女装の始まり

 俺が女装をするきっかけになったのは、去年の年末のことだった。



「クソッ、スリーカード……ッ!」

「やったー、ストレート!」


 目の前で喜ぶのは、艶やかな金髪が目立つ女の子。

 女性なら誰もが憧れるプロポーションと美しさに可愛さを合わせた綺麗な顔。長い睫毛と潤んだ桜色の唇は誰もが目を奪われる。

 そんな彼女は竜胆楓りんどう かえで……今年大学に入った、俺の姉さんだ。


 そして、俺はそんな姉さんに―――


「んじゃ、負けた人には罰ゲーム———♪」

「ちくしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」


 そう、女装をさせられるのだ。

 年越し前の余興として行っている恒例行事の一環で。

 ちなみにやっていたのはポーカー。俺が勝ったらお年玉を倍もらうという条件でのゲームであった。

 しかし、蓋を開ければなんのこっちゃ……結果は誰もが喜ぶお金ではなく、一部の腐った人間しか喜ばない野郎の女装である。


「お、落ち着け……冷静に話し合おう。そしてやり直しを要求する」

「だーめ♪ お姉ちゃんはゆうくんの女装が見たくて、今日という日を楽しみにしていたんだから!」


 姉さんが悪戯好きだというのは、正直十五年間で十分に知っている。

 そして、安易なことでは自分の行動を曲げない人間であるということを。


「か、金か? 金がほしいのか!? いくらだ……時間さえいただけたら、必ず用意しよう!」

「そんな誘拐された子供を助ける父親役なんてやらなくても、私がほしいのはゆうくんの女の子姿だけだよ! それに、お金ならいっぱい持ってるしねぇ~」

「ぐっ……この売れっ子現役モデルさんめ!」


 そう、姉さんはモデル。

 正直、身内びいき抜きにしてこの容姿でスカウトされないのがおかしいとは思う。

 そして、この容姿と奔放な姿も相まってタレント業でも引っ張りだこなのだ。おかげで色んな案件も舞い込んでくるようになり、お金は本人が言うようにたんまり。聞くところによると、CMの仕事が一番美味しいらしい。


「そ、そもそも俺は男だぞ!? どれだけ着飾ってもネタ枠かお茶の間の子供に害を与えるキャラにしかならねぇだろ!」

「ふふんっ! 確かにゆうくんは「私の弟なの?」ってぐらいパッとしない顔だけど」


 これはこれで張り倒したい。


「意外と肌も綺麗で顔もちっちゃいし……身長も高いからかっこいい王子様枠の女装なら似合うんじゃないかな?」


 冷静にマジマジと見つめてくる姉さん。

 思わず後ずさっても、残念なことに背後のリビングの窓には鍵がかかっている。脱走を試みてもすぐにホールドされそうだ。

 ゴクリと、本気な瞳を向けてくる姉さんに息を飲んでしまう。

 すると、姉さんはソファーの下からコスメポーチとを取り出し―――


「うん、いける!」

「ロリータ服は流石にないだろう!?」


 どうやらこの姉の瞳は酷く腐っていらっしゃるようだ。


「っていうのは冗談として……この前撮影でもらった服が多分ゆうくんに合いそうなんだよねぇ」


 そう言って、姉さんは立ち上がってリビングを出ようとする。

 なので、俺も一緒に立ち上がってリビングの窓へ向か―――


「脱走したら三十分耐久お姉ちゃんとのチューだから」


 ―――俺は大人しく正座して姉さんを待つことにした。



 ♦♦♦



「でけたっ!」


 それから、女性ものの服を着さされ、玩具のように姉さんにされるがままメイクをすること一時間。

 そろそろ除夜の鐘が鳴りそうになった時間帯で、ようやく姉さんが俺から離れてくれた。


「……こんなに本気でメイクしなくても」

「きゃーっ! 自分でしておいてなんだけど、ゆうくんかっこ可愛いよー!」

「かっこ可愛いってなに?」


 メイク中一度も鏡を見ていないから今の状況が分からない。

 もしかして、メイクはするだけして男のままの俺でいさせてくれたのだろうか? 確かに、今は男性でもメイクをする時代だし―――って、それはないか。服が女性ものでウィッグを着けさせられたのだから。


「今回はねー、ゆうくんを『王子様系女子』にしてみました!」


 姉さんが自慢げにアイラインを振りながら語る。


「ウィッグは黒のストレート。男の子で身長も高いから、なるべくスタイルのよさが似合う服装を……ってことで、カーキニット×ネイビーパンツでボーイッシュさを! メイクはナチュラルに素材のよさを活かすための工夫をしました! いやー、化かした私が言うのもなんだけど……正直、超似合ってる」

「ごめん、まったくをもって嬉しくないんだわ」

「ふふふっ……このちょっと男っぽい感が出てるのが正にいいって言うか。男の子もゆうくんを見て瞳がハートになっちゃうよ」


 今からズボン降ろして瞳、潰しましょうか? 下は辛うじてボクサーパンツだぜ?


「はぁ……メイク落としていい? なんか違和感しかない」

「あー、ちょっと待ってて」


 姉さんがスマホを掲げた途端、シャッター音が鳴った。

 モデルの姉さんがいつも写真を撮ってインスタの更新をしているのは知っているが、まさか俺がそこに入ってしまうとは。まだ誰も姉さんに弟がいるなんて知らないのに。


「よーしっ、インスタにあげちゃおーっと」

「……女装してる弟とか書くなよ?」

「分かってるぜべいべー、ちゃんとだってネタで終わらせるから♪」


 はぁ、と。楽し気にスマホを操作する姉さんの傍でもう一度ため息をつく。

 今の俺がどんな顔かは知らないが、妹だと書いて投稿しても俺が男だっていうのはバレるだろう。

 何せ、いくら気合いを入れてメイクをしても所詮は男だ。誰が見ても女ではないと分かるはず。

 彼氏がいますよ……なんて匂わせ投稿を今売れている姉さんができるわけもないし、結局弟だと言うことになる。

 口では「書くな」とは言ったが、この際弟がいると分かってもいいだろう。


(ただ、女装趣味の変態だって思われそうなのは嫌だな……)


 まぁ、弟ですって投稿する時に「罰ゲームでさせました!」とでも書かせればいいか。

 そういうキャラだっていうのは、もうメディアのおかげで知られているわけだからな―――


「や、やばい……」


 その時、急に姉さんがそんなことを呟いた。


「どうかしたの?」

「いや、その……うん、本当にゆうくん似合ってるしかっこ可愛いなとは思ったけど……」


 ふと気になって、俺は姉さんに近づく。

 すると、姉さんはスマホの画面を俺に見せてきた。

 そこには、投稿したばかりだというのに絶え間なく並んでいくコメントの数が―――


『やっば、楓ちゃんの横にいる女の子誰!?』

『妹ちゃんいるのも驚きだけど、妹ちゃんがこんなにかっこいいのも驚き!』

『この顔はヤバい反則級に可愛い! 街で会ったら声かけちゃいそう』

『かっこ可愛いっていうのかな、、、とにかく姉妹揃って顔面偏差値高すぎ!』


 この時、俺は初めて自分がどんな姿をしているのかを知った。

 知ったのは、いいが……これは、流石に……。


「……やばい、



 姉さんがモデルで、かなりのフォロワー数を持っていたから起こった現象なのだろう。

 しかし、間違いなく―――この投稿が、俺の生活を大きく変えていく原因となった。

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