堂々としていられる理由

 何故蓋を締めていなかったのだろう以前に、かけられたペットボトルの中身はコーラだったのが悲しい。

 中身もいっぱいあったことから、もうこのまま着て帰れる状態ではなかった。

 だから俺は眺めていた店の服を購入して、そのまま着替えて濡れた服は袋に入れてもらった。結局、選んだ服は気持ち悪かったこともあり興味のあったマネキンの服一式である。


「ほ、本当にごめんなさいっ!」


 ペコペコと、何度も店の前で頭を下げる幾田。

 クールビューティーがこんなに慌てている姿は正直新鮮だ。教室ではきっと、桜坂達も見られない姿だろう。

 だが、店の前で頭を下げられると往来の注目を浴びていたたまれない。


「あの、顔を上げてください。別に私は気にしませんし」

「で、ですけど……」

「いや、本当に大丈夫ですから。逆にこの服を買うのを迷っていたので、機会を下さってありがとうございます」

「ッ!?」


 正直なことを言うと別に買おうかとは悩んでいなかったが、こう言っておけば向こうも罪悪感を覚えずに済むだろう。

 それに、意外と着てみてしっくりきている。濡らされたことには少し不満はあるが、この買い物にはまったく不満はない。

 不満がないということは……本当に、俺も女装に違和感を持たなくなってしまったようだ。


「yukiさんは、その……かっこいい人なんですね」


 顔を赤くした幾田がポツリと呟く。

 そこいらの男子よりもクールな彼女に言われるとは、少し嬉しいものである。


「でも、服のお金とかクリーニング代は出させてください! 私のせいでこうなってしまいましたし」

「いいですって。こう見えてもかなり稼いでいるので、これぐらいは」

「そうなると、もう私は何もできないのですけど」

「別に私は気にしていませんので。それより、もう少しフランクに接していただけると助かります。見た感じ、恐らく同い歳でしょう?」


 見た感じ、というか同い歳だというのは知っている。

 だからこそ、こうして畏まられると凄く違和感を覚えて居心地が悪い。桜坂と話して思ったが、俺はどうやら同年代に畏まられるのはどうも苦手らしかった。


「それを言ったら、yukiさんも」

「私はこれが素なので」


 素で話すともしかしなくても学校での口調と一致してバレる恐れがある。

 こうは言ったが、俺はyukiとして取り繕わせてもらおう。


「でしたら……ううん、なら分かった」

「そうしてください」


 とは言いつつも、早急にこの場を離れた方がよさそうだ。

 同じクラスメイトと話し込んでボロが出るのは濡らされたこと以上に嫌だから。


「では、また機会があればお会いしましょう―――」

「ま、待って!」


 踵を返そうとした瞬間、唐突に袖を掴まれる。

 もしかして、写真を撮ってほしいとかだろうか? いや、それは思い上がりか?

 いくら教室で幾田がyukiのファンだと言っていても、流石に服を濡らしたあとに写真を要求するほど厚かましくはないだろう。

 だとしたらなんだ? ふと疑問に思ってしまう。

 すると―――


「ごめん、ファンとして失礼を承知で聞きたいがある……yukiにもし会えたら、ずっと聞きたかった」

「ん?」

「ど、!?」


 引き留められた言葉は、そんなもの。

 あまりに意外だったことに、俺は思わず固まってしまう。


「へ?」

「私、人前に出るのが苦手で、どうしても緊張してあがってしまうから」


 幾田と同じクラスになってからまだ日が浅い。

 彼女のことを全部知っているかと言われればまったく知らないのだが、普段の幾田を見ていて「人前で緊張してしまう女の子」というのは想像もしなかった。

 質問の内容も意外だったが、まさか幾田がそうだったとはかなり意外である。


「でも、友達から今度の生徒会選挙の応援演説をお願いされちゃって……もう一人その子の友達がいるんだけど、その子はちゃんとできるか不安らしくて私にお願いされて」


 そういえば、まだ少し先ではあるが生徒会選挙が控えていたんだった。

 三年生の受験のために早めに二年生が代替わりをし、生徒会長のみ選挙によって決定される。

 その応援演説ともなれば、確かに明るくて奔放な桜坂よりも幾田の方がしっかりしてくれそうだ。


「本当は断りたかったんだけど、その子を応援したいって気持ちがあるから断れなかった。けど、私にちゃんと務まるかが不安……」

「…………」

「yukiは同い歳なのに堂々とメディアに顔を出してるよね!? 全校生徒よりも、大勢に顔を見られているのに……私、yukiのそういう部分にずっと憧れてて、それでもし会えたら聞いてみたかった」


 ファンとしての質問……ではないような気がする。

 彼女の瞳が揺れていて、縋るように不安の色で滲んでいた。

 できたら早く幾田と別れて関わらないよう家に帰りたい―――しかし、こんな姿をみると適当に言葉を投げるわけにはいかない気がした。

 本当は、雑誌の撮影やインタビューを受ける時も「早く終わらせるために」という気持ちでやっていたから、堂々とする秘訣なんて持ち合わせてはいない。

 だがyukiとして、幾田の力にはなってあげたいと思った。


「緊張って、結局は「周りに自分が見られている」からするものなんだと思います」


 裾を握っている幾田の手をそっと握る。


「自分が見られている。そのせいで「失敗してイメージが下がったら」などとマイナスな思考が働くんです。周囲の空気が、視線が、カメラが、逃がさないよう自分を追い込んでいく。己の行動が、全て自分に対する評価になってしまうから」

「…………」

「だから、私はこう考えることにしています―――なんだと」


 メディアに写っている自分は、所詮女装した自分だ。

 どんな顔をしようとも、どんなに行儀が悪かろうとも、この瞬間に見られているのはモデルのyukiであって竜胆祐樹じゃない。

 だったら、失敗しても傷つくのは女装している自分という仮面だけで、本当の自分は傷つかない。

 故に、不安はないんだ―――何があっても、周囲の評価は自分自身ではないから。


「こう考えてみましょう。演説しているのは『学生の自分』であって、学校の外に出た私は違うんだと。所詮は学校なんて三年間しかありません……この一回、仮面のあなたが傷ついたとしても、これからのあなたにはなんの影響もありません」

「yuki……」

「だから、私からできるアドバイスは本当の自分を強くすることだと思います。学生の仮面よりも、自分を大切にできるように。私、実は家ではゲームや漫画ばっかり読んでいるズボラなんですよ?」


 真っ直ぐに、俺は幾田の瞳を覗き込む。

 俺の言葉が刺さったからか、先程まで見えていた不安の色はどこか薄くなっているような気がした。

 それを見て、俺は思わず口元が綻んでしまう。


「そういえば、さっき「私に合うか」って悩まれていましたよね?」

「あ、うん……そうだけど」

「よし、ならせっかくなので私が服を選んであげましょう!」


 俺は幾田の手を引き、店の中へ連れ込む。


「えっ、え!?」

「あなたがもっと自信を持てるように、似合う服を着させます! 本当の自分はこんなに可愛いんだと、思ってもらうように!」


 正直、幾田は着飾らなくても充分に綺麗だ。

 俺の手助けなんていらない……そう、本当にいらないんだ。俺が手を差し伸べる必要もない。

 だけど、何故か手助けしてあげたくて。離れなきゃいけないはずなのに、わざわざ自分で関わる時間を増やしてしまった。


 これが愚策か? なんて質問は野暮だろう。

 愚策なんて、言わなくても分かっているのだから。

 しかし、応援してくれている人にぐらいは……愚策を選んでもいいのではないだろうか?


「……ありがとう」


 背中越しに、そんな言葉が耳に届く。

 心なしか、彼女の握っている手が熱くなっているような気がした。

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