第二章 ~『小麦の救世主』~


 アルフレッドが王都に出かけてから一ヶ月が経過した。肌寒さが増し、曇り空が多くなっている。


 エリスはこの一ヶ月の間、塩害被害を治すことで魔力増強の鍛錬を繰り返していた。やりがいのある仕事でアルフレッドのいない寂しさを紛らわせていたが、そろそろ限界が近づいていた。


(アルフレッド様に会いたいですね)


 距離が離れたことで、彼を求める感情がより強くなっていた。暇ができては、ついつい王都の方角に視線を向けてしまうほどだ。


「エリス様、本日も農作業ありがとうございました」


 使用人として働く若い男性が頭を下げる。彼はエリスが回復魔術を使えることを知らない。シャーロットからは農学の専門家だと説明されており、土を調べていると思っていた。


「エリス様の見立てでは、土壌の調子はどうでしょうか?」

「来年には小麦が実ると思いますよ」

「それは良かった。屋敷の皆が楽しみにしていますから」


 採れたての麦で焼いたパンは絶品だ。その麦を生み出す土壌を治したエリスは、使用人たちの間で救世主扱いされていた。


(小麦の救世主くらいが私にとっては丁度良いですね)


 国を救って英雄になることは望んでいない。アルフレッドの側にいて、彼の周囲の人たちを幸せにできれば、それだけで十分なのだ。


「シャーロット様にも塩害被害について報告したいのですが、どこにいるかご存知でしょうか?」

「この時間なら自室でお休み中だと思いますよ」

「ありがとうございます」


 もしお昼寝中なら引き返そう。そう決めて、彼女の私室まで辿り着くと、扉の向こうから泣き声が聞こえてきた。


(シャーロット様が泣いている……)


 いつも明るいシャーロットの泣いている姿が想像できなかった。あらためようと決めて、踵を返すと、泣き声が止んで扉が開いた。


「人の気配を感じたと思ったら、エリスさんだったのね」

「間の悪いタイミングで失礼しました」

「泣いていた私が悪いんだし、気にしないで。ささっ、入って」

「は、はい」


 重々しい空気の中、足を踏み入れる。机の上には手帳サイズのアルフレッドの似顔絵が置かれていた。


「息子が帰ってこないでしょ……情けないでしょうけど、不安に耐えられなかったの……」

「無理もありませんよ。もう一ヶ月も経ちますからね……」

「本来の予定なら帰ってきてもおかしくない頃合いなの……でも、会合は議題がまとまらない場合、長引いて数ヶ月に及ぶこともあるわ。そのせいで遅れているだけだと、頭では理解できてはいるの……」

「シャーロット様……」


 アルフレッドが健康な状態ならシャーロットもここまでの心配はしないだろう。だが彼は呪いに侵されている。不安になるのも当然だった。


「弱い母親よね?」

「シャーロット様は優しいだけですよ。それにアルフレッド様を想う気持ちなら、私も負けていませんから。不安に想うのも理解できます」


 人前で涙を流したりしないが、ベッドの中で枕を濡らすことはあった。エリスもまた心からアルフレッドの安否を心配していたのだ。


「アルフレッド様の様子を知る方法……例えば、王都に人を派遣して、安否確認できないでしょうか?」

「難しいわね。会合は王宮で開催されているの。開催期間中は情報の漏洩防止のために外出禁止になるから、部外者も立ち入れないの」

「難しい状況ですね……」

「でも便りがないのは無事な証拠よ。きっと無事に帰ってくるわ」


 心配させないために、シャーロットはぎこちない笑みを浮かべる。優しい彼女の不安を取り除いてあげたいと、エリスの想いが高まっていく。


(アルフレッド様の元気な姿を一目見せられれば……)


 神に祈るように強く念じる。すると次の瞬間、部屋を照らす輝きが放たれ、まるでプロジェクターから投影したときのように、空中に映像が映し出されていた。


「いったいなにが起きたのでしょうか……」

「これは……いえ、それよりも、映像の中にいるのは……」

「アルフレッド様ですね」


 投影された映像にはアルフレッドが弁舌を振るう姿が映し出されている。彼の元気な姿に、シャーロットは目尻から涙を溢すが、口元には安心で笑みが浮かんでいた。


 いつもの明るいシャーロットが帰ってきたのだ。


「きっとこれはエリスさんの力よね」

「魔力を消費している感覚がありますから。おそらくそうだと思います」

「あなたにはいつも助けられてばかりね……」

「い、いえ、私もシャーロット様に救われていますから」


 助け合う相互扶助の関係だからこそ、お互いが人格や能力を尊敬しあっていた。


(シャーロット様に認められるのは素直に嬉しいですね)


 尊敬している人物から褒められて気分を悪くする者はいない。


 前世と現世含めて、シャーロットは出会った人間の中で五指に入るほどに優秀だ。現に冷静さを取り戻した彼女は、映像をじっくりと観察して、なにかに気づく。


「この映像、もしかして聖女様と同じ空間魔術じゃないかしら?」

「私にも同じ力が目覚めたということですか⁉」

「きっと空間を繋いで王都の映像を映し出しているのよ。エリスさんの新しい力が目覚めたんだわ」


 さすが私の娘だと、シャーロットは自分のことのように喜んでくれる。


(私が伝説の聖女と同じ力を……)


 未だ実感は湧かない。だがシャーロットがアルフレッドの安否の不安を忘れ、いつものように笑ってくれただけで、この魔術に目覚めた価値があったと運命に感謝するのだった。

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