糸電話

戯 一樹

第1話




「ねぇ暁人あきと。ここの数式ってどう解くの?」

「さっき教えたばっかじゃねぇか。ったく、ちゃんと覚えとけよな」


 えへへー、と笑って誤魔化す佳奈かなに、俺は呆れて溜め息を吐いた。

 時刻は夕方の五時過ぎ。窓から夕日が差し込む部屋の中で、俺と幼馴染の佳奈はちゃぶ台を仕切りに向かい合って勉強していた。次の試験で赤点を取ったら小遣いを減らされると佳奈が泣きついてきたので、こうして俺の部屋で試験勉強しているのだ。

 ちなみに、俺達の通う高校はそこまで偏差値が低いわけでもない。どちらかと言えばごく平均で試験内容も厳しい学校というわけではないのだが、どこの世界でも試験前になって慌てて勉強するアホの子が一人ぐらいはいるもんだ(余談ではあるが、俺はちゃんと試験前の数週間前には勉強するタイプである)。

「もうダメ〜。暁人、ちょっと休憩しようよー」

「まだ勉強してから三十分も経ってないぞ。お前から頼んできた事なんだから、もっと真面目にやれよ」

「そうなんだけどさー。でも良いじゃん。私もう限界〜」

「おい、制服のまま寝転ぶなよ。だらしねぇな」

 いくら気の知れた幼馴染とは言え、ミニスカ姿で寝転ぶなんて男相手に無警戒過ぎるだろ。それとも、コイツは俺を男として見ていないのだろうか。

 まったく。

 こちとら佳奈と知り合った時から、ずっと片思い中だというのに。

「ふにゃ〜ん。どうして試験なんてものがこの世にあるのかな〜。試験のないお化けの世界にでも行きたい〜」

「妖怪ポストにでも投函してみるんだな。ま、無理だろうけど」

 アホな事を宣う佳奈に、俺は素っ気ない調子で言葉を返す。

 そしてそのまま「うにゃにゃにゃ〜ん」と猫っぽい声を出してゴロゴロと転がり出した佳奈に、俺はシャーペンを走らせる手を止めて、ぼんやりと物思いに耽り始めた。

 佳奈と初めて出会ったのは、俺達が幼稚園児の時――今から十年近く前の話だ。それまで遠くの町に住んでいた佳奈がこの町に……それも俺の家のすぐ隣りに引っ越してきたのだ。

 当時の俺は今よりも人見知りが激しく──言っても、今だってそれほど明るい性格というわけでもないのだが──その為家の中で遊ぶ事が多い子供だった。

 そんな時に佳奈が度々俺を遊びに誘うようになり、こちらの都合などお構いなしに神社や公園といった色々な場所に連れ回すようになったのだ。

 その強引さに初めは戸惑いつつも、いつしか佳奈の天真爛漫さに心を開くようになり、気が付いた時には佳奈に想いを寄せるようになっていた。

 だが結局その胸の内を明かす事ができないまま、ずるずると今日まで幼なじみという関係から進展できずにいる。

 一応それとなくアプローチをかけてはいるのだが、そのどれもが空振り。やはり佳奈に気付いてもらうには、直接口で伝えるしか他ないのだろうか……。


「わあ、まだあったんだこれ。懐かしい……」


 と、俺がアンニュイな気分に浸っていた間に、佳奈がそばに置いてあった古ぼけた糸電話を手に取って懐古心に浸っていた。見た目は紙コップとたこ糸でできた、ごく簡単な物だ。

「ああそれか。何となく捨てられなくて、その辺に取って置いたんだよ」

「へー。確か、私達が小学生の時に作ったんだっけ。よくこの糸電話で遊んでたよね」

 言いながら、佳奈はのそりと起き上がって、糸電話を色んな角度に傾けて眺め始めた。そういえば、昔はこの糸電話でいつもくだらない話ばかりしていたっけ。

「ねぇねぇ暁人。せっかくだからこの糸電話で遊ぼうよ」

「何でだよ。ガキじゃあるまいし」

「いいじゃん。何照れてのさ。ほらほら、さっさとそれ持って廊下に出て。あと、ちゃんと襖は閉めてってね!」

 早く早く! と急かす佳奈に溜め息を吐きつつ、俺は言われた通りに糸電話を手に取って渋々廊下に出た。そして最後に襖を閉め、片耳に紙コップの縁を当ててその場で座った。

「あーあー。聞こえますか暁人隊員。どうぞー」

「聞こえますよ佳奈隊員。どうぞー」

「誰が隊員かー。敬いを持って佳奈隊長と呼びなさい」

「はいはい。隊長隊長」

 嬉々とした調子で喋る佳奈に、俺はおざなりに言葉を返す。こうしてみると、まるで小学生の頃に戻ったみたいだ。

「何か報告はありますかどうぞー」

「特にありません。どうぞー」

「何さ、つまんないなー。どうせなら誰にも言えない秘密とか明かせばいいのにー」

「誰にも言えない秘密を何でお前に話さなきゃいけないんだよ。それにそんな事言うくらいなら、佳奈の方から秘密を明かせよな」

「えー。秘密って言っても特に……」

 と、急にどうしたのか、途中で言葉を止めて黙り込んでしまった。

「お、おい佳奈?」

「……じゃあ、言うね? 私のとっておきの秘密」

 ややあって、いつになく真面目な口調で言う佳奈に、俺も「お、おう」とぎこちなく相槌を打つ。

「私ね、暁人の事……」

 と、そこで一拍置いてから、佳奈は静かにこう囁いた。


「暁人の事、ずっと前から好きでした」


「……え?」

 佳奈の言った事が信じられなくて、俺は一瞬放心してしまった。が、すぐさま意味を汲み取り、かあっと全身が発火するように熱くなった。

 え? 何今の。ドッキリ? 聞き違い? 俺の妄想が生んだ幻聴?

「え、えーっと……。お、お前、俺の事が好きだったのか?」

「さっきの聞いてなかったの。二度も言わせないでよバカ」

「いや、何か信じられなくてさ。今まで散々アプローチしてきたのに、全然気付いてくれなかったし」

「とっくに気付いてたよそんなの。でもなかなか直接好きだとは言ってくれないから、痺れを切らしてこっちから告白したんじゃない」

「え、そうだったのか?」

 知らなかった。てっきり、全然気付いてなかったとばかり……。

「それで、暁人の返事は?」

「…………」

 紙コップから佳奈の細々とした声が聞こえる。顔は見えないが、きっと今頃顔を赤らめながら、俺の返事を耳に紙コップを当てて待っているのだろう。

 今なら言える。今までは気恥ずかして面と向かって言えなかったけども、佳奈の顔が見えないこの時なら、きっと。


 高鳴る鼓動を抑えるように深呼吸してから、俺は長年溜め込んでいた想いを、糸電話に吐き出した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

糸電話 戯 一樹 @1603

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ