陰口

 人の直感とは恐ろしいものだ。

 なんの根拠もなく、具体的な証拠もないのにいずれ結果が出て「予感は正しかったのだ」と教えられる。

 もちろん、百発百中の確率ではない。本当に極稀に、宝くじに当選するような確率で的中してしまう。

 ただ、望んでもいない時に当たるのは───些か都合が悪すぎると呪わずにはいられない。


『ねぇ、聞いた? あの話?』

『うん、楪さん……どうやら今回の生徒会選挙のために男達に媚び売ってるらしいよ』

『いつもは「興味ありません」って感じなのに、やっぱり裏では都合よく動いてたってことか』


 ヒソヒソと、本当に小さな声でその話が耳に届く。

 ───生徒会選挙の期間が始まって翌日。

 昨日は放課後に撮影があって顔を出せなかったが、どうやら楪達も演説を始めたらしい。

 そして、今日……楪達が演説を行っている放課後、クラスではそんな話が浮上していた。


「チッ……」


 一日中ずっと、だ。

 楪達がいなくなったタイミングを見計らって、クラスのどこからか声が聞こえる。

 少し前まで楪達を高嶺の花扱いして、できればお近付きになろうと話しかけていたというのに、今ではこんな悪口。もちろん、全員が全員ではなくて一部。

 ……でも、腹が立って仕方ない。だからこそ、俺は思わず腰を上げてしまう。

 すると、正面に座って一緒に時間を潰していた榊原がいきなり袖を掴んできた。


「やめときなよ」

「あ゛?」

「僕だって腹が立つけど、ここでことを大きくしても解決にはなんないって。幸い、皆楪さん達がいなくなったタイミングで言ってるから耳に届いていないみたいだし、耳に届いたら彼女達のモチベーションだって下がるはずだよ」

「…………」


 榊原の言うことはごもっともだ。

 ここで俺がイラついて注意したとしても、噂の出処を絶ったわけではない。

 今の陰口はこのクラスだけでなく、歩いているとどこからでも聞こえてくる。

 まだ、こうした陰口は楪達がいないところでのことが多い。もしも耳に届いていないのなら、そのまま届かせずにいた方がいいだろう。

 俺がもしここで何かして耳に届いてしまうようなことがあれば、せっかくの生徒会選挙を台無しにしてしまうかもしれない。


「あー、くそっ! 腹立つな……今日一日ずっとだぞ? おかげで、苛立ちっぱなしだ」

「まぁ、正直いい気持ちはしないよね。応援に行きたくても、なんかこっちまで行き難くなる」


 せっかく今日は撮影がないから様子を見に行こうとしていたのに、こうして時間を潰す羽目になってしまう。

 苛立った状態で応援に行っても、余計な不安を煽るだけだしな。


「でも、どうして急にこんな陰口が広がったのかな?」

「……さぁな。どうせ、今までの妬み嫉みが爆発したんだろ」


 耳に届いている陰口も、全員が女の子だ。

 高嶺の花で、男子から一目置かれていると同性はいい気がしない……この前、多々良さん達が言っていたことが再現されているみたいだ。

 きっと、今まで積もりに積もった感情が一つの火種で爆発したに違いない。

 誰かが言えば私も言える……なんて集団心理が働いているだけ。ふざけんな、とは思うが。


「ちょっと、僕の方でも探ってみようかな」


 そう言って、榊原はカバンを持って立ち上がる。


「探るって?」

「まぁ、色んな人から話を聞いてみるだけだよ。竜胆と違って、あまり三大美少女さん達と一緒にいないから警戒もされないだろうしね」


 それじゃ、と。

 一緒に様子を見に行くと約束していた榊原が、そのまま教室の外へと出て行ってしまった。

 残されたのは、俺と他にだべっている生徒が数人。しかも、楪を馬鹿にしていた女の子達だ。


(……俺も帰るか)


 苛立ちは収まっていない。

 久しぶりにここまで腹が立ったからか、正直顔を隠して楪達と話せる自信があまりなかった。

 本当にチラッと演説している姿を覗くだけ覗いて帰ろう。

 そう思い、俺もカバンを手に取ってそのまま教室の扉まで歩く。


「…………」

『『『ッ!?』』』


 ただ、反射的に通り過ぎた女の子達を睨んでしまった。

 ……やっぱり、楪達に会うのはよくないかもな。どうしても、自然とそんな行動をしてしまう。


『ね、ねぇ……』

『うん……ヤバい、怖かった』

『竜胆くん、あんな顔するんだ』


 逆に今の陰口を聞いてどんな顔をすればいいのだろうか?

 女装して皆の前で小さく微笑めばいいのか? 一ミリも、こいつらに笑ってやろうとは思えないが。


(……まぁ、いい)


 教室を出て、下駄箱までの廊下を歩く。

 通り過ぎる生徒が男子だと、どこか安心する。好かれたいと思っている男であれば、あまり陰口を叩こうとはしないはずだから。

 妙な安心感を覚えながら、俺は廊下を歩いていった。

 すると───


「ん?」


 少し前まで、ほぼ毎日のように足を運んでいた視聴覚室。

 そこで、見慣れた金の長髪を携えた人影が視界に入った。

 気になり、とりあえず視聴覚室の扉を開けると、その人影は何やら焦ったように振り返る。


「な、なんだ……竜胆くんか」


 ホッと、視聴覚室に一人でいた桜坂が胸を撫で下ろす。

 その傍らには何故かゴミ箱にあって、手には……しわくちゃになったビラが握られていた。


「……桜坂」

「あ、あちゃー……ごめんね? 変なとこ見られたかな」


 ───流石に、俺でも分かる。

 近くにゴミ箱があって、中には視聴覚室では滅多に見ない丸められた紙がいくつも捨てられている。

 更に、手に持っているものと同じ紙がしわくちゃのまま伸ばしたように机へ広げられていた。


「……頑張った、んだけどなぁ」


 その言葉は、酷く俺の胸を抉った。

 だからからか───


「一緒に、帰るか?」


 珍しく、俺の口からそんな提案が漏れてしまったのであった。

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