file1 螺鈿箱に隠された真実 5話
十数分前。
「こんにちは。あの、あいりちゃんがこちらに来ていませんか?」
と弁護士の山口が訪ねてきた。
ちょうどお昼の食器を洗い終えた北堂が、彼女を出迎える。
「あいりさん? あー来てませんけど」
と咄嗟に嘘を吐く北堂。
来ていると言えば良かったのか、それとも来ていないと言って良かったのか……
おそらく北堂は、先ほどのあいりの様子を見ていたから、あいりのために嘘をついたのだろう。彼の心の中は少しだけ、警察官やのに嘘ついてもうたと小さな後悔もしているハズ。
「もう、どこへ行ったのかなぁ……何も言わずにいなくなっちゃうなんて……!」
山口弁護士は本当に困った様子だった。
困った様子だけではなく、そこに少しの苛立ちも見える。
「今日は平日ですやん。学校とちゃいますの?」
「その学校から電話がかかってきたのよ!」
「あちゃー」
北堂の「あちゃー」には、もっと上手いこと根回ししてからここへ来いよという意味合いが含まれているのだが、山口弁護士はそのことには気づかない。
「まあ、良かったらお茶でも飲んでいってくださいよ」
北堂はそう言うと、山口をソファーへと促した。
そして、キッチンで北堂はカイリへとメールを打つ。
『こっちに山口弁護士が来てるで。浜山あいりがいなくなったって騒いどる』
そのメールは、隣の部屋にいるカイリのスマホへと届いた。
メールを確認した後、すぐにカイリもまた中戸と一緒にあいりを匿うことにして、入り口とは別の扉でこの探偵事務所の自身のベッドへと戻ってきている。
「ふわぁぁ~! いつき、紅茶を淹れてくれるか?」
そう言いながら、カイリはカーテンを開けて顔を出した。
これはもちろん芝居だ。
「……おや。山口弁護士、こんにちは」
「あら、カイリさん。いらっしゃったんですね、ごめんなさいアポなしで押しかけてしまって」
「いえいえ。それより聞こえてましたよ。あいりさんがいなくなったとか」
「そうなんですよ……困ったわ」
カイリは、パジャマにガウンのいつものスタイルで、山口弁護士の前に腰を下ろした。そこへ、北堂が飲み物を持って現れる。
「山口弁護士も紅茶でええですか?」
「ええ」
そう聞いて北堂はカイリと山口にティーカップを置くと、ポットからそれぞれのカップへと紅茶を注いだ。
ふくよかな茶葉の香りが、事務所内を優雅に漂う。
ミルクと砂糖を入れた紅茶を一口飲んだ山口は、少しだけ落ち着いたようにみえた。
「それにしてもどこへ行ったのかしら……」
頭をもたげて、彼女は大きくため息を吐く。
「心当たりはないのですか?」
と心当たりがあるカイリはそれをお首にも出さず、きっと何から尋ねようかと頭の中は忙しくしているのだろう。口元は笑みをたたえているのに、目は真剣に山口を見据えている。
「一緒に行ったところは全部行ってみたわ。あの子の母親が入院していた病院にもね。これからは私が母親代わりなのに……」
そして、再び山口はため息を吐いた。
「この件が落ち着いたら、二人は親子に?」
「そうできたら、どんなに素敵かしらね。あの子ももう子供じゃないわ。私は結婚を諦めた人間だから、こんな形でも娘ができると嬉しいんだけど……そうなれば親友のくるみとの約束も果たせるし」
その言葉の端々を聞く限り、母になりたい女と逃げる子供のようなイメージが湧きあがる。この山口弁護士に対する印象については、なんとも素敵な人だと北堂もカイリも思っていた。まあ、弁護士を志すような人間だ。そもそも、人を助けたいという気持ちがあるのだと思う。そこにやや違和感も覚えるカイリたち。
「あの、山口弁護士。浜山家へ行く日程なのですが、いつがよろしいですか? たしか、ご依頼ってあいりさんが風間家の血を分けた人間であることの確証を探す、といったご依頼でしたよね?」
そうカイリが言うと、山口弁護士は「ええ」と頷く。
「昨日の風間家で皆さんに見せていた写真では、確証とまではいきません。どうなさるおつもりですか?」
「どうって……浜山家で確証を探すしかないと思っていますよ」
「……山口弁護士は、その確証ってどんなものだと思ってます?」
血縁だと認められるモノといえば、限られる。
風間明彦氏の娘であるということを証明した物か、証明できるものである必要がある。別の部屋で中戸と一緒にいるあいりが持っている遺言書を、本来ならこの弁護士と確認するのが一番なのだが……
「あら? あいりちゃんからLINEが来たわ!」
山口の表情がパッと明るくなる。
「おお! それは良かった! それで、あいりちゃんは何て?」と北堂が話に入ってきた。山口弁護士は困り顔に笑みを浮かべ、LINEの内容を話してくれた。
「……友達の家にいるから心配しないで夜ごはんも食べて帰る、ですって」
「今時の子やなぁ~」
「そうですね」
その様子は、母親の様でもあり好感が持てたのだが、この女も容疑者の可能性がある。カイリが山口弁護士の返答を待っていることを目配せでアピールすると、話は元に戻った。
「あ、そうでしたね。あの子の母親が残した確証はどんなものか……例えば、DNA鑑定書とか? 他には、DNA鑑定ができるようなモノを残しているのかもしれません」
彼女の口から『遺言書』という言葉は出てこなかった。ということは、あいりちゃんは本当にあの螺鈿細工の箱のことを、山口弁護士には知らせていないことになるか。
「紅茶、ごちそうさまでした。すみません、何だか睡眠のお邪魔しちゃったみたいね」
「いえいえ。ところで事情聴取からずっと疑問だったんですが……」
「え?」
カイリが山口弁護士を呼び止める。
そのため山口は、荷物を持ってソファーから立ち上がろうとしていたのに、再びソファーに戻った。
「あいりさんのお母さん、くるみさんが明彦氏の屋敷で家政婦をしていたのはご存知でしたか?」
「ええ。家政婦をしているのは聞いていましたよ」
「もうずいぶんと長い間、風間家にいたんですよね?」
「それはもう。確か、あいりの生まれる五年ほど前から、あいりが生まれる直前まで働いて、あいりが保育園に通い出すとそこから病気になるまでの十二年はいたようです」
「例えばですが、風間家から月々のお金は振り込まれていたのでしょうか?」
カイリの言葉に、山口弁護士は「ええ」と頷いて続けた。
「振り込まれてはいましたが、家政婦の給料だと思えば妥当な額でしたし、あいりの出産時に休んでいた時もその給料と同じ額の手当は支払われていたのですが、それについてはくるみは気の利く家政婦なので産後も戻ってきてほしかったから、その約束として支払っていたと風間明彦氏は仰ったんです」
「そうですか……それでは、あともう一つだけ。山口弁護士が風間明彦氏と勝彦氏に会ったのは、くるみさんが亡くなってからのことですよね?」
「ええ。それが何か? 昨日、お話した通りですけど?」
「念のためです。ありがとうございました」
山口弁護士は、カイリの質問に答えると「お騒がせしました」と帰っていった。
その後ろ姿を見送りながら、北堂が呟く。
「なんや、あいりちゃんが思うてるような人には見えんけどなぁ……」
「いつき、とりあえず……南条刑事に連絡してくれへんか」
「わかった」
とりたてて、山口弁護士に不審なところは感じられないと北堂もカイリも思っている様子。しかし、何故なのかはわからないが、あいりが山口弁護士に嫌悪感を抱いているのは確かだった。
「どちらが何かを隠している……かもしれない」
「本当に山口弁護士かあいりちゃんが犯人なんか?」
「せやなぁ……と、思うんやけどな」
「なんや、それ~!」
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一方、大阪府警では――
「はぁ? どうして私が……!」
南条の大きな声が署内で轟いていた。
電話を切ると、南条は頭を抱えて大きなため息を吐く。
その様子を見た西刑事は、恐る恐る南条に近づき「どうかしたんすか?」と聞いた。ただでさえ目つきの悪い南条の怒りをたたえた視線が、きょとんとした西刑事へと突き刺さる。
「ひぇぇっ! な、何があったんすか!!」
「あのパジャマ男ぉぉっ~! 西!!」
「はいっ!」
「風間家の弁護士を呼んでくれ。あと、風間明彦の死因を調べ直すぞ!」
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日を改めてということで一週間後、カイリたちは警察官立ち合いのもと関係者を集めた。
場所は、風間明彦氏の自宅……風間の本家である屋敷であった。
現在、この屋敷には誰も住んではいなくて、風間ホールディングスが管理をしているようだ。
屋敷の応接間に集まったのは先日、事情聴取をした面々とその時に不在だった、浜山あいりと風間明彦氏のお抱え弁護士の秋山武治が呼ばれていた。
「もう、何なの? こんなところに呼び出して」
不満げに口火を切ったのは、風間明彦氏の次男の嫁・美代子だった。
「おい、父さんの弁護士が来ているってことは……遺言状の開封かなにかじゃないか?」と次男の弥彦は興味津々と行った様子で、弁護士の秋山を見た。
「弥彦おじさんは節操がないなぁ。そんなにお金が欲しいのか?」
と顔をしかめた俳優の常彦が鼻で笑っている。
続けて、常彦の視線はそこに沈黙を保っていた高校生へと注がれた。
「……もしかして、この間の写真の子? 家政婦とじいさんの……」
一気に皆の視線があいりに集まった。
その視線を逸らすよう、カイリが話を始める――
「皆さん、ようこそお集まりくださいました。僭越ながら、東伯探偵事務所の私・東伯カイリがこの話を進めさせていただきます」
ざわめく屋敷の応接間の面々。警察から来ている南条と西刑事もこれから始まることを見守った。
「まずは、秋山弁護士。明彦氏の遺言状の開封がこれまで遅れた経緯をご説明願います」とカイリが秋山に告げた。
「はい。明彦様が亡くなる一日前に、実はもう一通の遺言状があることを聞かされていました。その遺言状が明彦様の一周忌までに出てこなければ、こちらの遺言状を正式なものとして進めるようにとのことでした」
そういって秋山は、封書をテーブルに置く。
「しかし、遺言状が出てきたんですよね? あいりさん?」
カイリが促すと、あいりがこくんと頷いて螺鈿細工の箱をテーブルへと置いた。
「……なんですって? じゃあ、その子に財産がいくっていうわけ!? そ、そんなの認めないわ!! ねえ、琴子さんっ!」
憤慨する美代子が、長女の琴子の腕をつかんだ。
あいりの隣にいた山口弁護士がだんまりを決めている。
おそらく、この一週間の間にあいりとの関係に溝が出来たに違いない。
「それでは、どちらの遺言状も開封していただきましょう。秋山弁護士、よろしくお願いします」
「わかりました」
まずは、秋山弁護士が保管していた遺言状には勝彦氏と弥彦氏と琴子兄弟に遺産の半分を等分するように書かれてあった。残りの遺産の半分はしかるべき慈善団体への寄付を指示してあり、三兄弟は不服そうな表情を浮かべ聞いていた。
もう一人の遺言状は、螺鈿細工の箱の中から取り出される。
箱の中からは、髪の毛やなにやら書類の入った分厚い茶封筒も折りたたまれて入っていた。
「東伯さん、こちらの中身も確認しますか?」と秋山がカイリに尋ねる。
「ええ。よろしくお願いします」とカイリは笑みを浮かべ返事をした。
応接間に緊張が走る。
「……! こ、これは……!!」
秋山は茶封筒を開けて、その中身を見て驚いた。
「何が入ってるんだ?」と常彦が秋山の背後から、書類を覗き込む。
その書類を見て、常彦が声を上げた!
「はぁっ!? こんなでたらめな鑑定書……あ、わかった! お前、このガキに財産を融通するために、偽造したな!」
こともあろうか人差し指を向けて山口弁護士を罵る。
「何、なんて書いてあるの?」と琴子や美代子も鑑定書を秋山から奪い取り、内容を確認した。
「……え?」
その茶封筒に入っていたのは、DNA鑑定書が三通。
記載されている内容に、財産分与がなされるハズの面々の顔が凍り付いた。
「私が、お父様の実の娘じゃない……?」と琴子が言うと弥彦も美代子から鑑定書を奪い、再度鑑定内容を確認して顔をひきつらせた。
「……これは、何かの間違いだ!」と弥彦が珍しく大きな声を上げる。
秋山は三枚の鑑定書を確認し、淡々と告げる。
「この鑑定書通りですと、勝彦氏だけが明彦氏の実子となりますね」
「おお! 俺はじゃあ実の孫っていうわけか。ということは……財産の半分は俺のモノか?」
一人勝ちを宣言するような常彦に、カイリが言う。
「もう一通の遺言状を確認しましょう」
「そうそう、秋山さん! 確認してくれ!」
そして、秋山弁護士は螺鈿細工の箱の中から白い封書を取り出した。
そのもう一通の遺言状にはこう書かれてあった――
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