頑張れ
桜坂にお願いをして、楪を呼び出させてもらった。
正直、今日一日話していないから連絡していいか悩んでいたが……まぁ、この際は仕方ない。
生徒会選挙の期間は決まっている。
どうするかは最終的に彼女に委ねるが、もし落ち込んでいてもう一度参加したいと思うのなら早い方がいい。
だから、俺は楪を呼び出した。
彼女を励ますために───yukiとして。
「初めまして、楪さん。少しお話がしたくて……呼び出さしてもらいました」
「い、いえ……それは別に構いませんが」
お淑やかで落ち着いている彼女にしては、珍しく動揺している。
それは視線が泳いでいる姿と、何を言おうか迷っている口がその証拠だ。
俺はもう一度腰を下ろし、隣を叩いて楪に座るよう促す。
すると、彼女はおずおずと言った様子で腰を下ろした。
「あの……何故、あなたがこちらに?」
「あー……そうですね」
俺はふと、暗くなった空を見上げる。
「お願いされたんですよ」
「え?」
「桜坂さんに」
本当のことを言うのであれば、この姿で楪に会いたくなかった。
どうして桜坂が俺の正体に気づいたのかは知らないが、接触したことによってまたしても正体がバレてしまうかもしれない。今バレてしまえば、落ち込んでいるであろう楪を更に落胆させてしまうから。
だけど、桜坂がお願いしてきたんだ……楪をお願い、と。泣きながら。
竜胆として慰めるだけなら、恐らく桜坂や幾田が慰めた方がいい。
けれど、それでも任せてきたということは……彼女が憧れている、yukiであれば慰められると、そう思ったからだろう。
「そう、ですか……」
楪は同じように空を見上げる。
「ご心配、おかけしたみたいですね」
初めは戸惑っていた楪も、今の話でどこか落ち着きを取り戻していた。
恐らく何故俺がここにいるのか、大まかに察したのだろう。
故に───
「期待に応えられないなら、やらない方がいいと思ったのです」
楪はポツリと、語り出した。
「私だって、一部の反応だとは分かっています。全体的に見れば、そう思っていない人の方が多く、期待してくれている人もいます……ですが、期待されていない人に何をすればいいのでしょうか? これから、期待させることなど難しいはずですのに」
期待は興味に近い。
興味を持ってくれている人であれば、これからも楪のことを追ってくれるだろう。
しかし、はなから興味がなければ? 期待されず、むしろマイナスな印象であれば? もしかしたらこれからの頑張り次第で振り向いてくれるかもしれない……しかし、可能性が低いのは間違いない。
だからこそ、楪は迷っているのだろう───期待に応えようとしてしまう性格故、少数の期待していない人を見てしまうから。
「yukiさんは以前仰いましたよね……やれることはやるけど、やめたくなったらやめる、と」
「…………」
「昔の私には酷く胸に刺さりました……あぁ、こういう生き方があるのだと。今の私は、あなたに憧れ、あなたのような生き方に憧れ、少しずつ自分のやりたいことをやるように生きてきました」
ですが、と。
楪は薄らと涙を浮かべた。
「私……やめたい、です。期待に……応えられそうにありません」
その言葉を聞いて、俺は大きく息を吐いた。
常に公平に接している彼女は、傍から見れば心が広い人間に見えるだろう。
しかし、そんなことはなく。
自分の評価ではなく、他人の期待を重視してしまう繊細な子。
要するに、自分の保身ではなく他人のことを考えられる優しい女の子なのだ。
だからこそ、陰口ではなく期待されていないことに、彼女は傷ついてしまっている。
きっと、安易な慰めでは意味がない。上っ面な言葉など、その場凌ぎでしかない。
(俺には似合わないんだがなぁ)
故に、本心で。いつか俺が言った何気ない言葉が彼女に刺さったように、本心で───
「やめればいいですよ」
「……え?」
「だから、やめちゃえばいいんです」
キッパリと、俺は楪に言い放つ。
「どこで言ったかはもう覚えてませんけど、私は今でも確かに「今できることをして、やめたくなったやめる」って思っています。正直に言うと、モデル業もやりたくなくなったらやめるつもりです」
だが、今はやめていない。
男なのに。リスクを負ってまで世間を騙し続ける行為を、俺は嫌がっている。
それでもやめていないのは、単純に───
「私はモデル業をしたい」
そう、思っているからだ。
「やめたくなったら、やめてもいいでしょう。しかし、それはあなたが一から十……全てを総じて、やりたくないからですか?」
女装は嫌だ、男だから。
リスクは背負いたくない。世間にバレたあと、生活がどうなるか分からないから。
それでも色々な服を着るのは楽しいと思えてしまったし、世間から褒められるのも嫌いじゃない。
だからやめられない……一から十の全てが、嫌じゃないから。
「い、いえ……それは───」
「言いましたよね? 貴重な体験をしたいって。あなたは、やってみたいことがそこにあるのに……今できることがあるのに、放棄してしまうんですか?」
ビクッと、楪の背中が跳ねる。
そして、震える口で呟いた。
「で、ですが……私はやりたくありません」
「厳しい言葉を吐くなら、それは自由ではなく逃げですよ。私の言葉を使って、背中を向けているだけです」
やりたくなくてやめるのは、今の自分が苦しいから。俺の言葉は、逃げ道に使われただけ。
「結局、あなたはやめたくなったらやめる生き方ができているわけではありません。逃げることを覚え、甘んじてしまっただけです」
「ッ!?」
ボロボロと、楪の瞳から涙が零れる。
厳しい言い方をしてしまったからか、彼女の心が折れていくのを感じた。
それでも、これが俺の本心なのだ。
楪が憧れているyukiとしての、嘘偽りない言葉。
しかし───
「私はあなたの努力を知っています」
「yuki、さん……?」
「やりたいと、そう思っていることを知っています。そのために、色々と努力してきたのを知っています。逃げるだけなら、ここまで頑張ることなどできません……だから、胸を張りましょう」
俺はそっと、楪の頭の上に手を置いた。
「逃げるなとは言いません、人間ですから。私と同じような生き方をしろとは言いません、あなたは楪奏という女の子なんですから」
でも、それでも。
彼女が俺に憧れているというのであれば───
「まずは、今できることを」
「…………」
「今できることをして、やりたいことをやってみて。それでやりたくなったらやめればいいんです。生徒会長なんて、簡単にはやめられないかもしれないですけど、あなたを縛るようなものでもないんですから」
楪が、ゆっくりと俺の顔を見上げる。
零れていた涙が、どこか彼女には不釣り合いのような気がした。
だから、俺はそっと指で零れた涙を拭う。
「……期待に、応えなくてもいいのでしょうか?」
「いいんじゃないですか? 応えられない人の分を、また他の人に応えてあげればいいんです」
「また、あなたのようにはなれなくて……同じように折れてしまうかもしれません」
「そうしたら、また私が話を聞きますよ。頑張っている人を見捨てるほど、私は自由な生き方をしていないので」
拭い終わったあと、俺は真っ直ぐに楪の顔を見た。
そして、いつもカメラに向けるような顔で俺は—――
「頑張れ。俺はお前を応援してる」
俺として、yukiとして、心の底から思っていることを伝える。
すると、彼女は……ようやく見せてくれた笑顔を、気が抜けたように作ってくれた。
「本当に、あなたはズルいですね」
それからしばらく。
俺は頑張っている女の子の頭を撫で続けたのであった。
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