第13話 タイラー・ポーヴル⑫

「改めまして、フィーネと申します」


 フィーネは、上半身を折るようにお辞儀をした。簡単な動作なのに、とても優雅であった。


「フィーちゃん!」


「シルム、会いたかったわ」


 フィーネとシルムは再会の抱擁を交わした。


「シーちゃん、この方と知り合いなの?」


「うん! いっぱい遊んでもらった!」


「そうなのね。フィーネさん、ありがとうございます」


 カーラは多くを聞かなくとも、不思議と府に落ちた。きっと、夫の依頼のために尽力してくれたのだろうと、そう確信した。


「いえいえ」



 夜、カーラを連れて戻ったフィーネは、まずネリタの家を訪ねた。

 一刻も早く、ネリタと、そしてシルムと会ってほしかったのだ。


 その再会の様子は感動的で、遠くから見守っていたフィーネの涙腺は決壊寸前だった。



 そして、今日で依頼を受けて五日目。タイラーの魂の限界は、無情にも近づいてきている。少しでも長く、最後の時間を家族で過ごして欲しい。


「カーラさん。タイラーさんに会いに行きませんか?」


 カーラに出されたお茶を飲みながら、交渉を開始した。

 先ほど、シルムはネリタに預けられたのだが、これはカーラがそうした方が良いと判断したからだ。

 その前にシルムに聞いたときは、「パパに会えるの?! 行く!」とすぐに了承した。


 カーラもすぐに了承すると思っていた。だが、目を輝かせてそう言ったシルムに対し、カーラの表情は、複雑であった。


「……あの、夫は、……生きているのですか?」


 すがるように、フィーネを見ている。

 でも、現実は残酷だ。


「いいえ、お亡くなりになっています」


 包み隠さず、伝える義務がある。


「ど、どう、して……っ。……ああ、あああ……!」


 カーラは絶望し、手で顔を覆いながら泣き始めた。

 ガシェーに捕まってから、彼女は夫の無事を願うことで自我を保っていたのだ。


「わ、私が、っ彼と、結婚したから……! だから、彼はし、死んで……。っああ、……私が、いな、ければ……!」


「それは違います」


 ピシャリと断言した。

 カーラは驚いて、大きな目をさらに広げた。涙も止まったようだ。


「あなたがいなければ、シルムはいない」


 だが、また、少しずつ涙が溢れてくる。


「タイラーさんは、死んでなお、お二人に会いたいと願った。それほどまでに、あなたたちを愛している」


「ふっ、うう……」


「あなたがいない人生は、タイラーさんにとって、幸せなものになるのでしょうか」


「うっうう……ああ、ああぁぁ……!」


 フィーネも微笑みながら、一粒涙を流した。



「あ、あの……」


 しばらくして泣き止んだあと、静かに口を開いた。


「どうなさいましたか」


「……タイラーに、合わせる顔がないんです……」


 ポツリと不安をこぼした。

 きっと、ガシェーとのことを気にしているのだろう。


「人が亡くなった後、想いを伝え合う機会など、本当は存在しないのです」 


「タイラーさんが私の家、クロッツを見つけてくれたから、私はこうしてあなたを助けることができた。あなたはまたシルムとも言葉を交わすことができる。そして、旦那さんへ最後に、感謝を伝えることができる」


「あなたの大切な人が与えてくれたせっかくの好機を、逃して良いのでしょうか」


 カーラは下を向いたまま、何も言わなかった。


「翌日、もう一度、お迎えに参りますね」


 フィーネはそのままポーヴル家を後にした。




* * *




 翌日、早朝。ポーヴル家の中。

 そこには、カーラとシルム、そしてフィーネがいた。

 母娘は、少し緊張しているようだ。母の手には、大きな荷物がある。家族の時間を過ごすために、必要なものが詰まっているのだろう。


「さあ、参りましょうか。このゲートを通っていただけますか? クロッツへ繋がっております」


 いつの間にか出現していたゲート。それを見て、ゲートという単語を聞いて、カーラは何かを思い出しそうになる。


「ゲート……。あなた、まさか……!」


 カーラは事実に気が付くと、少しだけ足を引いた。


「……大丈夫ですよ。危険はありません」


 フィーネはなだめるように、笑顔を崩さず話す。


「では、私は先に行きますね」


 そう言うと、フィーネはゲートを通った。


「ママ、どうしたの? 行かないの?」


 シルムは不安そうに聞いた。娘は、母が何に怯えているのか、分かっていない。


「……いいえ、行くわ。だって、パパに会えるんですもの」


 母娘はお互いに笑顔を見せた。そして、どちらともなく手を繋ぎ、ゲートをくぐった。


 ゲートは、庭の門に繋がっていた。


「……!」

「わあ! きれい!」


 母娘は庭の美しさに惚れ惚れした。辺りを見渡し、感嘆の声をあげる。


「お待ちしておりました」


 声のした方を見ると、ブロンドの髪をなびかせた、店の主人が立っていた。母娘は、彼女のローブを脱いだ姿を見るのは初めてだった。


 石畳の上で、丁寧にお辞儀をするフィーネ。お辞儀は最上級の、スカートの裾を持ち上げてするカーテシー。彼女のそれはとても優雅で、誰もが見とれるものだった。


「ご案内致します」


 母娘はキョロキョロとしながらフィーネについていく。


「ママ、とってもきれいだね」


「ええ、そうね」


 もうカーラの中に、恐怖の感情はなかった。


「お入りください」


 二人が玄関まで来ると、フィーネはドアを開ける。


「あ! パパ!」


「シルム!」


 タイラーが腕を広げると、シルムは迷わず飛び込んでいった。


「会いたかったよ」


「シルムも会いたかった!」


 父娘の再開にフィーネは涙を流した。


「……あなた」


 カーラは泣きそうなのをこらえて、タイラーに近づいた。


「カーラ……」


 しかし、タイラーと一度目が合えば、押さえきれずに溢れてくる。


 そして、家族三人の抱擁となる。

 夫婦は涙を流し、シルムだけが笑顔であった。


「私が帰ってくるまでの一週間……、家族団らんの時間をお楽しみください。それでは、失礼致します」




* * *




「やっほー」


 フィーネはある屋敷の部屋の扉を開け、軽い挨拶をした。


「誰だ」


 低音の声を響かせたのは、この屋敷の主だ。

 四十代前半で、黒髪に白髪が混ざってきている。細身だが、剣術に優れているので見た目より屈強だ。


「私よ? 忘れちゃったの?」


「ああ、君か。私としては忘れたいが」


 書類から顔を動かさず、男は答えた。


 フィーネと対等に話すこの男は、ゲラーデ・フォルシュリットだ。侯爵家当主である。


「朝早くから尋ねないでくれ」


「良いでしょう? また美味しい案件を持ってきてあげたんだから」


「面倒くさい、の間違いだろう」


「あら、いっつもそう思ってるのね? 心外だわ」


 埒が明かない、とゲラーデは頭を抱えながら、観念したように口を開く。


「……今回はなんだ」


「ガシェー・ウィンカルの不正について。あと殺人」


「はあ。これまた面倒くさいものを持ってきてくれるな」


「これが証拠よ。よろしくね」


 ドン、と机の上に紙の束を乗せ、答えを聞くことなく、フィーネは部屋を後にした。


「…………はあ……」


 ゲラーデの大きなため息が、部屋中に響いた。


「あ! あと!」


 廊下から大声が聞こえたと思えば、閉まったばかりのドアが開く。


「声が大きい。皆が気付くぞ」


「あらそう? ごめんなさいね」


「今度は何だ」


 ゲラーデは怪訝な顔つきで仕方なく聞いた。


「…………また寝床を、貸して欲しいんだけど……」


「はああああ」


 先ほどとは比べ物にならないくらい、大きなため息だった。

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