好きな人と憧れの人

 結局、その日はご飯を食べて買い物をすることになった。

 途中、色んな場面で一緒に写真を撮ることになったが……今日ぐらいはいいだろう。

 SNSに投稿せず、誰にも今日のことは言わないと約束をもらったこともある。

 ただ、それとは別に楽しい時間に変な要望で水を差したくはなかった。

 きっと、この理由が一番大きいものだったのだろう。


「でも、ごめんね? なんか家まで送ってもらうことになっちゃって」


 時刻は二十時前。

 街灯に照らされた薄暗い路地を歩きながら、桜坂が申し訳なさそうな顔をする。


「気にしないでください、女性をお送りするのはマナーですから」


 姉さんに散々言われた……女の子は最後まで送っていくのがマナーなんだよ、と。

 多々良さんとであっても極力家まで送ろうと心掛けてはいるし、別にこれぐらい当たり前のことだ。

 特に桜坂は同年代の女の子。今日もナンパされてしまったし、家まで送らないと心配でメンタルが不安になってしまう。


「でも、yukiさんも女の子だよね?」


 いけない、違う側面でメンタルが不安になってきた。


「そ、それは……そう! 私は護身術も心得ていますから!」

「ふふっ、そっか」


 可愛らしく、それでいて滅多に見せないお淑やかさを滲ませながら笑う桜坂。

 まるで「そういうことにしておいてあげる」とでも言わんばかりの顔だ。

 …………ふむ、俺はそんなに頼りなさそうに見えるだろうか?


「今日は楽しかったなー! まさか、yukiさんが猫が苦手だったなんて驚きだよ! 猫嫌いってプロフィールに書いてなかったよね?」

「……今時、猫が嫌いな女の子はウケないって姉さんが」


 猫はどうしてもダメなのだ。アレルギーとかではなく、単純に何をするか分からない動物に苦手意識があるというだけで。

 ただ、それで途中提案された猫カフェに連れて行けなかったのは申し訳なく思う。桜坂は俺の行きたいところに連れて行ってくれるとは言ってくれたものの、せっかくだし心ゆくまで楽しんでもらいたかったから。


「すみません、猫カフェに行けなくて」

「ううん、全然。私は本当に一緒に出掛けてもらえただけで胸がはち切れそうなぐらい嬉しいんだから」


 そこまで彼女はyukiのことが好きなのだろうか?

 教室で何度も好きとは聞いたが、改めて女装した俺が彼女の憧れだというのを認識する。


(やっば……照れる)


 どうしてか、この姿で褒められてもさほど嬉しくないことの方が多かった。

 やっぱり俺は男で、女装している姿は違う俺なのだと思っていたから。

 ただ、今の彼女の言葉はどうしてか照れるほど嬉しく感じてしまう。

 これも真っ直ぐに、yukiというモデルが好きなのだと伝わってくるせいだ。


「……今日は、ありがと」


 熱くなった顔をパタパタと手で仰いでいると、唐突に桜坂がそんなことを言い始めた。


「何がですか?」

「今日全部のこと。ナンパからも助けてくれたし、私のお願いを聞いてこうして出掛けてくれたし、今も家まで送ってくれるし……ほんとに嬉しい」


 一緒に遊んでいる女の子がナンパをされていたら助けるのは当たり前。

 確かに、桜坂の我儘で今は出掛けているが、元はと言えば誤魔化そうと自分が口を滑らせてしまったから。

 なんだかんだ二人きり同級生の女の子と一緒に出掛けるのは初めてで、俺もかなり楽しませてもらった。

 欲を言えば、女装しないままの状態で気兼ねなく遊びたかったが……それは、こうして満足した一日を送ったあとでは些事だろう。


「裕樹から話を聞かされた時はびっくりしましたが、私も桜坂さんとは遊んでみたかったですのでお礼を言われるほどではありません」

「そう?」

「はい、

「……そっか」


 桜坂は小さく呟くと、何歩か先に前を歩いた。

 そして、勢いよく振り返る。


「私、やっぱりyukiさんのことが好きっ!」


 唐突に放たれたその言葉。

 教室で何度耳にしたことか? それでも、不思議と俺の足は止まってしまった。


「クールで美人なところがかっこいい! 身長も高くて、スラッとしてて、まつ毛も長くて……あと、雑誌で見るyukiさんは迫力があって、すぐに目を惹かれちゃうの! 私は、そんな魅力的なオーラを含めてyukiさんに憧れてる!」

「あ、ははっ……嬉しいですね」


 気恥ずかしい。しかし、真っ直ぐにこうして言ってもらえると嬉しいとも思ってしまう。

 こんな格好なのに、色んな人からも言われているのに……本当に不思議だ。

 だからこそ、俺は照れ臭くて頬を掻いた。



 しかし、言葉の続きはまだあったようで───


「私の我儘に付き合ってくれる優しさとか、私を私としてちゃんと見てくれたこととか、怖い男の人相手でも私を助けてくれたかっこいい姿とかが……大好き」


 憧れではなく、大好き。

 同じ言葉のようで、どこか意味合いが違う。

 続けて口にした言葉を発した桜坂の頬は、何故か俺以上に真っ赤に染っていた。

 まるで……、錯覚してしまうほどに。

 抱いていた気恥ずかしさは一気に霧散し、ドクドクと心臓が跳ね上がる。


「そ、そういう言葉は私じゃなくて好きな人に言ってあげた方がいいですよ」


 俺は激しく脈打つ心臓を誤魔化すように、ついそんなことを言った。

 すると、桜坂は小さく口元を押さえて真っ直ぐにこちらを見据える。


「うん……ちゃんと私の好きな人に言うね」

「えっ? いる、の?」

、私の好きな人」


 その言葉がyukiに向けられた言葉ではないのは分かっている。

 何せ、向けられている瞳が熱っぽく、真剣で、教室でyukiの話題を話している時とは違ったものだったから。


 ───今まで浮ついた話がなかった三大美少女に、好きな人がいる。


 これは俺だけではなく、学校の人間ですら知らない話。もしかしたら、幾田も楪も知らないのではないだろうか?

 だからこそ、俺は思わず口を開けて驚いてしまう。

 しかし、すぐさま我に返って何とか言葉を返した。


「……今の話、内緒にしておきますね」

「ふふっ、ありがとうございますっ♪」


 上機嫌な彼女は、再び前を歩く。

 先程まで横に並んで歩いていたというのに、何故か横に並べなかった。

 何せ、耳元まで真っ赤に染めている彼女の後ろ姿がまるで恋する乙女といった姿で……目が離せなかったのだ。



 ♦♦♦



(※久遠視点)


 ……言っちゃった。言ってしまった。

 でも、後悔はしてないもん。

 確かに雰囲気に流されて言っちゃった気質はある。だって、yukiさんがあんなに優しいことを言ってくれたんだもん、仕方ないよね?

 まぁ、これが練習でいつかの予行だと思っておけば大丈夫。


(今度はちゃんと)


 いつになるかは分からない。

 心の準備がいつ終えるのかは分からない。

 それでも、必ず誰かに奪われる前に言っておきたい。

 今言っても、竜胆くんに迷惑をかけちゃう。黙っているってことは、気づかれたくないってことだし、もう少ししてから。

 そこは尊重してあげなきゃ……だって、二回も助けてもらったんだもん。負担にもなりたくないしね。

 ここまで想うなんて我ながら単純で、なんとも可愛らしいことか。

 本当に、こんな気持ちは初めて。いや、きっとあの時からそうなんだと思う。

 私は彼のことを───


(はぁ……これが恋かぁ)


 私が好きになった人は、昔に私を助けてくれた人。

 美人で、かっこよくて、綺麗な……私が憧れている男の子だ。

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