第16話 桐生美鈴の天国と地獄

美術準備室、鉄先生と二人きりのゆったりとした時間が流れる。

紅茶の香りと暖かい日差し、そして込み上げてくる罪悪感と幸福感。乙女心は二律背反なのです。

それにしても、なんで今日は誰も来ないのでしょう? こんなに静かだと、私の心臓の音を鉄先生に聞かれちゃいそうなんですけど……。



「き、今日は、鉄先生お一人ですの?」


「あぁ、黒埼会長なら朝一で来ましたけど、赤城さんが引っ張って行きました。何でも昨日さぼった分、今日は絶対に逃しません、とか言ってたから閉会式まではお仕事じゃないかな」


「そ、そうなんですの」


私も昨日、黒埼会長と一緒に先生のカフェ屋台に入り浸ってました、すみません。

先生のバリスタ姿、とても格好良かったです。


「黒埼会長も良くやってるんですが、意外と分かりづらい子ですからね。また無理しなきゃいいんですが……」


「黒埼会長が無理?」


いつも笑顔で、何でも簡単に出来てしまうイメージしか浮かばないのですが。


「一時期は結構騒がれましたから桐生さんも知ってると思いますけど、黒埼会長は左腕を大怪我してますから、なにかと大変なんですよ」


「えっ、でも手術も成功して、もう良くなってきてるんじゃ」


「あの手の怪我は、完治するのに結構時間が掛かりますからね、しっかり直しておかないと後で怖いんです」

「桐生さんも、怪我には気を付けてくださいね、バレーは膝とか痛めやすいですから。練習後はしっかりとアイシングするんですよ」


「は、はい。気を付けますわ」



黒埼会長の怪我ってそんなに酷かったんだ。

それなのに私は、自分の我儘な気持ちを押し付けて彼女の復帰を勝手に期待してしまった。

1年以上のブランクが空いては、いかに黒埼会長だって簡単には…………。


いや、何とかなるんじゃ。それどころか、片手でも彼女が負ける姿がまるで想像できないんですけど。あの化物め。




「そうだ、桐生さん。まだお時間ありますか?」


「え、ええ、大丈夫ですわ」


「良かった、それでは昼食をご一緒にいかがですか?」


「はい?」


なんでしょうこの展開、鉄先生とランチですの?




カウンターの奥で鉄先生が、鼻歌まじりで楽しげに昼食を作っている。

包丁がサクサクとリズムを刻み、プライパンの中で細切りにされたパンチェッタがパチパチと弾ける音がする。

玉ねぎ、ピーマン、しめじがフライパンに追加されトマトケチャップが注がれる、十分に熱を加えられたソレに、茹でてあった太めのパスタを炒めながら和えていく。隠し味は赤ワインかな? トマトケチャップの甘い匂いがこちらまで流れてきて鼻を擽る。


くきゅ~~っ


は、恥ずかしい、でもこんなの目の前でやられたら、お腹すいちゃうに決まってるじゃない!!


「お待ちどうさま。美術準備室特製ナポリタンでございます、お嬢様」

「あ、お嬢様はナポリタンなんて食べないのか?」


「ふふ、私はお嬢様でなくてよ」


「ほら、そこは雰囲気で」


鉄先生と笑いあう、二人の前に置かれたのは、真っ赤なナポリタンと小さなサラダ、それに私の前には、氷が入った水出しのアールグレイが添えられていた、先生はアイスコーヒーだ。

凄いな15分もかからずに簡単に作っちゃた。


「すみませんね、僕の昼食に付き合ってもらっちゃって。今日は朝食、食べ損ねたんでお腹減っちゃって」


「いつもここで作って、食べているんですの?」


「大抵の日はそうですね、ちょっと手間の掛かるものは調理室を使わせてもらいますが」


鉄先生は、一体学校で何をしてるのかと思うのと同時に、鉄先生の美術の授業がどんなものか受けて見たいと思った。

失敗したな、もっと早く先生を知っていたら、絶対に美術の授業を選択したのですけど。


フォークにパスタをくるくると巻き付けて一口。

美味しい、モチモチ食感の太めのパスタに甘めのケチャップが絡まって口の中で暴れる。パンチェッタの塩気がアクセントになってとてもいい味。玉ねぎやピーマンなどの野菜もシャキシャキ感が残っていて丁度いい火の通り方。


「美味しいですわ! これがTVとかで良く言っていた、喫茶店のナポリタンと言うものですね!」


「そうですね、桐生さん達の年代では、喫茶店のナポリタンといっても実感ないですよね、昭和の味ですからね」

「僕の年代だと、パスタじゃなくスパゲッティーって言っちゃいます。この味、昔から好きなんですよね」


「私もこの味、鉄先生のお料理好きですわ」


「桐生さんにそう言って貰えると、うれしいですね」ニコッ

「あ、桐生さん。ちょっとじっとしてて下さい」


そう言った鉄先生が、ナプキンでそっと私の唇についたソースを拭った。推定距離20cm位の所に鉄先生のお顔が! 近い、近い、近いですわ!!

さっきのキスの事を思い出した私の顔が、途端に熱くなる。絶対に顔、真っ赤だ。

ドキドキドキドキドキドキ。

わ~~~っ、もう私の心臓が五月蝿い、止まれ~っ!!


「……鉄先生」


だから!! なんで私は目をつぶろうとしますの、体も心もまったく制御が効かないんですけど~~~っ!!



ガチャ


「青桐先生ーっ!! ポスター用の紙くださ~い!」ピタッ


いきなり部屋に入ってきた黒埼会長と目が合う。

あ、私、今日死ぬかも。




「ちょっと、会長! 廊下は走らないで、ってどうしました」

「あ、あ~、またこのパターンですか」


入口で固まってしまった黒崎会長と昼食中の私達を見比べると、副会長 赤城春さんが呆れたようにそう呟いた。

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