file1 螺鈿箱に隠された真実 6話
遺言状を開封する日の四日前の午後。
風間明彦氏の遺言状を預かる秋山弁護士が南条と一緒に、東伯探偵事務所へとやってきていた。
聞けば、明彦氏の遺言状は彼の一周忌に開封されると言う。
「ところで、秋山さんは明彦氏の死の間際に立ち会われたんですか? 老衰だったんですよね?」
カイリの質問に、秋山が困惑の色を滲ませた。
「いえ……すみません。このような事になるとは思わなかったので、正直に話します」と秋山が話始める。何でも、まさか長男の勝彦氏まで亡くなるとは思っていなかったそうだ。
明彦氏は生前によく言っていたことがあるという。
「もう余命いくばくもないのはわかっているのだから、私が死んだらどんなことがあっても老衰と言うことにしておいてくれ」と。
「じゃあ、実際の死因はなんだったんだ?」と南条が問う。
「実際の死因は
「誤嚥?」
「はい。普段あまり飲まないそうなのですが、コーヒーをその日は飲まれたようで……」
「コーヒーが気管に入り、亡くなったと?」
「はい」
その日、明彦氏の特別個室である病室には、誰かが来ていたのかもしれないと話す秋山弁護士。どうしてそう思うのかとカイリが聞いたところ、発見された時には飲みかけの缶コーヒーが置かれていたそうだ。
管に繋がれた明彦氏が缶コーヒーを買いに行けるはずもなく、缶コーヒーを頼まれた看護師やナースエイドもいなかった。
しかし、亡くなった明彦氏の意思を尊重して、老衰ということで処理をされたそうだ。
「秋山弁護士。話して下さり、ありがとうございます。それでは四日後よろしくお願いします」
カイリがお礼を言うと、秋山はひとこと「いえ。事が事ですから」と言い添えて帰っていった。
となると、明彦氏の死にも疑問が出てくる。
南条はすぐさま、西刑事へと電話を掛けた。
「ああ、南条だ。悪い、風間明彦氏が亡くなった日に病室へ誰かが訪ねてきていないか、病院内の監視カメラの確認を早急に調べてくれ! 私もすぐに戻る!」
電話を終えると、南条が「じゃあな」と事務所を出た。
「なんや、大変なことになってきたなぁ」とその様子を見ていた北堂がごちる。
「大変なのはこれからやで。さてどうやって沈黙を解くかが問題や」
とカイリは中戸が洗濯をしてくれたパジャマを手に、シャワールームへと向かった。
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僕は……シャワーの後にベッドへ潜り、夢の中のもう一人の僕に会いに来ていた。
いつもと変わらない、オールディーズの流れるバーはこの日も同じ景色だった。
「遅かったじゃない。もっと早く会いに来るかと思ってたよ」
もう一人の僕は、そう言って早く座るようにと僕を促した。
「いろいろとあってね。なかなかピースが揃わなかったんだ」
そう伝えると、彼は前回の時に事件の詳細を書いた紙を出して微笑む。
「はいはい。言い訳はいいから。話して」
仕方ないな……と言いたかったけど、僕はその言葉を飲み込むと彼が聞きたいだろう話を始めることにした。
「え? やっぱり明彦の死から始まったんだね。犯人の目星はついたの?」と彼が聞く。
「ああ。たぶん……あの子だと思う」そう僕が答えると真剣な目をして、彼が言った。「二人、殺してるよね」と。
「そうだ、二人を手にかけてる……かもしれない」
「だから、黙しているんだ」
おそらく、間違いない。自分の意思でそうしたのか、予想外の事故だったのかはわからないけど。明彦氏の死の現場にも、勝彦氏の死の現場にもきっといたのだろう。
まだ、憶測の域を越えてはいないが事件のあちこちに、彼女が犯人かもしれないという欠片が落ちている気がしてならない。
遺産はいりません、と彼女は言っていたが――
死の影に隠している真相がきっとあるはず。
「螺鈿細工の箱の中から何が出てくるんだろうね」
楽し気に笑うもう一人の彼の目が笑っていないことに、僕は気が付いた。
「箱の中身なんて、本当は興味ないんやろ?」
「まあね。どちらかというと、女の子がどうやって二人も殺したかの方が興味ある。病院の監視カメラなんて確認しなくても、その子が犯人だ」
そんな言葉が彼の口から放たれた直後、僕は目が覚めた。
僕の中で曖昧だった
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そして、今。
風間明彦氏の邸宅、風間の本家の応接間にて緊張の瞬間が訪れていた。
「もう一通の遺言状を確認しましょう」
カイリの言葉に、唯一の血縁者だと証明された常彦が秋山弁護士を煽る。
「そうそう、秋山さん! 確認してくれ!」
そして、秋山弁護士は螺鈿細工の箱の中から白い封書を取り出した。
そのもう一通の遺言状にはこう書かれてあった――
『この遺言状が私の死んだ一年以内に、娘の浜山あいりが手にした場合、私の遺産は全額浜山あいりに託す。また、あいりが許してくれるのなら私を長年裏切り続けた妻とではなく、愛する浜山くるみと同じ墓へ入れてほしい。風間明彦』
「……はぁっ!? おい! 実の孫の俺の事は何も書いてないのか?」
「常彦さんのことは、一切書いてありません」
膝から崩れ落ちる常彦は、さながらドラマのワンシーンのようだ。
その様子をじっと見ていたあいりが、立ち上がる。
震えた瞳で秋山弁護士を見つめ、小さな声でぶつぶつ言っていた。
その声がだんだんとはっきり聴きとれる――
「……そ。うそ……でしょ? 私の本当のお父さんは……風間勝彦っていう人なんでしょう?」
動揺しているあいりの様子を見かねて、山口弁護士があいりの手を取って声をかけた。
「あいりちゃん? 何を言ってるの? あなたの父親は明彦さんだって、くるみも言っていたじゃない?」
「ちがう! だって、だって……あの人が、そう言った!」
「あの人? それって誰のことを言っているの?」
「いやぁっ!」
あいりを問い詰める山口と彼女の大きな声が広間に響く。
「あいりさん、落ち着いて。一体どういうことか話してくれませんか?」
カイリがそう言うと浜山あいりは、泣き出しそうな顔をして応接間を飛び出してしまう。
「私があの子を追う」
すぐに南条はそう言って、あいりの後を追いかけ出ていった。
この場に残った面々は、遺言状の内容にそれどころではない様子で秋山弁護士を取り囲んでいる。
「おい、カイリどうすんねん……」
「僕もあいりさんを追うよ。いつきはここを頼む」
「わかった」
あいりの財産について書かれた遺言状に群がる風間家の人間たちを北堂に任せ、カイリはあいりとそれを追う南条を追いかけた。
すると山口も「私も行きます!」とカイリの後をついていくことに。
「なんや、ややこしなったな」と北堂が小さく息をつくと、中戸が北堂の側にやってきた。
「北堂さん、秋山弁護士を助けてあげなくていいんですか?」
中戸が北堂の袖を引っ張る。
みると、秋山弁護士が風間弥彦、美代子夫妻と長女の琴子、くどいが唯一明彦氏の血縁者である常彦に囲まれていた。
「いいですか? そもそも弥彦さんと美代子さんは赤の他人であることが証明されていますので、遺産は入りません! 琴子さんには今の会社はそのままご自分のものでいいと思いますが……風間ホールディングス自体は、先ほどの浜山あいりさんの相続となり……」
やや呆れた様子で声を上げている秋山は、こういう場にも慣れているのだろう。
まだ30代半ばの弁護士ではあるが、なかなか強気で癖のある風間家と話をしているのが見えた。やり手だった風間明彦氏が全面的に信頼を寄せていたのがよくわかる。
その様子を一瞥した北堂は中戸に「あの様子や、大丈夫やろ」と笑った。
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一方、あいりを追いかけた面々は――
タクシーへと乗り込んだあいりを、南条の車で追う。
車は新御堂筋を梅田方面へと向かっていた。
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四十分後。
カイリたちは風間ビルディングの屋上にいた。
先にタクシーで到着していた浜山あいりが、屋上の手すりの向こう側に立っている。
「来ないで!!! それ以上近づいたら、ここから飛び降りるから!!」
「落ち着くんだ。何があったんだ? 話してくれないか?」
と南条が話しかけるも、彼女は大きく左右に首を振るだけ。
「南条さんは下がっててください。僕が話します」
興奮気味のあいりに、じりじりとにじり寄るのはパジャマ姿のカイリだった。
「あいりさん、ここは何階だと思いますか?」
「…………」
カイリの問いに対して、あいりが目を落とす。屋上から見下ろした景色は、人も車も豆粒のように小さく見えたに違いない。無言の彼女は、今いる場所のことを再確認し、足元が震え始めた。
「勝彦氏は君に嘘を吐いたんだ」
「……嘘?」
「彼はあいりさんにこう言ったんじゃない? 『お前の父親は私だ。私とお前の母親は愛し合っていたんだ。だから、風間明彦の財産は受け取れない。ただ、私の娘としてこの先の面倒はみてやる』……どうかな?」
あいりはこくんと頷く。すこし表情が柔らかくなったのを見計らい、カイリが手を差し伸べ、あいりは手すりの内側へと戻ってきた。
「DNA鑑定をすればわかるけど、君の父親は明彦氏で間違いないと思うよ」
「ほ、本当ですか? ……でも、私……」
一瞬パッと明るくなったあかりの顔に、再び影が差す。
「話を聞かせてくれるかな?」
「はい……」
あの日――浜山あいりは、風間勝彦に呼び出されたと話す。
この風間ビルディングの屋上で、自分が父親だから遺産を放棄するように迫られた。高校生のあいりにとって、風間明彦は年老いた父でたまにしか顔も見せず、思春期だからか恥ずかしい存在だったと話した。
「幼い頃は大好きだった父でしたが、小学生のころから母がどうしてたまにしか会いに来ないおじいさんと結婚もせずに私を産んだのかと思うようになりました」
「それは普通の感覚だと思うぞ」
と南条がカイリとあいりの間に割り込む。
「もう、南条さんは余計な事を言わないでください」
すぐに、カイリのツッコミが入った。
「母が死んで、山口のおばさんはお金の話ばかりするようになって……ある日、おばさんに連れて行かれた病院の豪華な部屋に、最近会っていなかったお父さんがいたの」
「あれ? 喫茶店で明彦氏と勝彦氏に会ったという話は?」
「あれは……おばさんの嘘。本当は……」
そこへ、山口弁護士が現れた。どうも、お手洗いに行っていた様子。ハンカチで手をぬぐいながら屋上へと顔を出した。
「あらあら、あいりちゃん。四人で会ったじゃない? 忘れちゃったかしら?」
「あいりさん、いいから続けて」
あいりは、山口弁護士から目をそらしてカイリを見て話し始める。
「……おばさんはお父さんからお金の入った封筒を受け取ると、帰ってしまって、私は病室に残されたわ。お父さんは私に言ったの……遺産はお前だけのものだ。お母さんに渡していた遺言状を探しなさいって」
あいりはそう言うと、目に涙をいっぱいに浮かべて山口弁護士を睨みつけた。
「お父さんも、あの勝彦というおじさんも! そしてお母さんの親友だって言っていたおばさんも……みんなみんな、お金のことばかり! お母さんも勝手に死んでしまって、私はどうすればいいの!?」
わぁっと泣き崩れた彼女をカイリが支えた。
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「それで、どうなったの?」
ここは僕の夢の中。
もう一人の僕がピーナッツの殻をむいて、中の豆を食べている。
「君の推察通り、浜山あいりが関わっていたよ」
「やはりね」
あれから、浜山あいりは落ち着きを取り戻してから自供を始めた。
風間ビルディングの屋上の現場については、浜山あいりの供述によると遺産放棄を承諾しなかった彼女を勝彦がビルから落とそうとして、誤って自分が落ちてしまったということ。
風間ビルディングの屋上の手すりの高さにもやや問題があるとは思うが。
浜山あいりにとって、不可抗力であり、仮に突き落としていたとしても正当防衛とも取れるかもしれない。この事件はあいりが高校生ということもあり事故という扱いになるかもしれないと南条が話していた。
そして、勝彦氏の死の前に老衰として亡くなった風間明彦氏の件については、山口弁護士に浜山あいりが明彦氏の病室へ連れて行かれた日。
たまたま母が好きだった缶コーヒーをあいりは持っていて、父親に飲みたいと言われてあげたのだと供述が取れた。西刑事の報告によると想像していた通り、明彦氏の死亡した日の院内の監視カメラに写っていたのは浜山あいり彼女だった。
取り調べ中に、あの時の自分があげた缶コーヒーが原因で父親が亡くなったことを聞いて、彼女は更にショックを受けていたそうだ。
「間接的ではあるけど、二人を死へと導いたことは確かだよね」
「これからの人生の方が長いんだ。これからの彼女にいい大人が関わってくれることを祈るよ」
「ところで、もう一人死んでるよね?」
「ああ。勝彦氏の奥さんやろ?」
「そうそう。それは誰が殺ったの?」
そう、この風間ホールディングスの事件にはもう一人の被害者がいた。
「それが、あの美代子さんが犯人だったんだ」
「わぁ! 理由は何っ?」
前のめりになりながら、満面の笑みをたたえる夢の中のカイリのこういうところが、実は僕は苦手だ。
「勝彦氏との不倫。まあ本人は殺すつもりはなかったらしいけど、リビングにつけた防犯カメラにバッチリ映ってたんだよ」
「そっか。案外、あっさりわかっちゃったんだ。つまらない」
「じゃ、またな」
僕はもう一人の僕にそう言って、このオールディーズが流れるバーを後にした。
**************************************
目が覚めたカイリが窓の外を眺める。
そこは、すでに川向うの桜が散り新緑が目にまぶしい季節となっていた。
「いつき、おはよう。良く寝たぁ~! 今、何時かなぁ?」
風間家の遺産問題については、東伯探偵事務所には関係のない話。
ただ、山口弁護士は浜山あいりから代理人を外されて、今、あいりには秋山弁護士がついてくれている。
螺鈿箱に隠された真実 END
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