第7話 由奈

 私は感情が見える。

 小さいころは、誰でも見えるものだと当たり前のように思っていた。

 自分だけだとわかってからは、便利だと密かに自慢に思っていた。メリットの方が多かったから。


 成長するにつれて、デメリットの方が大きくなった。見たくない気持ちが見えてしまう。


 中学3年になったとき、母が2度目の再婚をした。正直嫌だった。でも、すっかりやつれた母に私の高校の学費のためと言われれば、我慢するしかなかった。


 そこからはもう、感情が見える能力を捨てたくて仕方がなくなった。義父も義兄も気持ち悪い。

 母が入院するようになってからは、義姉だけが救いだった。ギリギリで助けてもらったこともある。


 義姉は私の高校卒業を待って結婚を決めた。一緒に来るかと言われたけれど、そんなことは出来ない。姉さんに幸せになってほしかった。


 だから、ろくでもないところへ就職させようとする義父を振り切って遠くのダンジョンへ向かった。

 高校で魔法陣を専攻していたから、稼げる自信もあった。


 なのに。

 知っているだろうか。魔物にも感情がある。落ち着いた年配の方のような、淡い感情。

 それが人を見つけると急に歓喜する。

 無邪気に悪意なく襲ってくる。

 どうしても殺せなかった。

 大好きだった最初の義父と実父の仇なのに。


 1ヶ月近くあがいた。貯めていたお金も、姉さんが最後にくれた私にとっての大金も、使ってしまった。ダンジョンの近くは宿も食べ物もとても高かった。


 意味がないと、焼け石に水だと知りつつ、姉さんがくれたものを質に入れることに。バッグも防犯グッズも、ダンジョンでは使わないのだから売ってしえばいい。意地だったのかもしれない。自暴自棄にもなっていたと思う。


 そしてその意地もひったくられた。

 感情が見える力は、本当に役に立たない。だって後ろから来られたら見えないんだから。


 不幸中の幸いなのだろうか、なにもかも諦める直前、助けてもらった。バッグを取り返してくれた人がいたのだ。

 驚いた。見ず知らずの人を助ける人はどこにもいない。いるはずがない。そう思い込んでいた。


 少年みたいなキラキラした強い感情の男性だった。

 思いきり胸を凝視されたけれど、気持ち悪いと感じなかった。感情は憧れ。

 セクハラするろくでなしではなく、先生のおっぱいにタッチするいたずらっ子に見えた。

 失礼な話、この人絶対彼女いたことないなと思った。


 それでとても救われた。

 どんな人でも悪い感情は見える。義姉だって義父に対する悪感情はいつも見えていた。

 それが、あの男性にはどうしてか見えなかった。


 結局、質屋には入らず、またパーティ探しをはじめた。ちゃんと自立して、いつかお礼がしたい。ダンジョン内で会ったらポーションを渡そう。


 けれど悪意なく入れてくれるパーティは、なかなか見つからない。

 たった一種だけれどせっかく覚えた攻撃魔法もなんとか活かしたい。宝箱を探しながら、魔物を倒す方法を模索していた。


 そして私は悪意の塊に捕まった。


 囲まれ、結界魔法シールドを割られて羽交い締めにされ、念のため持ち歩いていた警棒も奪われる。

 筋力強化魔法ブーストを使って暴れたけれど無駄だった。相手も使っているのだ。


 そのうちにどうしてか腕輪まで奪われた。魔法が。すぐに服も切り裂かれて、これで全部?

 あとは純潔くらい。姉さんが必死で守ってくれたものだ。


 叫び、暴れた。

 気持ち悪い。悪意が。

 ひとかけらの罪悪感もない。不安も、憎しみもない。でも殺意はほんの少し。

 散々楽しんで最後には殺す、いや死ぬまで楽しむつもり。

 それならいっそすぐに死にたかった。

 これなら風俗で稼いだほうがマシだった。


 突然、すぐそばに人が倒れた。目を向けても感情が見えない。

 悪意がひとつ減った。

 突き立った白い矢が、破魔の矢に見えた。


 見ず知らずの人を助ける人は、存在する。

 けれど悪意は、あと4つ。

 このままだと私が邪魔になるかもしれない。

 最後の力をふりしぼるように暴れ、逃げた。


 矢が奔る音が連続で4度、聞こえた。助かった。全身が弛緩し、気が遠くなる。


 低い男性の声が聞こえ、無意識に縮こまる。言葉の意味を咀嚼してやっと助けてくれた方だと、お礼を言わなければと振り返る。


 遠ざかる背中に、強い感情が見えた。忌避感、嫌悪感、罪悪感、後悔、辛い感情ばかり。よかったなんて思っていない。


 身投げする直前の背中だった。

 必死で引き止める。


 私を助けたせいだ。私が殺させた。お礼を言う程度ではとても済まない。


 震える手で急いで身支度を済ませ、悩みながら声をかける。


 振り返った彼から、歓喜と安堵、純粋な好意が噴き出した。


「あ……」


 もし、自分の感情か見えたなら、このとききっと好意が見えたと思う。


 たぶん、見ず知らずの人を助ける人は、そう多くない。だから私はまた彼に助けられたのだろう。


 私は感情が見える力があってよかったと、幼い頃以来ひさしぶりに、自分を肯定できた。


 感謝を伝えるが、彼の感情はほとんど動かなかった。


 どうしよう。彼の感情が、どんどん沈んていく。なにも失敗なんてしていないのに。私は助かったのに。後悔、無念、懺悔、罪悪感。


 いまひとりにしては絶対にダメだと強く思う。


 ほとんど無意識に助けを求めた。

 顔が熱い。なにを言ってるんだろう私。これでは誘っているのとなにも変わらない。

 その上断られて、さらに顔が熱くなり諦念が口をつく。


 なのに、どうして好意が見えるの?


 悩みながら話すうちにわかった。

 単純に伝わっていない。それだけ。ほかに弊害は見当たらない。


 もっとストレートに言わなければ。

 あれ? 違う。混乱してきた。


 まず死体を捨ててもらった方がいい?

 ダメ。いま死体を見せたら心が死んでしまいそう。私も耐えられる自信がない。


 解決策が見つからない。


 だんだんと自己嫌悪と徒労感に襲われ始める。私は彼の好意に漬け込んで部屋に転がり込もうとする尻軽女みたいだ。

 死にたくなってきた。


 彼は女性におかしな幻想がある。

 女性には性欲が存在せず、レイプ未遂にあった女性は男性すべてが怖いに決まっていると思っている。いまの世の中レイプなんてありふれている。

 なぜ2度も助けてくれた方を怖がると思うのだろう。


 いけないと思いつつ失礼なことを考えてしまう。お互い苛ついている。


 好意の感情を見ていると、私も好意が増していく。レイプされる前に俺が優しくしてやるとか言ってくれないかな。


 あとはもう「好きです」と言って抱きつくくらいしか思いつかない。そんなことはできない。嫌悪されるのが怖い。


 彼の好意が嫌悪に変わるなら、この力を肯定させてくれる人は、きっともうどこにもいない。


 魔物が走ってきて、彼がすぐさま槍を構える。魔物の感情は見たくないので、彼だけを見る。凛とした佇まいから繰り出される洗練された動きに惚れ惚れする。静かで綺麗。


 最初の魔物が来た時、彼の感情を見て魔法を使うのをやめた。余計なことをするべきじゃない。

 ストレス発散になっている。彼の中では人と魔物は明確に区別されているのだ。


 見える感情には、苛立ちもあるけれど、高揚感が罪悪感を超えている。不思議なことに好意はまったく目減りしていない。

 なんとしても守ろうとする強い意志を感じる。


 このまま魔物を倒し続けてもらえば死体を捨てられるかもと思った時、唐突に告白を受けた。

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