禁忌魔法使いの仕事

月見 エル

第1話 昔話

「むかしむかし、名もない小さな村に、一人の子供が産まれました。


 村の人たちは驚きました。その子供は、産まれて間もなく魔法を使うことができたのです。


 子供の使った魔法は、死、生、時間、空間、理性、本能の六つでした。村人たち全員、見たことも聞いたこともない魔法だったので、子供の誕生は大いに喜ばれました。



 その子供はすくすくと成長し、大人になる頃には、村一番の、いいえ、帝国一の魔法使いとなりました。


 その人は、魔物が襲ってきた、他国との戦争が起きたなど、帝国の平和を揺るがす事件が起こる度に、その強大な力を使いました。


 死の魔法で敵を殺し、生で味方を生き返らせ、時間と空間を歪ませて戦況を覆し、理性と本能を操り敵を殺し合わせました。



 しかし、ある日を境に、その人は帝国を滅ぼそうとし始めました。その人の魂は、時間をかけて六つの魔法に侵食されていたのです。


 死の魔法で家族さえも殺し、生で動植物の生命力を奪い、時間と空間を歪ませて終末を早め、理性と本能を操り味方同士で殺し合いをさせました。


 その力は圧倒的で、帝国は滅びかけました。



 誰もが諦めかけたその時。どこからともなく、颯爽と美しい青年が現れました。


 その青年は、神秘的な瞳を持っていました。左目には精神を、右目には肉体を視る力が宿っていたのです。


 左目の力を使い、暴れまわるその人の魂を掴んで引き抜きました。


 すると、魂は六つに分かれ、飛び散りました。


 その人はその場で死にました。



 その後、美しい青年は帝国を元に戻すために尽力しました。飢えた人々のため、土地を肥やし、種を植え、食べ物を皆に配りました。


 そうして、帝国は再び輝きと強さを取り戻したのです。


 それを見届けた美しい青年は、またしても颯爽とどこかへ行ってしまいました。


 人々は感謝と敬愛を伝えるべく、美しい青年を『イデア』と呼び、毎日祈りを捧げました。



 そして、帝国を陥れた六つの魔法は、禁忌として封印されたのでした。」






 協会が街で定期的に行う紙芝居。何百年も語り継がれる、教会への信仰を促すものだ。

 聞いていた誰もが、崇拝する唯一神の英雄譚に感動する中、ただ一人、嫌悪感を抱く者がいた。


 その女、フィーネは黒いローブで全身を覆い、さらにはそのフードも被るという、全く街に馴染まない格好をしていた。彼女には目立たないようにという目的があったが、かえって悪目立ちする結果となっている。


 背丈は平均より少しだけ高い。体つきを視認することは叶わないが、指の細さから推測するに、病的とはいかなくともいくらかは痩せているようだった。


 彼女の並ぶ店の前には、皆の憩いの場である広場がある。紙芝居の場所は毎回違い、告知はされない。今日は偶然、ここが会場に選ばれていた。

 その店には珍しく行列ができていて、彼女が並んだと同時に紙芝居は始まった。彼女は聞こえたそれに一瞬不快を示したが、周りに悟られないよう無表情に取り繕う。


 ここはたくさんの店が立ち並ぶ、賑やかな街。フィーネは買い出しに来ていた。彼女にとって買い出しは、月に一回の大イベントである。食料はもちろん、日用品や雑貨まで様々なものを大量に購入し、その後家にこもる。


 しかし、今日はその日ではない。今月初めに買い出しは終えている。ではなぜ街に来たのか。それは月半ばの昨日、同じ家に住む愛する男から「アップルパイが食べたい」と頼まれたからだった。

 アップルパイは男の好物である。果物の中でもリンゴを好み、菓子の中ではパイを一番の好物とする男にとって、それはそれは素晴らしい食べ物だった。


「リンゴと……オレンジを十個ずつ」


 やっとフィーネの番が来て、店主の男に自分の目的を話す。


「はいよ。全部で250コルだ」


 それまで客に明るく対応していた店主は、フィーネの番になった途端、声のトーンを下げた。彼女を怪しい人物と判断したのだろう。彼女は男の喜ぶ顔を見るのが楽しみで仕方がなく、それに難色を示すことはなかった。


「ちょうどだな、毎度あり」


 フィーネは金を渡し、小さく会釈をして店を後にした。


 振り向くと、人々が広場から離れようとしていた。ちょうど紙芝居が終わったのだ。フィーネは解散していく人々の波に逆らいながら家路を辿ることになってしまい、ため息をつく。


 すれ違う親子の会話が聞こえてきた。子は目を輝かせながら母親に言った。


「ねえねえ、ママ。さっきの六個の魔法、とっても強そうだったよね! 僕にもできないかなあ」


 それを聞いた母親は血相を変え、幼子の肩を掴む。そして、忠告を始めた。

 それまで親子の周りを歩いていた人々も、子の発言に驚いたようで、たちまちに離れていく。悲鳴を上げながら我先にと逃げる者もいた。最終的には親子の周りは、その道の混みようが嘘のように、人が寄り付かなくなった。


「やめなさい! あの魔法は禁忌魔法と言ってね、私たちを危険にさらすの! 絶対に使ってはだめよ。もしも使ってる人がいたら、すぐに逃げなければいけないわ」


「う、うん……」


 子は母親の感じている恐怖を察知した。それだけでなく、母親そのものにも少しの恐怖を抱いた。これからは、六個の魔法に関して、子も母親と同じく絶大な恐怖心を抱くようになるだろう。


 フィーネは周囲に混ざり、一部始終を見ていた。その後、彼女はフードをさらに深く被り、人混みに消えた。


 禁忌魔法は、世界の平穏を揺るがす危険な魔法として知られている。『悪魔の魔法』、『地獄から這って出た魔王が使うもの』などと言われているのだ。最早それらの魔法を知らない者は、数百年前からいない。


 いつもより長い時間をかけ、フィーネはやっと人の少ない場所へ着いた。彼女は一息つくと、両手の調達した物品を持ち直し、路地へと入った。薄暗く、狭い人通りのない迷路のような道を、右へ左へ迷い無く早足に歩いていく。


 少ししたところで、フィーネの足が止まった。進んだ先は壁だった。行き止まりである。だが彼女に焦る様子はない。

 辺りを見回し、誰の目もないことを確認すると、彼女は小さな声で壁に向かって何かを言った。

 すると、何もなかった壁に、ちょうど人が一人通れるような穴が開いた。だが、壁に直接穴が開いたのではない。黒く、先の見えない『ゲート』の様なものが出現した、という表現の方が妥当だろう。

 フィーネは躊躇なくその穴に入っていった。



「ただいまー。…………?」


 フィーネのそれに、返事はなかった。


 穴は家の玄関に繋がっていた。フィーネが完全に通り終えると、ゲートは消滅した。家にはシチューの香りが漂っている。

 彼女は荷物を置いた後、着ていたローブのフードを脱ぐと、滑らかなブロンドの髪と美しい顔が露になる。


「今日はシチュー? 久しぶりだから嬉しいわ」


 またしても返事はない。


「ちょっと、寝てるの?」


 いつもならば、男の声が返ってくるはずだ。


「どこにいるのよ」


 動揺し、声が震える。


 フィーネは家のあちこちを見て回った。

 完成したシチューの置いてあるキッチン、生活感のある男の部屋、濡れていない風呂。


 そして、玄関のドアを開け庭へ出る。ここは手入れの行き届いた、男の自慢の庭だ。様々な植物が元気に美しく育っている。


 彼は毎日、世話を欠かさなかった。フィーネと買い出しに行く度に新しい種をねだり、丁寧に育て上げる。彼女は、世話をする彼を見るのも、育った草花を彼と一緒に眺めるのも好きだった。


「……」


 しかし、ここにもいなかった。

 だがそんなはずはない。男がこの家からフィーネに何も言わずに出ていくはずがないのだ。


「何が起きたの……?」


 今思えば、昨日から男の様子はおかしかったのかもしれない。いつもはアップルパイが食べられなくとも、来月の買い出しまで我慢する。今日は体調が悪いからと、フィーネを一人で街に行かせたりしない。


 庭を確認した後、フィーネはもう一度家の中を見るため、ドアを開けた。


「…………な、なに……。なんなの……、?」


 それを見つけた瞬間、フィーネは元々大きな目を、大きく見開いた。


「帰ってきたって、こと……?」


 涙が溜まり始め、遂に、溢れた。


「あ……、ああ…………。ああぁあああぁぁ……!!」


 フィーネはその場で崩れ落ちた。絶望のあまり、体から力が抜けてしまったのだ。

 そして、顔を両手で覆って、泣き叫んだ。


 いつも、二人が食事をするときのダイニングテーブルには、決まって座る席がある。

 右が彼、机を挟んで向かいがフィーネだ。


 彼の席に、いた。


 彼の魂が。


「あああぁぁあぁああ…………!!」


 彼は、大切な人。

 フィーネは、最愛の人を失った。


「いやあああぁぁぁぁ! あああぁぁあああ…………!」


 こんなことになるなら、買い出しは明日にすれば良かった。いつものように二人で出掛けようと、躊躇わず誘えば良かった。後悔の波が押し寄せる。


「あぁあああぁぁ……」


 フィーネは泣きながら彼の魂に近づいた。


「ねえ、っほんと、に。っあなた、なの?、」


 返事は無かった。魂がものを言うことはない。


「なにか言ってよっ! …………うう……。うああぁああ!」


 フィーネは彼を、魂を抱き締めた。


 もう届かない、誰にもぶつけられない、行き場を失った感情が、声となって涙となって、止めどなく溢れてくる。


「どうし、て、私を、おいていくの……?」


 このまま私も……、と彼女は泣き続けた。




 ここは、迷える魂の帰る家―――クロッツである。

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