第2話 タイラー・ポーヴル①
シンプルな造りの木造の家が一軒。
二階建てだがそこまで大きくはない。ウッドデッキには、使い込まれたロッキングチェアとローテーブルが置かれている。
決して洒落た建物ではないが、木のあたたかさと、素朴さは趣があると言える。古いながらもまだまだ健在だ。
特筆すべき点を挙げるなら、やはり庭だろう。
小屋を中心として円状に白い柵をめぐらせ、その中で多種多様な草花が育てられていた。
アーチの門から玄関下の階段まで続く石畳を除いて、花壇や畑が並んでいる。配置も良く考えられており、草花それぞれが最も映えるところに正確に植えられている。
それはイデアルト王国の王都からずっと離れた、深い森の奥にひっそりと建っている。
王都と一番距離のある村が最寄りというほどだ。しかし、最寄りと言えども、歩けば一刻はかかるほど離れていた。
家を隠しているこの森は、四季の移ろいを良く表現してくれる。春には様々な花が咲き、夏は動物たちが湖で水しぶきを上げ、秋には美しい落葉の雨が降り、冬にはしんと静まり返った中で生命が力を溜めている。
美しくても、ここには誰も来ない。
迷いを生じた者が、まるで最初からこの店を知っていたかのようにやって来るのみ。
いや、多くの生命はこの地を好み、選んだ。例外が人であるだけだ。人だけ、この美しさを知らない―――。
「フィーネさん起きてください!」
フィーネは髪の毛を引っ張られる感覚で目が覚めた。
昼寝に最適な、ちょうど良い気温の晴れの日だった。本を読んでいて、いつの間にか睡魔に襲われていたらしい。
「ん…………」
彼女は右目にかかった髪をかきあげながら、自分を起こした正体を確かめる。
「んー? ……ああ、マイヤちゃん。いらっしゃい。……どうしたの?」
まぶたを擦りながら、寝ぼけて客に対する定型文を言った。
「どうしたのー? じゃ無いですよ! お客さん来てますよ! フィーネさんが対応しないから、あの人湖まで来て泣いてたんです!」
マイヤは水の精霊だ。フィーネにとって数少ない友人の一人である。水色の美しい髪と瞳、小さな身体に生えた薄く神秘的な羽を輝かせながら、彼女に説教をしている。
「あら、そうだったの。ごめんなさいね。……でも、泣いたのはただ感動しただけじゃないかしら?」
窓から見ることはできないが、ほど近くに湖がある。とても美しく、見た者は誰もが涙を流すだろう。
そこには多くの水の精霊が住んでいる。マイヤ曰く、水の精霊王もいるらしい。長く住んでいるフィーネでも、その姿を見ることはできていない。
「まあそれはそうかもしれませんね! ……でも! ただでさえお客さん少ないのにそんな対応じゃッ?!」
フィーネはマイヤの小さな口を、人差し指で優しく押さえた。
「私の傷を抉らないで」
だがマイヤの言う通り、客は少なくなっている。同業者はいないはずなので、仕事が奪われているわけではない。
いや、この仕事が少なくなるのは、むしろ良いことではないか。皆が迷わず、自分の生を謳歌できているということなのだから。
「教えてくれてありがとね。お客様はどこにいるの?」
「今はまたそこでウロウロしてますよ」
マイヤは窓の外を指差した。フィーネはつられて窓の方を見ると、庭の柵の向こうで、男が頭を抱えながら歩き回っているのが確認できた。
「……分かった。ありがとう。じゃあお客さんを出迎えてくるわね」
フィーネは立ち上がり、凝り固まった身体を伸ばした。机で突っ伏して寝ていた代償である。
「はい、では私はこれで」
「ええ、気を付けてね」
マイヤは窓から湖の方へ飛んでいった。
フィーネは玄関まで急ぎ、ドアノブに手を掛けて開けた。この時、ドアが少し音を出したが彼女は気にしない。いつものことなのだ。明日にでも直しておこう、と思ってなにもしないのも通例だった。
「あの!」
「ッ?!」
男はフィーネの大声に身を震わせた。それに構わず、彼女は言葉を続けていく。
「クロッツへご用ですか?」
「は、はい」
振り向いた男は無精髭を生やし、痩せていて服もボロボロ。髪にも艶がなかった。
「あの、……私が、見えるんですか…………?」
「はい! クロッツの中でなら!」
クロッツには、魔法がかけられている。家の中の空間を変化させることにより、動植物や妖精、魔物だけでなく、幽霊といった生物以外とも話すことができるのだ。
「そ、そうですか……。えっと、あなたはここの方なのですか……?」
遠目からでも分かる、フィーネの優美さに男は戸惑った。
月の光のように優しいブロンドの髪は、絹のごとく滑らかで、風に吹かれるとそれが良く分かる。乳白色の肌に浮かぶ桜色の頬、口紅を塗らずとも血色の良いぷっくりとした唇。金糸の睫毛の下、海の輝きを放つ瞳には吸い込まれそうになる。
「そうです。気が付かずすみませんでした」
「い、いえ、大丈夫です。お気になさらないで下さい」
男は言いながら、徐々に下を向いた。
「では中へどうぞ!」
「はい」
男は、石畳を通って玄関の方に歩いていく。
(なんて綺麗な庭なんだ……。王宮にも勝るんじゃないか? ……まあ王宮に行ったことはないんだが)
フィーネは玄関から男を招き入れた。
「こちらにお座り下さい」
入ってすぐ、ローテーブルと共に設置してある二人がけの椅子を案内した。
「見た目よりずっと広い……」
「そうなんです! 物が多いので、工夫したんですよ」
これも魔法である。室内の空間を拡張することで、家の外観は変えずに、室内だけ広くすることが可能なのだ。
フィーネはお茶と菓子を用意するため、キッチンへ向かった。
「どうぞ。うちの庭でとれたものですが」
最近とれたハーブを使った、自家製の紅茶。甘く、爽やかなのが特徴だ。
「ご自分で育てているんですか。すごいですね。……さ、触れる……?」
男はカップの感触を確かめるように、何度も触る。
「はい、この家ならば、なんでもできますよ」
男はそれを聞いて、恐る恐る紅茶を口にした。
「……あ、美味しい……」
男は一口飲んで感想を述べた後、紅茶を飲み干した。
「ふふ、ありがとうございます。喜んでいただけて何よりです」
フィーネは、紅茶を気に入って貰えたことに嬉しくなり微笑んだ。そして、すぐにおかわりを注ぐ。
男はその様子に少し見とれた後、ハッと我を取り戻し座り直した。
その様子を見て、フィーネはいつものように話し始めた。
「本日はクロッツへお越し下さり、ありがとうございます。私はフィーネです。よろしくお願いします」
「僕はタイラー・ポーヴルといいます。よろしくお願いします」
「タイラー様ですね。では、ご依頼をお聞きします」
フィーネがそう促すと、タイラーはその内容を話し始めた。
「家族に、会いたいんです」
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