第12話 タイラー・ポーヴル⑪
(ずいぶんと大変なことになってたのね)
フィーネは、領主館の東側、一番奥の部屋を目指して全速力で走っていた。全速力ではあるが、足音は一切出ていないのが不思議である。
なぜ東棟なのかと言えば、それは埃の有無だ。
西でも北でもないなら、東しかない、とフィーネはまず東棟へ向かった。そこで、この事実に気が付いた。
この棟は、掃除がなされていない。すなわち使用人すら立ち入らない場所、もしくは入るなと言われている場所なのだろう。
ならば、そこにいる確率が高い。
「あっ、や、やめてくださっ……! ああっ」
「ふっ、本当にやめて欲しいのか?」
フィーネが最奥の部屋にたどり着くと、男と女の声が聞こえた。
(入るのにとても勇気がいるわね)
数回深呼吸をして、扉の取っ手を掴む。
(せーのっ!)
心の中で自分に合図を出し、扉を少しだけ開ける。その隙間にするりと体を滑り込ませ、物音を立てず部屋へ入った。
そこで行われていたのは、想像通りの行為。
女は泣いていた。それは暗くても分かった。
今度はコツコツ、とわざと足音を立てながら、二人のいる大きなベッドへ近づいていく。
「誰だっ……」
ガシェーが気配に気付き振り向いた時にはもう、彼の足は中に浮いていた。背中は壁につき、首にはフィーネの左手があった。
「ねえ、カーラさん。あなたはこの人を愛してる?」
フィーネは男から目を離さずに、カーラに話しかける。
見ずとも、彼女が怯えきっているのは感じ取れた。
現時点で、フィーネの中には二つの仮説がある。
一つは、ガシェーとカーラがお互いを愛していて不倫関係にあるということ。これなら、まだ良いのだ。いや良くはないが、二つ目の説よりは断然良い。
そして、問題の二つ目。それは。
「……い、いいえ。いいえ! 私が愛しているのは、夫だけです。タイラーだけです……!」
「……そうですか。……カーラさん、あなたは私に何をして欲しいですか」
「え?」
突然の質問に、カーラは動揺した。
見知らぬ人が急に乱入し、ガシェーを襲い、自分には訳の分からない質問をする。思考が追い付かないのも無理はない。
「私は、タイラーさんの依頼でここへ来ました」
「……!」
カーラが息を飲んだのが分かった。
「何をバカなことを!」
ガシェーは心底驚いた顔をした。
「あなたは黙っていれば良いのよ。こんなに醜い人間、触りたくもない」
フィーネの左手に思わず力が入る。
「っこ、小娘ごときが、……!」
ガシェーは小太りの中年男性だった。
フィーネの言葉だけでなく、若い女に片手で身動きを封じられているというのも、屈辱であろう。
「……うぅ、た、タイラーに……。会わせて、下さいっ……!」
カーラは泣きながら、だがしっかりと、自身の願いを口にした。
(二つ目の方だったようね……)
「分かりました」
そう答えると、フィーネは不敵に笑った。
「ねえ、見てガシェー。これは何かしら?」
あらかじめ作っておいた透明化したゲートから、書類を取り出す。カーラには、空中から突然紙が現れたように見えたことだろう。
「は、離せ……!」
「黙りなさい。もしかして、殺されたい?」
さらに強くなった左手に怯え、ガシェーは暴れるのをやめた。
「これで、は。み、見えない……!」
「見えなくても見なさいよ」
そう言われ、ガシェーは顔を下に動かした。
首を絞められながら下を向くのは自殺行為であるが、彼はやるしかなかった。
「…………。っ! な、なぜそれを!」
「あら、ここまで入って来た私に、それ言っちゃうの?」
「くっ!」
「これ、二人の領民に払った金ね? しかも税金から出してる。ほんと呆れちゃうわ。なんで自分のお小遣いから出さないのよ。ま、自分で出したとて、悪いことに変わりないんだけど」
先ほど見た資料の中に、領地運営に当てるべき税金が、領民へ流れている旨の記載がされているものを発見したのだ。
「今から、ことの顛末を話すから、合ってたら頷いてね?」
フィーネは左手でガシェーを拘束したまま、話し始めた。
「まず、あなたは一年前、久しぶりに領地視察へ来た。その際に見つけたのね。美しいカーラさんを。あなたは彼女に一目惚れし、妾にしようとした。しかし、カーラさんには夫がいた。だから手が出せない。……でも配偶者がいることなんて、権力者には関係ないわよね? 平民なら構わず連れていけば良い。でも、あなたはそうしなかった。なぜか」
ゲートに手を入れ、もう一枚の書類を取り出した。
ガシェーに見せつけながら話を続ける。
「過去に一度、平民の夫婦の妻を妾に取ったとき、あろうことか裁判にかけられた。そして、なんと有罪。たくさんのお金が去っていったでしょうね。今回はそれを恐れて、カーラさんを未亡人にしたかった。……なんとまあ愚かだこと」
罵倒にガシェーの顔が歪む。
「タイラーさんから金を搾り取ったり、家に火をつけたのもあなたね? で、それでも死なないもんだから、我慢ならなくなって、最終的には私兵を使い、手を下した。そうでしょう?」
「え、ど、どういうこと、です、か……?」
静かに聞いていたカーラが、口を開いた。
「最近はタイラーさんの体調面に心配はありませんでしたか? それはガシェーの差し金が、彼のお金を取っていたからなんです。そしてそれをあなたに悟られないように、タイラーさんは働きづめだった。それと一度、ご自宅で火事が起きたことがありますね? それはガシェーが、私兵……炎魔法を使える兵である、エドガーさんに火をつけさせていたのです」
今度は書類を三枚取り出し、カーラに渡した。
領民表と騎士名簿、金の流れが書かれているものだ。
「次に、タイラーさんの失踪についてですが、これもガシェーが仕組んだことでした」
「え……?」
「タイラーさんが失踪した日の朝、単発の仕事を探している途中でユハさんに声をかけられたようです。ガシェー、あなたはユハさんの気持ちを悪用した。タイラーさんは騙されていることに気付かず、ついていってしまった。そして、四人で人気のない森の奥地に着いたところで、エドガーさんに後ろから剣で斬られ、亡くなった」
「そ、そんな!」
悲鳴にも似た声だった。
夫は生きている、そう信じていたのだろう。
「エドガーさんがタイラーさんの遺体を燃やした後、その場に埋めた」
「そんなもの! あやつが騙されるのが悪いだろう」
(あら、案外あっさり認めるのね)
「あなたは、エドガーさんについていくのがユハさんだけでは怪しまれると思い、もう一人計画にまきこんだ。それがドンクルさん。金に困っているドンクルさんに金を渡し、タイラーさんと共に討伐へ行く領民を演じさせたのでしょう。全てが終わった後、一部始終を見ていた二人も殺させたわね? タイラーさんが埋まっていた所から少し離れた場所で、二人分の骨を見つけたわ」
タイラーの骨を見つけた後に、フィーネは他にも骨を発見していた。
「ふん、皆独身で生きる希望もない、どうしようもない奴らだ。殺そうが勝手だろう」
「いいえ、皆等しく尊い魂なのよ。あなたに価値を決める権利はない」
「あ、ああ! や、やめろ……!」
フィーネは左手を締め上げた。
「そして、母娘だけとなった自宅へエドガーさんを向かわせた。カーラさんを捕らえ、家臣でさえ寄り付かない東側のこの部屋へ閉じ込めた」
館の東側は手入れがされていない。奥へ行くほど埃が溜まっていたのが、証拠である。
「その後、エドガーさんを殺したでしょう。ご家族には移動中の転落死と偽って。一人に全てやらせて、いらなくなったら……。合っているわね?」
「合っていたとして、お前には、私をどうすることもできないだろう」
ガシェーは勝ち誇ったように言った。
「あなたは頭が悪いのね。この状況でそんなこと言うなんて……。さっきはああ言ったけど、あなたの魂は別よ。とっても穢れているわ。この世にいなくてもいいんじゃない?」
フィーネは笑顔を作った。
月明かりに照らされ、ガシェーは彼女の顔を初めて見た。怒りを隠すその笑顔は、この世の何よりも美しいものだっただろう。
「ひっ! や、めろ……!」
ガシェーはみるみるうちに青ざめていく。直前までの自信はどこへ行ったのか、命乞いを始めた。
「社会的には無理でも、物理的に殺すことならできるわよ」
「や、や"めて、く、れ"……!」
その一言を最後に、ガシェーは気を失った。
フィーネは手を離し、彼の体は床に打ち付けられた。
「りょ、領主様は……?」
「気を失っているだけです。ご心配なさらず」
辺りに散らばった紙を集めながら答える。
「そう……ですか……」
「では服を着ていただけますか? 家に帰りましょう」
「……はい」
カーラの準備が整い次第、フィーネはカーラを抱え、全速力で館を駆け抜けた。巡回する警備兵に気付かれることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます