第一章 ~『玉ねぎのスープ』~
窓から差し込む光で目を覚ます。夫婦になったとはいえ、嫁いできたばかりのため、ベッドにアルフレッドの姿はない。結婚する以上、夜を共にする覚悟はしていたが、心の準備ができてからで良いと彼から配慮されたのだ。
(呪いの問題もありますからね)
アルフレッドの寝室には容態が悪化したときのために、専属の薬師が張り付いている。呪いの進行を止めるための投薬があるので、夜中に目を覚ます必要があり、朝までぐっすり眠れないそうだ。
(優しい人ですし、恨まれることもなさそうですのに……いったい誰が呪っているのでしょうか)
呪いは黒魔術の使い手が、膨大な魔力を注ぎ込んで発動する。術者自身にとっても大きな負担となるので、無差別な犯行ではなく、アルフレッドを狙ったのは間違いない。
(公爵の立場を羨む人の犯行でしょうか)
可能性を挙げるとキリがない。だがどんな理由で呪われたとしても、アルフレッドを呪った黒魔術師を許せなかった。
(私を幸せにしてくれると約束してくれた人ですからね)
現世と前世で二度の婚約破棄を経験してきたからこそ、エリスは男性に外見よりも一途さや誠実さを求めた。きっと彼なら生涯愛してくれる。そう信じられた。
(美味しそうな匂いがしますね)
朝食の用意をしてくれたのだろう。身支度を整え、ダイニングに向かうと、アルフレッドとシャーロットが待ってくれていた。
「おはようございます。遅れてしまい、失礼しました」
「気にしないで。約束をしていたわけではないもの。それよりもお腹が空いたでしょうし、さっそく食べましょう」
「はい♪」
朝食は玉ねぎのスープと、焼き立てのパン、そしてサーモンに似た魚のムニエルが並んでいた。
さっそくムニエルに手を出してみる。クセのない魚の旨味が舌の上で広がる。この食材もまた高級品なのだろうと、味だけで理解できた。
「このムニエル、今まで食べた魚料理の中で一番美味しいです」
「近くの川で採れたグレータスサーモンという魔物を使っているの。この時期は特に脂が乗っていて絶品なのよ」
グレータスサーモンは一流冒険者でも討伐が難しい魔物だ。だからこそ、取引価格は高額で、昨晩のレッドバッファローにも引けを取らない。庶民感覚のエリスにとっては気後れするほどの高級食材の連続だった。
「どうかしたの?」
「こんな高級食材ばかり頂くのが申し訳なくて……」
「気にしないで。私が散歩がてら捕まえてきただけだから」
「シャーロット様がですか」
「ふふ、こう見えても、昔は有名な冒険者だったの。腕を鈍らせたくなくて、趣味と実益を兼ねて狩りを楽しんでいるの」
箱入り娘のような外見をしているシャーロットの意外な一面に驚愕を隠せなかった。
「似合わないかしら?」
「いえ、そんなことは……」
「ふふ、実家にいた頃は令嬢らしくお淑やかにしなさいと、よく叱られたわ。でも私は私。貴族の価値観に従って自分のやりたいことを我慢したくないもの。そしてそれは息子も同じなの」
名前を出されたアルフレッドは、恥ずかしげに頬を掻く。じっと彼の顔を見つめていると、観念したように口を開いた。
「実はな、このムニエルは私が調理したんだ」
「アルフレッド様がですかッ」
「貴族の子息らしからぬ趣味だとは思う。ただ料理が生き甲斐なんだ。呪いを帯びた後も。痛みを我慢してでも、鍋を振るうことを止められなかった」
この世界では男子たるもの厨房に立つべからずの考えが根強い。特に貴族の子息は剣や乗馬など相応しい高貴な趣味が求められた。
しかしエリスは転生者だ。現代的な価値観を持つ彼女は、違った印象を持つ。
「誰かのために料理を振る舞うのを恥じる必要はありません。私は立派な趣味だと思いますよ」
「……君がそう言ってくれるなら嬉しいな」
アルフレッドの口元に笑みが浮かぶ。包帯で顔が覆われているせいで、細かな表情までは読み取れないが、それでも彼が喜んでいることが伝わってきた。
(本当に素敵な人ですね)
その内面の優しさは料理にも現れていた。
ムニエルにはパセリに似た薬草が添えられている。彼は口にこそしないが、この薬草は魔力向上に効果があると言われているものであり、シャーロットからエリスの魔力ゼロの悩みを聞き、用意してくれたのだ。
「こんな素敵な朝食を毎日食べられたら幸せですね」
「君が望むなら、喜んで御馳走するよ」
「無理のない範囲でお願いしますね」
負担にはなりたくないが、厚意を断るのも申し訳ない。それに彼は尽くすことに喜びを感じるタイプなのか、美味しいと伝えたことで上機嫌になっていた。
その一方で、エリスは異変に気づく。アルフレッドの食事に手が付けられていなかったのだ。
「アルフレッド様は少食なのですか?」
「私はエリスが食事を終えた後にいただくつもりだ……なにせ呪いのせいで手が震えるからね。君に行儀の悪いところを見せたくないんだ」
痛みを我慢しているせいで、手はどうしても震えてしまう。そのせいで食事を机の上に溢してしまうこともあるそうだ。
彼も貴族の子息としての矜持がある。婚約者の前でみっともない真似を見せたくなかったのだ。
「なら私があなたの腕になります」
「それはどういう……」
「はい、あ~ん」
スプーンで玉ねぎのスープを掬って、アルフレッドの口元に運ぶ。彼は戸惑いながらも、エリスの厚意に感謝して受け入れる。
「美味しいでしょう?」
「ああ。今まで食べたスープの中で一番かもしれないな」
料理は愛情が最大のスパイスになる。それを証明するかのように、彼は満足げにスープを楽しんだ。
「エリスさん、ありがとう。あなたのような優しい人が息子の婚約者で本当に良かったわ」
「これくらい、夫婦なのだから当然です」
自分を大切に想ってくれるアルフレッドを幸せにしたい。その願いはさらに強くなって、心の中に刻まれるのだった。
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