ごめんね
「実を言うとさ、私はそこまで落ち込んでないんだ」
茜色の陽射しが道路を照らす時間帯。
人気の少なくなった帰路を歩きながら、横に並ぶ桜坂は口にする。
「ほら、ポストに入ってるビラとかたまに捨てちゃうじゃん? 自分がするのに、他人には別のものを強要するなんておかしな話だって思ってるからさ」
「……だが」
「興味のないものには関心を示さないって人として普通だよ。結局は、皆が普通にされていることの当事者になっただけ」
桜坂は本心でそう言っているのか、俺の顔を覗くことなくキッパリと言い放つ。
かといって、桜坂の発言には思わず異を唱えてしまいたくなる。
確かに、桜坂の言う通り俺達がよくしている行動をされただけかもしれない。
だが、そこに配慮が乗らないかどうかはまた話が別だ。
ティッシュを配っている人の目の前でもらったティッシュを捨てるか? 人が載っている雑誌を目の前で「つまんね」って言うか?
それと一緒だ……興味がないのかもしれないが、桜坂達が目に入りそうな学校で捨てるのはどうかと思う。
……もっと怒ってほしい。そう思うのは、俺だけなのだろうか?
「竜胆くんは優しいね」
「いや、普通だろ……人の努力を足で踏む人間を好きになれっていうのがおかしな話だ」
「そうだね、それは私も思うよ。だけど、そんな人ばっかりの世の中じゃない」
桜坂にしてはどこか達観しているような、無関心というか。
明るく誰かを想える人間にしては、どこか冷たい。
気にしていないと言っていても、怒っているのでは? と感じてもおかしくはなかった。
「人の頑張りを平気で捨てるような人もいれば……ただ「羨ましい」っていう理由だけで誰かを傷つけようとする。自分がスッキリするためだけに」
……なるほど、理解した。
どうして、桜坂が自分のされたことを「気にしていない」と言いながらも、怒っているように感じるのか。
「聞いたのか」
「流石にね、私達のいる空間で言っていなくても普通に分かるよ」
「……そりゃそうか」
友達が……楪が馬鹿にされているから。
この静かな憤りは、恐らくそこから来たものなのだろう。
「私はさ、ぶっちゃけ自分のことを何言われても気にしないタイプ。人は人で、私は私……興味のない人から何を言われたって、自分に影響はないから」
「…………」
「でも、奏ちゃん達は違う」
チラリと、俺は桜坂の方を見る。
愛くるしい顔立ちは酷く冷たくなっていて、見ていただけで寒気がするほど。
「ゆかちゃんはクールに見えて実は人見知りで、人の反応に機敏」
確かに、この前幾田は自分から人見知りだと言った。そして、人見知りな人はそういう傾向がある。
他人の評価を気にしすぎるが故に、表立って何かができない。それが人見知りに通じるのだ。
「奏ちゃんは、周囲の評価を鵜呑みにしちゃうタイプ。この前本人が言ってたけど、昔は親の期待に応えるために色々頑張ってたんだって」
「よく知ってるな」
「そりゃ、友達だもん……知ってるし、分かってるつもりだよ。ゆかちゃんはね、励まされたかは分かんないけど多分大丈夫な気がする」
だからこそ、と。桜坂は憤りを越えて悲しそうな顔をする。
「……奏ちゃんが、折れちゃわないか心配なんだ」
静かな帰路に、桜坂の声が響く。
今では、どこか何かしらの喧噪がほしいと……初めて願ってしまった。
「陰口を言うなとは言わないよ。私だって言う時があるし、そうやって自分の心の安寧を保とうとする気持ちも分かるから」
陰口はどうして皆吐いてしまうのか?
単純に、自分がスッキリしたいからだ。手の届かない相手に届こうと、届かないからこそ自分のところまで落としてしまおうと、そう思うから口にする。
妬み嫉みがない人間なんていない。言ってしまう気持ちは分かる。
分かる、が―――
「だからといって、頑張っている人まで傷つける必要ないじゃん」
一歩、先を歩いた桜坂が振り向いた。
茜色の陽射しを背景にした彼女の瞳には……どこか涙が浮かんでいる。
「奏ちゃん……あんなに一生懸命にやったんだよ? なんで、さぁ……なんでかなぁ……竜胆くん」
その声はどこか震え始めていて。
少しでも目を逸らせば、嗚咽まで聞こえてきそうで。
だからからか、俺は思わず桜坂の目の前に立ってそっと瞳に浮かんだ涙を拭った。
「竜胆、くん……?」
「泣くなって、お前が悪いわけじゃない」
もしかしたら、こんなことはどこの学校でもあることなのかもしれない。
彼女が重く受け止めているだけで、周りの人は簡単に受け止められるのかもしれない。
でも、それでも……目の前の女の子が泣いているのだ。
軽く受け止められるわけがない―――泣き止んでくれるのなら、笑ってくれるのであればなんでもしてやる。不思議と、そう思ってしまう。
「……ねぇ、竜胆くん」
桜坂が、ゆっくりと俺を見上げる。
「お願い、してもいい?」
「……そんな改めて言わんでも、いつものように振り回せばいいだろ」
「ううん、そうじゃない」
大きな深呼吸を一つ、彼女は入れた。
これからする発言が重いのか、何かを変えてしまうのか。
よく分からないが、簡単に受け止めてはいけないような前振りを彼女から感じる。
「……私のこと、嫌いになってもいい。厚かましくて、図々しくて、失礼で、私のことを恨んじゃうかもしれないけど、私はお願いしたい。もしお願いを聞いてくれるんだったら、私はなんだってしてあげる」
一体、どんなお願いなのか? こんなことを言われて疑問に思わないはずがない。
ただ、俺が彼女を嫌うことがあるのだろうかとは、思ってしまう。
出会った当初ならともかく、こんなに関わってしまった彼女を。なんだかんだ、振り回されても……結局、嫌いになれなかったのに。むしろ好感すら覚えているというのに。
「もしさ、奏ちゃんが折れそうだったら助けてあげて」
桜坂はお願いを口にした。
しかし、それは嫌うようなことでも、図々しくも、失礼でもなんでもなかった。
頑張っている人間を助けるなんて当然だ。知人ならなおさら。
でも、その役目を俺が担っても問題ないのだろうか?
「桜坂の方が助けになると思うぞ? 俺よりも、友達のお前の方が……」
「ううん、絶対に竜胆くんの方がいい」
そして、桜坂は―――
「yukiが……憧れているあなたが励ましてくれた方が、奏ちゃんは立ち直れるから」
―――言いやがった、俺が尋ねる前に。
「……お前、気づいてたのか」
「流石にね、共通点いっぱいあったし……本当はさ、まだ言うつもりじゃなかったんだぁ」
ドッキリでもなんでもない、事実の確認でもない。
今の桜坂の表情は……どこか罪を告白するような、悲しくも悔しい罪悪感で滲んでいた。
だから、俺は何も言えなかった。
言いたいことや聞きたいことも、たくさんあるはずなのに。
「あーあ……竜胆くんに、嫌われちゃうなぁ。知られたくないって、分かってたはずなのに」
でも、と。
桜坂は引き攣った苦笑いを最後に浮かべた。
「ごめんね……奏ちゃんに何かあったら、お願いします」
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