第11話 左腕の代償

文化祭初日、午前11時。

開会式の祝辞に来賓客やスポンサーへの挨拶回り、朝の校内の見回りを急いで終え、向かうは美術準備室。


「これで3時間は自由時間を確保したはず。いざ行かん我エルドラド!!」


ぐっと拳を握りしめる。

文化祭独特の喧噪に溢れた校内を、時折生徒達に手を振りながら歩く、特別教室を詰め込んだ南棟、1階では理科室で科学部、家庭科室で料理部、2階では視聴覚室でPC研、図書室で文芸部がそれぞれ研究発表や実演が行われていて中々賑やかだ。

しかし美術室のある3階は、まるで人払いの結界でも張られているみたいに静けさが漂う。賑やかな文化祭の中で、ここだけ別世界の様に落ち着いた空間が出来上がっている。

一番奥にある美術準備室に辿り着くと黒塗りの重そうな扉の前で、いつも通り手鏡で髪の毛をチェック。


よしっ、黒崎明日菜行きます!



「青桐先生、いますか~?」


扉を開けて目に飛び込んでくる先生の白衣姿。窓際の光差し込む場所に置かれたソファーに腰掛け、文庫本を読みながら、卓上に置かれたエスプレッソの小さなカップを手に取っている。ふわ~絵になる!! 思わず見惚れてしまった。

私に気付いた先生が文庫本から顔をあげて微笑む。


「ああ、黒崎会長。おはようございます」


「お、おはようございます。今日はエスプレッソですか?」


「午前中はコレを飲む事が多いですね。ちょっと待って下さいね。マッキアートでも淹れましょう」


そう言ってソファーから立ち上がった先生がエスプレッソマシンに向かう。エスプレッソ用のフルシティローストの珈琲豆を電動ミルに掛ける。一瞬できめ細かく轢かれたコーヒー粉を、ホルダーにカンッと小気味良い音をたてて詰め込み、マシンにセットする。

よどみなく進むその作業にしばし時間も忘れて魅入ってしまう。

マシンの天板で温めてあったカップを2つ抽出口に置くと、クシューッと、はみちつのようにトロッとしたコーヒー液が滴り落ちてくる。続いてプシューと蒸気で泡立ったフォームドミルクを加えれば、カッフェマッキアートの完成だ。

しかし、エスプレッソって大げさな機械で作るせいか、科学の実験でもしてるみたい。

先生の白衣姿が余計にそう見せている。ふふ、ちょっと、おかしい。


「はい、どうぞ」


渡されたカップに口をつけると、エスプレッソの濃厚な珈琲の香りが鼻に抜ける。


「美味しい……」


濃いめの珈琲が疲れてた脳をシャキとさせてくれる、きめ細かいミルクの泡が苦味を緩和させてくれるので、私でも飲みやすい。


「そういえば先生、パンフレットやポスターの印刷では助かりました。おかげで随分と安くあがりました、ありがとうございます」


「いえいえ、印刷所には知り合いも多いのでお安い御用ですよ。業者さんの手配は、顧問の仕事ですからね」


先生が照れた様にはにかむ、そんなに謙遜しなくてもいいのに。


「それに今年は、生徒会長と文化祭実行委員長が優秀なおかげで、裏方の僕も随分と楽が出来ました」


確かに、今年の文化祭はびっくりするくらい問題なく進んでいる。裏方で助けてくれる先生や、表で生徒を引っ張ってくれた李くんには、感謝しきれないほど助けられた。おかげでこうして今、先生の珈琲を楽しむ時間が作れた。


先生の淹れてくれたマッキアートで一息ついていると、じーっと見つめられているの気付く、えっ、何、そんなに見つめられると照れるんですけど。


「……黒崎会長。ちょっと左腕を見せて下さい」


先生は飲んでいたエスプレッソをコトリとカウンターに置いて、私の左腕に手を伸ばしてくる。


「えっ!?」


気付かれた、優しく左腕を握られただけだが、それだけで少し痛みが走って顔をしかめてしまった。


「痛むんじゃないですか? 部屋に入ってから一度も左手を使ってませんでしたよ」


そう言って、カウンターの下から氷を出してビニールに入れると、私の左腕をとって肘の上に乗せてくる。

この所の忙しさが祟ったのか、朝から左肘が痛みだしてはいたのだ。誰も気付かなかったんだけど、先生にはすぐにバレてしまった。今日はお祭りだし、先生にはつらい顔は見せたくなかったんだけどな。



先生の綺麗で長い指が、私の左腕をそっと揉みほぐしてくれる。あっ、凄く気持ちいい、痛みがスウッと引いていくのがわかる。

まるで魔法の手だ。


「黒崎会長は、目を離すとすぐ無理するんですから。身体の中の痛みは、口に出さないと分かりませんよ」


「でも、先生にはわかってもらえました」


「年の功ってやつですよ。黒崎会長の事は、よく見てるのでいつもと違うこと位すぐわかります」


えっ、えっ、先生。私をよく見てるって。ど、どういう事かな? そ、そういう事かな?


「よし、後はテーピングとサポーターでいいでしょう。文化祭が終わったらちゃんと病院で診てもらってくださいね」


よーし今なら言える。がんばれ私。負けるな自分。


「あ、あの先生! お礼に文化祭で何か奢らしぇてくだしゃい!!」


うわ、噛んだ。ちょっと、先生今笑ったでしょ、後ろ向いても肩が震えてるからわかるわよ。



「はは、すみませんつい、でも、教師として生徒に奢ってもらうわけにはいきませんよ」


「そ、そうですかぁ」


やっぱり駄目かぁ。いいんだ。こうして先生に美味しい珈琲淹れてもらって、手当てしてもらっただけでも満足だよ。落ち込む私に、さらに先生が声を掛けてくる、もういいよ、そっとしておいてよ。

どうせ私みたいなガキンチョ、相手にされないことくらいわかってるわよ。



「でも、ここに教員用チケットが余っているので、よろしければ黒崎会長が文化祭を案内してくれると助かるんですけど」


「えっ、せ、先生それって一緒に……。お、おまかしぇ下さい!! 生徒会長である私が、完璧に先生をご案内します!!」


うわぁ~やったー。先生と一緒に文化祭見て回れるよぉ~。夢じゃないよね。あ、左腕が全然痛くない、夢なの!!




こうして私は、文化祭初日。最高のスタートを切ることが出来た。



※エスプレッソマシンって高くて買えない。そして置く場所もない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る