイラーは扉を開けて、ニッコリと笑った。
「どこで寝泊まりを?」
「近くの宿に」
嘘である。ゲラーデに頼み込み、使わない客室の一つを貸してもらったのだ。もはやフィーネの部屋と化しているのかもしれない。
中に入れば、椅子から立ち上がったカーラが悲しげな顔でフィーネを見つめた。
「お時間でございます」
そう告げると、タイラーはドアから離れ、荷物をまとめ始めた。遅れてカーラもそれを手伝う。
「パパ、ママ、どうしたの?」
シルムが目を擦りながら寝室から姿を現した。すでに眠りについていたのだろうが、何かを察してか起きてきたようだ。
「あ! フィーちゃんだ!」
フィーネの存在に気が付くと、走って彼女の元へ向かった。フィーネはしゃがんでシルムを受け止める。
「久しぶり、シルム」
「うん! 久しぶり!」
体を離し、二人は手を繋ぐ。
「楽しかった?」
「楽しかった! フィーちゃんも一緒にいれば良かったのにー!」
「ふふ、そうね」
シルムの願いも叶えてあげることができて良かった、とフィーネは安堵した。ただ、これからすぐにシルムの笑顔を奪うことになるため、彼女の微笑みには憂いが生じている。
「フィーネさん」
カーラの声に、フィーネは立ち上がった。
「では、行きましょうか」
「はい」
「どこに行くの?」
シルムの問いには、誰も答えなかった。答えることができなかったのだ。
フィーネがドアを開け外に出た後を、カーラとシルム、そしてタイラーが続く。
「シルム、しっかり食べて、大きくなるんだぞ。愛する人と一緒に、幸せに生きなさい」
玄関前で最後の挨拶を交わしているのを、フィーネは階段を下り、石畳を少し歩いたところで見守った。
「好き嫌いしないから、すぐおっきくなるよ!」
「そうか……! そうだな!」
タイラーは娘を抱き締めた。
立ち上がり、夫婦で見つめ合う。
「カーラ」
「なに?」
「君も、幸せに生きて。愛しているよ」
「私もよ……」
二人は笑いあった後、抱き締めた合った。
名残惜しそうに離れた二人を見て、フィーネは目をそらした。そのすぐ後に、階段を下りる音が聞こえてくる。フィーネも石畳を進む。
「……パパ?」
シルムの声にフィーネが振り向いた。
タイラーはその場から動いていない。石畳には降りずに二人を見送るようだ。
「ねえ、ママ。パパ来てないよ。待とうよ」
シルムはカーラのところまで走り、手を繋いだ。少し引っ張るようにして、戻ろうとする。
だが、カーラはシルムと手を繋いだまま前進した。
「ねえママ! 待って! ママ!」
シルムの悲痛な叫びが、森にこだました。
庭の少ない光源では、夜の闇の中でカーラの表情を暴くことはできなかった。
フィーネが門にたどり着いた後、二人もすぐに到着する。シルムは途中で抱きかかえられたようだ。
「カーラ様、シルム様。クロッツのご利用、誠にありがとうございました」
カーラは静かに泣いていた。
「パパああぁー!」
シルムは大声で泣いている。今生の別れと理解はしていなくとも、感じ取ることはできるのかもしれない。
「コネクト」
フィーネが唱えると、アーチ門はゲートへ変貌する。
「フィーネさん、本当にありがとうございました」
カーラは、ゲートへ進むことができなかった。
そして、「あの……」とフィーネに話しかけた。
「これで、良かったんですよね……? 別れがたくなっちゃうから、何があろうと玄関を離れた後は振り返らないと二人で決めて……。でも、名残惜しいんです……。シルムだって、こんなに泣いていて……」
「……タイラーさんも、今にも走り出したいところを、懸命に、必死に抑えていると思いますよ。……お二人で決めたことなのでしょう?」
カーラは「そうですね。私って、バカだなあ」と泣き笑いで言った後、一礼し振り返ることなく、シルムとともにゲートをくぐった。
フィーネはゲートが消失したことを確認すると、石畳を戻っていく。階段下まで着いたところで、タイラーに声をかける。
「タイラーさん、行きましょう」
「はい」
タイラーは階段を下り、フィーネの少し後ろを歩く。
「……カーラの手料理が食べられました。カーラの作る少し固いパンが好きで、それをスープと共に食べると美味しいんです」
「はい」
「シルムと一緒に寝ることができました。寝付きが悪くて、何度も絵本読めとせがんでくるんです。幸せそうに寝る姿は、癒しなんです」
「はい」
門に着くと、フィーネは振り向く。
「何より、もう一度、二人に会えた。感謝を伝えることができた。……フィーネさん、本当にありがとうございます」
タイラーは深く腰を折った。
「……僕は、死んで目覚めて、なぜかここを目指していたんです。この店のことなんて、知ってるはずないのに、ここにくれば助けてもらえるって、確信があった」
顔を上げたタイラーの目からは、涙が流れていた。
「フィーネさん、あなたは不思議な人です。さっきの魔法は、空間魔法ですよね。なのに、怖くない。あの話と違う……」
「……禁忌魔法は、強大な力です。人々は、この危険な魔法から身を守るために、大切に語り継いできたのでしょう」
「でも、……」
「少なくていいんです。一人でも良い。本当の私を知っている人が、一人でもいてくれれば、私はそれで良い」
タイラーは笑った。
「そうですね。その通りです」
彼は、フィーネの頭上へ目をやった。
「この階段、フィーネさんには見えていますか?」
フィーネは後ろを向いた。彼女には見えている。
門の外には、空へと続く階段が輝いている。
まろやかな黄金の光を発するそれは、星のように美しい。
「カーラたちが来る前日からなんです」
「その前はなかった、と」
「はい」
死者の魂の前に現れる、神の元へ繋がるとされる階段。結局のところ、あの世へ行くための階段、というわけだ。
教会の教えにもあるこの階段。作り話の多い教えの中でも、これは事実に則っているようだ。しかし、実際に見たことがあるのは、階段を登った者とフィーネくらいだろう。
「神は、タイラーさんに願いを叶えて欲しかったんですよ」
「優しい神様なんですね。少し安心しました」
別れの挨拶の時間だ。
「タイラー様。クロッツのご利用、誠にありがとうございました」
「はい。本当に、ありがとうございました」
フィーネは完璧なカーテシーを、タイラーは見よう見まねなボウアンドスクレープをし、くすくすと笑い合う。
タイラーは階段に足をかけ、ゆっくりと登っていく。足の離れた段は消えていき、戻ることはできない。だが、彼はそれに気付くことはない。常に上を向いて登っていく。
「タイラーさんは、帰れない魂だったんですね」
フィーネはそう呟いた。
彼女は、彼の姿が見えなくなるまで、その場で見送り続けた。
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