憂鬱なことの始まり
憂鬱なことは早めのうちに済ませておくに限る。
俺は嫌いなものは先に食べて、あとで好きなものを美味しくいただく派だ。
その方が、あとに憂いがなく、初めに我慢さえすればすぐに嫌なことから解放されるから。
再三言うが、俺は憂鬱なことは早めに済ませておく人間である。
故に―――
「お、お待たせしましたっ!」
家に遊びに来られてから三日が経ち、時は週末。
程よく賑わいを見せる駅前で待っていた俺の目の前に現れたのは、以前コーディネートした服を着た桜坂の姿だった。
相も変わらず可愛らしい。ただし、いつもの派手さが抑えられて、彼女の学校生活を知っている側からすると妙な新鮮さとギャップを感じる。
そこがまたいいのだから、本当に美少女と言うのは恐ろしいものだ。
「いえいえ、そんなに待ってませんよ」
とりあえず、いつものように声のトーンを上げて手を振った。もちろん、小さな笑顔を忘れずに。
「そう言ってもらえて助かります……あっ、敬語は嫌なんでしたっけ?」
すると「ごほんっ」と、桜坂は咳払いを入れる。
そして———
「今日はよろしくね、yukiさんっ!」
いつぞや、屋上でした約束を覚えているだろうか?
『俺がyukiと会わせてやる!』
誤魔化すために自ら墓穴を掘ってしまったあの言葉。
今でも妬ましいと思う……何せ、今日は女装したyukiとして桜坂と会っているのだから。
(はぁ……今日の俺、大丈夫かね?)
憂鬱なことは先に済ませておくに限る……限るのだが、どうして週末に履行することになったのか?
それは、家に遊びに来た翌日まで遡る―――
♦♦♦
『ねぇねぇ、ラークのCM見た!?』
『うん、yukiが出てたよね』
『同い年であの色気ってズルいよね~』
『ほんと、yukiが美人すぎて羨ましいわー』
なんて会話が繰り広げられているのは、我がクラスに在籍する三大美少女……ではなく、他のクラスの女子達だ。
そういえば、以前にラークという化粧品メーカーのCMに抜擢されて撮影したやつが放送され始めたんだった。
といっても、テレビではなくYouTubeなどのネット媒体ではあるが。それでも、大きい仕事なのには間違いない。
こういう世間の反応を聞くと、嬉しいと思うのと同時に気恥ずかしくもあり、なんだか引き返せないところまできているような実感が湧いてしまう。
……あいつら、中身が女装した俺って知ったらどういう反応をするのだろうか? 想像しただけでも恐ろしい。
「ふふっ、yukiさんもすっかり人気者ですね」
「古参として鼻が高いよ! 私達みたいなファンが増えることを望む!」
一方で三大美少女様はというと、その反応を見てかなりご満悦な顔をしていた。
どうやら、憧れが話題になってかなり嬉しいようだ。
その光景が余計に気恥ずかしさを与え男の尊厳を失わせさせているような気がするのだから、教室の隅っこでうつ伏せている俺にとっては辛いものである。
「確かに、あのCMはいつもと違うyukiさんの魅力があるよね……って、由香里ちゃん。スマホばっかり見て何してるの?」
「ん? その広告が流れるまで適当にYouTube再生してる」
友人との談笑を無視して何をしてるのかね、君は。
「あの日以来さ、もうyukiさんがどこかに映る度に魅入っちゃうんだよね……ほんと、憧れている人ってだけじゃないんだろうなぁ」
そう言って、熱っぽい瞳を浮かべながら動画を流す幾田。クールな彼女にしては珍しい表情に、話しかけられてもいない周囲の男子達は見惚れて頬を赤くしていた。
(そういえば、最近幾田からも連絡が来るようになったな)
といっても、ただの中身のない世間話を含んだ雑談ばかりだが。
てっきり「会いたい!」とか「電話できませんか!?」とか来ると思っていた。しかし、蓋を開けてみればそんなことはなく、己の自意識過剰さに当初は恥かしさを覚えたものだ。
迷惑でもかかるとでも思っているのだろうか?
(……とりあえず、寝るか)
いつも話す榊原はまだ教室にはいない。
そのため、女装もしていない日陰者の俺はこうした空き時間をふて寝して時間を潰すしかないのだ。
だから、俺は机に突っ伏して瞼を―――
「ねぇねぇ、竜胆くん!」
―――閉じようと思った時、唐突に頭の上から声が掛かる。
ふと顔を上げると、そこには最近話しかけに来る友人(?)の桜坂と楪の姿があった。
「今から寝ようとされていましたが……昨日は寝不足だったのですか、竜胆さん?」
楪が口を開いた瞬間、クラスの中が一斉にざわつき始める。
『おい、今度は楪さんまで!?』
『マジで竜胆の野郎……何したんだよ? 昨日も放課後一緒に出掛けたみたいだし』
『俺なんか、業務連絡以外で話しかけられたことなんてないぞ?』
桜坂だけでなく楪まで。
昨日の発言も含めて、こうして自発的に声をかけたため、周囲は驚いてしまう。
注目を浴びることには慣れてしまったが、あまり浴びたいわけではない。
かといって話しかけられたのに無視をするわけにもいかず、俺は重くなりかけていた瞼を開けて二人を見る。
「……幾田を放置していいのか?」
「彼女は絶賛、yukiの広告が出るまで耐久で動画視聴をしておりますので」
「そっか」
なんか複雑でしかない気分だ。
「改めて、昨日はありがとうございました……とても楽しかったです」
「私もー! ごめんね、昨日は我儘を言っちゃって」
どうやら、二人の用件はそれを言いに来たみたいだ。
あのあと、日が暮れるまでずっと四人でゲームをしていた。結局鍵をかけたおかげか、姉さんは皆が帰るまで帰ってこず、多々良さんも俺と二人きりになるまでレポートを作成。
なんだかんだ、しっかりと四人で遊べた一日だった。加えて、この大人数で遊んだのは久しぶりで、俺もかなり楽しませてもらった。
「いいよ、あんまり家にはあげたくなかったが……俺も楽しかったし」
「ふふっ、そう言っていただけて嬉しいです」
楪が上品な笑みを浮かべる。
流石はご令嬢と言ったところか、無邪気な桜坂とは対照的にお淑やかな雰囲気を見せてくる。
「時に、竜胆さん」
その時、不意に楪が俺に少しだけ顔を近づけた。
そして———
「週末、ご予定などいかがでしょうか? もしよろしければ、今度は私の自宅に遊びに来られませんか?」
「はァ!?」
楪の唐突な申し出に、俺は思わず席を立ってしまう。
俺が行けなかったカラオケでも鉄壁だったらしい楪が、わざわざ自分の家に招く。それがどれだけ意味の分からないことか。
まさか、昨日家にあがらせて親密度が急上昇したのか? だが、いきなり女性が異性を招くほどいきなり距離が近くなるなど……いや、いたな。楪の隣に。
「な、何を言ってるの、奏ちゃん!?」
俺と同じように驚いた桜坂が声を上げて距離を詰める。
しかし、楪は表情を変えずに答えた。
「あら、私はただお礼をしたいだけですよ? 何せ、昨日はご無理を言ってしまったので」
「ぐぬぬ……ッ!」
別にお礼などいいのだが、そういう話らしい。
とはいえ、あの三大美少女様のご自宅にお邪魔するのを簡単に「行きます!」とは言えない。
相手は異性。それも、学校でかなりの人気もある。
間違いなど起こす気はないが、お礼を受け取った時点でクラスから色んな反応を受けることは間違いない。
(さて、どうしたもんか……)
断りたいが、友人も少なく撮影もない俺は週末に予定も入っていな―――
「ん?」
そう思った時、ふとスマホから通知音が鳴った。
仕事の連絡かもしれないと、楪に「すまん」と断りを入れて画面を開く。
久遠『今週末、yukiさんに会えないかな? 色々お礼、したいので』
すると、そこには事務所の関係者ではなく、こそっと背中を向けてスマホを取り出していた少女からのメッセージが届いていたのであった。
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