第3話
・・・で、今に至るわけだ。
「ふうぅ・・・」
俺は深いため息を吐き、壁にもたれかかるように座り込んだ。・・・一服してえ。
無意識に胸のポケットをまさぐる。あるのはタバコじゃなくて、塩酸のサンプル。クソの役にも立たちゃしねえ。
ボケーっと天井を見つめる。丸太の梁に板葺きの屋根。現代日本じゃ見られない質素な造り。
何となくピンと来た。これはラノベでよくある「異世界」ってヤツだろう。俺は元々、昭和のオタクだ。晴海にだって行ったことがある、筋金入りのオタクだったんだ。頭お花畑的展開にだって、余裕で付いていけるわ。
俺がこの格好だということは「転生」じゃなくて「転移」ってヤツだろう。
とりあえず、ここが会社じゃないことは確実だ。
今頃、会社ではどうなっているんだろうか?休日だし、誰も何も気づいちゃいないか。明日、いや連休だから明後日まで、誰も気が付かないかもしれない。たまに社長が休日でもフラっと立ち寄ることがあるから、塩酸漏洩に気付いているかもな。現場には足を運ばない人だからスルーかな?まあ、どっちでもいいか。
「転移」ってことは、会社に俺はいないってことだ。つまり無人の会社で鍵も開けっ放しで、塩酸が漏洩していて何の後処理もされないまま、俺が行方不明になったと・・・こりゃ、大事件だな。
死んで「転生」だったら、死体は残るし不幸な事故で済んだんだろうが・・・ちっ、そう考えると転生の方が後腐れなかったな。なまじ転移ってところが厄介かもしれない。
会社の連中はどう思うかな?塩酸漏洩が怖くなって逃げ出したとでも思うだろうか。俺の性格を知ってるヤツなら、そうは思わないだろう。俺は塩酸ぐらいなら漏洩しても一人で中和して後処理をして、何事も無かったように隠蔽するぐらいは「余裕のよっちゃん」だからだ。逃げたと思うヤツは俺が嫌いな上司のアイツと技術部のアイツぐらいだな。名前は敢えて言わんけど。
となると、俺が行方不明だとして警察が動くか?俺の財布やらスマホやらは、ロッカーに入れっぱなしだし。財布やスマホなしで、現代日本での逃亡なんて考えられない。事故よりも事件が疑われるかも。俺のスマホのロックは簡単だから、電話帳やラインから俺の知人や血縁者など方々に連絡が行くだろう。エロ動画の履歴とかは見ないでほしいぞ。
血縁者か・・・高校の時に親父を亡くし、お袋も3年前にあの世に旅立った。47歳独身、兄弟もいない。親父やお袋の兄弟姉妹。つまり叔父や叔母とか従兄弟なんかはいるにはいるが、3年前のお袋の葬儀の時に電話したのが最後だった。お袋は7人兄弟姉妹の末っ子で、お袋の兄姉はみな後期高齢者かすでに鬼籍に入っていたので誰も来なかった。葬儀は俺と近所のおばさんだけで済ませたぐらいなので、すでに縁は切れている。警察から連絡が行ったところで関係はないだろう。
孤独の身を憂えたこともあったが、事ここに至ると孤独で良かったかもしれん。下手に妻や子供なんか残していたら、かなりの大迷惑だったはずだ。警察やら会社の人間が押し寄せて、俺のことを根掘り葉掘り聞かれて。さすがにテレビやワイドショーで取り上げるほどでもないとは思うが・・・ブルル、想像しただけで寒気がする。
結局、会社にも迷惑かけちまったな。愛社精神はこれっぽっちもないけど、多少の罪悪感は残る。
もっとも塩酸漏洩ぐらいなら内々で処理しちゃうかもしれんな。ウチの会社の体質ならしれっと隠蔽しそうだ。
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