第38話 ヘカテの実
地面に刻まれた光の円陣から、テオが姿を現す。
テオは辺りを見回し、人がいないことを確認する。ここはパルキアの町の近くにある空き地で、人気のない場所だった。
テオは担いでいたバッグを下ろし、中から仮面とフード付きのマントを取り出す。
冒険者『ライツ』になったテオは、町の入口に向かって歩き出した。
「何度か試してたけど、長距離の移動も問題なかったな。やっぱり便利さで言うなら一番の【実】だ」
テオは前回パルキアの町に来た時、空き地に円陣を仕掛けていた。この瞬間移動は【ヘカテの実】の能力。
ヘカテの実は円陣を最大三カ所に仕掛けることができ、一日二回までその円陣内に移動できる【神獣の実】だ。
戦闘向きというより、日常生活で効果を発揮する能力だろう。
パルキアの町に入り、ギルドに足を踏み入れる。イヴリンに頼んでクラウツを呼び出してもらい、三日後なら公爵様に会いに行けることを伝えた。
クラウツは喜び、すぐに準備を始めるとのこと。テオは要件だけ伝えるとギルドを出て、空き地にある『円陣』を使い、自分の家へと戻った。
◇◇◇
三日後――
テオたち三人は、ギルドの用意した馬車に揺られ、領地内最大の都市『デナーダイト』に向かっていた。
当然、ブルノイア公爵と謁見するためだ。
一応マスクを付け、フードを被り、ショートソードも持ってきたが、これで大丈夫だろうか?
なにぶん初めてのことなので、正解がまったく分からない。
そんなテオを
テオも当然不安はある、でも都会に行けることは嬉しかった。
田舎暮らししかしていないテオにとって、『デナーダイト』は憧れの街だ。一度は行ってみたいと思っていた。
「建物が増えてきたよ。もうすぐ着くんじゃないかな?」
ウーゴが無邪気に話す。テオも窓の外に視線を移した。田園風景が続いていたが、確かに住居が目立ってきている。
本当に街が近そうだ。
その後、二時間ほどで『デナーダイト』に到着し、ミアとウーゴと一緒に馬車を降りる。
「うわぁ……」
高く立派な建物の数々に、テオは自然と声が漏れた。デナーダイトは四方を巨大な塀で囲まれた都市で、街の入口には巨大な「門」があった。
その門を見ただけで三人は圧倒され、街中に入ればとても高い建物に言葉を失う。
パルキアの町でもまったく見ないような美しい建造物。ミアとウーゴも周囲を見渡し、目を丸くしながら歩いていた。
しばらく歩くと別の馬車が用意されており、テオたち三人はその馬車に乗って公爵がいる邸宅へと向かった。
◇◇◇
「よく来てくれた。そなたたちが来るのを、首を長くして待っておったぞ」
目の前にいるのは優美な服に身を包んだ老齢な男性。六十代くらいだろうか? 真っ白な髪に口髭を蓄え、ニッコリと微笑んでこちらに近づいてくる。
「私がブルノイアだ。歓迎する」
「あ、お、お招きいただき……ありがとうございます」
テオは緊張した面持ちで握手を交わす。ブルノイア公爵はミアとウーゴとも握手を交わし、席を勧めてくる。
テオは「ありがとうございます」とお礼を言い、ソファーに腰を下ろした。ミアとウーゴも隣に座る。
今いるのは公爵様が住む大きなお屋敷。その一階にある客間に案内されていた。
建物自体が豪奢な造りで、部屋や廊下の至るところに置かれた調度品に、テオたち三人は圧倒される。
もし間違って一つでも壊せば、大変なことになるだろう。
テオは生きた心地がしなかった。
対面にある白い椅子に公爵様が腰を下ろす。一つ一つの動作がゆったりしていて、どこか威厳があるように思えた。
「さて、君がライツだね。話は聞いているよ。あのデルピュネーに手傷を負わせ、追い払ったとか」
「い、いえ……たまたま運が良かっただけで、大したことはしていません。それに、デルピュネーに深い傷を追わせたのは、ここにいるミアとウーゴです」
テオは視線を隣にいるミアとウーゴに向けた。二人とも緊張しすぎているためか、完全に固まっている。
緊張とは無縁に見えるウーゴでさえもだ。
公爵様は「ふむ」と顎髭を撫でながら、ミアとウーゴを優しげな視線を送る。
「君たちは三人とも【能力者】だそうだね。公爵である私でも【実】を一つ入手するのは至難の業だ。君たちはどうやって【神獣の実】を手にいれたのかな?」
公爵様は気軽に聞いてくるが、簡単に答えられる質問ではない。テオはしばし考え込んだあと、ミアとウーゴに視線を向ける。
二人は口を真一文字に結んだまま、前にあるテーブルを見つめていた。
やはり自分が話すしかなさそうだ。そう思ったテオが口を開く。
「その、たまたま海岸で見つけただけです。能力に関しては、あまり詳しいことは言わないことにしていて……ごめんなさい」
偉い人にこんなことを言うのは不敬だろう。だけど【神獣の実】に関しては、あまり突っ込まれたくないのも事実だ。
公爵様は白い顎髭を撫で、穏やかな表情を向けてくる。
「そうか。いや、すまない。答えにくい質問をしてしまったね。君たちに不快な思いをさせる気はないんだ」
「い、いえ、不快だなんて……」
ブルノイア公爵はフフと微笑み、まっすぐにテオを見る。
「君たちのおかげで大勢の人々が救われた。騎士団や冒険者が全滅しなかったのは、ひとえに君たちの功績だよ。そこで、ギルドとは別に報償を用意したんだ。ぜひ受け取ってくれたまえ」
公爵が目で合図すると、部屋の端にいた執事と思われる男性が歩み寄って来る。右手には黒い鞄が握られていた。
テオたちの前まで来ると、「失礼します」と断ってから鞄をテーブルの上に置く。蓋を開け、中から取り出したのは、ズシリと重そうな布袋だった。
執事が下がると、公爵は「さあ、中を確認して」と言ってくる。
テオが戸惑いながら袋の中をのぞき見ると、そこには大量の金貨が入っていた。
「こ、これは……」
「金貨100枚入っている。私からの気持ちだと思ってくれ」
テオは絶句した。こんな大金、生まれてから一度も見たことがない。
ゆっくり横を向くと、ミアとウーゴも言葉を失っていた。自分と同じように、現実とは思えないのだろう。
「こ、こんな大金、とてもいただく訳には……」
断ろうとしたテオだったが、公爵はその言葉を手で制した。
「ぜひ受け取ってくれ。なにより君たちには頼みたいこともある」
「頼みたいこと、ですか?」
公爵はコクリと頷き、顎髭を撫でる。
「君たちが追い払ったデルピュネーだが……元の
「ええ!?」
あんな危険な魔獣が行方不明だなんて、それってすごくマズいんじゃ……。
「ど、どこにいったんですか?」
公爵は椅子に背中を預け、深い溜息をつく。
「魔獣は深手を負うと、人間を喰らって体を回復させることがある。もし、デルピュネーが傷を癒そうとするなら、人間の多くいる街にいくかもしれない」
「人が多くいる街? それって……」
テオが恐る恐る尋ねると、公爵は顎髭を撫で小さく頷いた。
「オルイド遺跡から近くの街となると、西はボルゴンド、東ならこのデナーダイトになるだろう。そのため二つの街の警備を固めているところだ」
「そうなんですか」
テオはなんとも言えない気持ちになる。自分が神格獣を逃がしてしまったばかりに、多くの人を危険にさらしてしまっている。
やっぱりあの時、倒すべきだったんだ。
黙り込むテオに対し、公爵はやさしく声をかけてきた。
「君たちもデルピュネーとの戦いで疲れているだろうが、もしもヤツが街を襲ってきたら、また力を貸してほしい。今日はそのことを伝えたかったんだ」
頼まれてくれるかな? と問われたテオは、隣にいるミアとウーゴの顔を見る。
二人はテオに視線を向け、力強く頷いた。それを見たテオもコクリと頷き、決意を固める。
「分かりました。デルピュネーの討伐には、僕たちも参加します!」
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