後日談 ~『新婚旅行』~
エリスとアルフレッドは帝国を訪れていた。公務ではなく、純粋な観光を目的とした新婚旅行である。
この世界に新婚旅行の文化が存在するのは、先代聖女が広めたからだ。結婚したばかりの夫婦は世界の国を旅して、見聞を広めるのだ。
そんな新婚旅行の行き先として最も人気なのが帝国である。歴史的建造物が多く、食事も美味しいのが理由であり、世界中の人たちがバカンスを楽しんでいた。
「アルフレッド様、あちらのホテルです」
帝国の街道は整備されており、街並みは美しい景観を保っている。そんな商店の連なりにおいても、一際、美しい景観の建物があった。
帝国首都ホテル――エリスたちの宿泊先であるが、目当ては最上階にあるレストランだ。
「この日を待ちわびたな」
「ですね♪」
エリスたちがレストランへ足を踏み入れると、特別室へと案内される。窓際の個室で、煉瓦造りの街を俯瞰して楽しむことができた。
純白のテーブルクロスの上にホイップバターが乗ったパンケーキが用意される。苺も添えられ、鮮やかな見た目で輝いていた。
さらに上からメイプルシロップが注がれ、甘い蜂蜜の香りが広がる。食欲が刺激され、口の中に涎が溢れた。
「エリスの空間魔術で映像を見た時よりも豪華になっているな」
「リニューアルしたそうですよ」
「私のパンケーキとどちらが美味しいか勝負だな」
アルフレッドはナイフとフォークを匠に使い、一口サイズに切り分けたパンケーキを口の中に放り込む。食べた瞬間、笑みを浮かべ、すぐに悔しそうな表情に変わった。
「私の負けだな……完敗だ……」
「本当ですか?」
「食べてみれば分かる」
「では……」
エリスもパンケーキを食べてみる。バターの味わいと蜂蜜の甘さが上手く調和していた。味覚に訴えかける力はたしかにアルフレッドの作ったパンケーキよりも上だ。
「でも……私はアルフレッド様のパンケーキの方が好きですよ」
「エリス……」
「あ、お世辞じゃないですよ。本心ですから。理由は説明できませんが、私はあの時食べたパンケーキの方が好みです」
愛情がスパイスになるように、共に過ごしてきた生活は、エリスの好みを把握するのに十分な時間だった。
だからこそアルフレッドの作ったパンケーキはエリスの舌に合うように上手く調整されていたのだ。
「エリスに褒められるなら悪い気はしないな」
「ふふ、また作ってくださいね」
「ああ。楽しみにしていろ」
エリスたちはパンケーキを満喫した後、腹ごなしに街の散策を開始する。俯瞰した光景と違い、行き交う人たちや商店の雰囲気までが肌で感じとれる。異文化を身近で体感しながら、アルフレッドと手を繋いで歩く。
「帝国なら注目が集まりませんね」
「一目を気にせず、大胆にデートできるのはありがたいな」
聖女として一躍有名になったエリスと、王国一の美男子として名高い公爵が、手を繋いで歩いていたら、意図せずとも目立ってしまう。
だが帝国は違う。美男美女のため多少の視線は感じるが、王国よりも数は少ない。
聖女や公爵の噂が帝国まで届いていたとしても、世界中から人が集まる帝国では、それがエリスたちのことであると結びつかないからだ。
「客引きも多いですね」
「観光客に人気な街だからな。だからこそ憲兵を多く配置し、治安維持に努めているようだな」
「人が集まればトラブルは避けられませんからね」
街道には周囲の様子を探る憲兵が多い。彼らはエリスと目があうと、敬礼を返してくれる。ただの一市民に向ける反応ではない。アルフレッドはその反応を自然と受け入れていた。
「他国から訪れた貴族の安全を守るのも、憲兵の重要な責務だからな。私たちの特徴と共に公爵と聖女の存在を知らされていたのだろうな」
「なら、あの人もそうなのでしょうか……」
エリスの視線の先には外套を被った占い師のような格好の男がいた。眼の前には木箱が置かれており、その傍ではカップルが肩を落として落胆していた。
「そこの美男美女のカップルさん。帝国名物、運命占いを試していかないかい?」
「……運命占いですか?」
「箱の中には手の平サイズのボールが複数入っている。二人でボールを引いて、両方当たりなら、そのカップルは運命の相手だと証明される。祝いに俺から金貨百枚をプレゼントしよう」
「…………」
つまりは占いという名の博打だ。
(こういうクジは胴元が得をするようにできていますからね)
無視して立ち去ろうとした時、占い師の男はニンマリと嫌らしい笑みを浮かべる。
「逃げるのかい?」
「……行きましょう、アルフレッド様」
「二人が運命の人でないと証明されるのが怖いんだろ」
あからさまな挑発だ。だがアルフレッドの足を止めるだけの切れ味があった。
「今の言葉、取り消してもらおうか」
「嫌だね。俺に認めさせたいなら、運命占いで証明してみせな」
「いいだろう」
「アルフレッド様!」
「心配するな。私たちは運命の相手だと、挑発したことを後悔させてやるさ」
いつもは理知的なアルフレッドが冷静さを欠いていた。他のことならいざ知らず、エリスとの関係性を疑われて、捨て置くことができなかったのだ。
「一回、金貨一枚だ」
「これでいいな」
「まいどあり~」
木箱には二つの穴が空いていた。アルフレッドとエリスはそれぞれが手を入れ、卓球玉くらいのボールを探す。
(意外と箱の中のボールは少ないですね……)
大量のハズレで、当たりを引かせないつもりだと予想していたが、どうやらそうではないらしい。
良心的だと驚きながら、ボールを掴んで抜き取ってみる。エリスのボールは白、アルフレッドのボールは赤だった。
「惜しかったが、お二人さんは運命の相手ではないとの占い結果が出た。大人しく受け入れるんだな」
占い師はエリスたちからボールを受け取り、それを改めて木箱に戻す。その様子を見ていたアルフレッドは、なにかに気づいたのか冷静さを取り戻す。
これが絶対に勝てないギャンブルだと気づいたのだ。
やられっぱなしで終わるアルフレッドではない。策を思いついたのか、口角を僅かに上げる。
「改めてチャレンジさせてもらおう」
「まいどあり~、今度こそ良い占い結果が出るかもな」
「ただ引く回数は箱の中身が空になるまでだ」
「はぁ?」
占い師の男は不機嫌を隠そうともせずに眉を顰める。その反応で、エリスもトリックを察する。
(こういう詐欺が前世にもありましたね)
箱の中には当たりが一つしか入っておらず、何度挑戦しても、二つ揃うことがないようにしているのだ。
この詐欺の肝は一つだけは当たりを引けることだ。最初から赤のボールを完全にゼロにする場合と比べて、僅かな成功体験を得られるため、より騙しやすくなるのである。
「あんたたちは、俺が詐欺師だとでもいいたいのか?」
「それは箱の中を確認すれば分かることだ」
「嫌だね。あんたらに確かめさせてやる理由はないからな」
「なら構わない。こちらにはエリスがいるからな」
アルフレッドの目配せを受け、エリスは空間魔術で箱の中の映像を映し出す。赤のボールは一つ、残りは白のボールだけだった。
「やっぱりな」
「うぐっ……」
占い師の男が悔しがっていると、騒ぎを聞きつけて憲兵が駆け寄ってくる。
「どうかされましたか、公爵様、聖女様」
「公爵に聖女だとっ!」
自分が騙していた相手が王国の有名人だと気づいたのか、額に汗を浮かべる。憲兵はその様子から事情を察し、木箱の中を検めた。
結局、赤のボールは一つだけ。詐欺が証明されたのである。
「我が国の者が失礼しました。この者は厳罰に処しますので、どうか帝国での旅行を引き続き、お楽しみください」
いくぞと、憲兵が占い師の男を連行していく。その背中を見送りながら、エリスは微笑む。
「とんでもない人でしたね……でも、アルフレッド様の動揺する姿を見られたのは貴重な経験でした」
「あれは……君が運命の相手ではないと挑発されたから……」
「ふふ、占いなんてしなくとも、私はアルフレッド様が運命の人だと信じていますよ」
「そうか……そうだな……」
トラブルを経験したが、それから数日間、エリスたちは新婚旅行を満喫する。夫婦として共に過ごした時間は最高の思い出になったと、生涯、この日のことを忘れないのだった。
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