第8話.偽り

 数時間前、帰ろうとする亮一と陽菜を呼び止めた真斗は、一度小さく息を吐くと落ち着いた声で話し始めた。


「えっと、まぁ、実は俺たち……、本当は付き合ってないんだ」


 そう言う真斗の顔に冗談などという戯言ざれごとが紛れ込んでいる感じは一切ない。架純は真斗の言葉と同時に強く目を閉じ、悲痛な表情を浮かべながら顔を逸らした。


 一体どういうことなのか。彼は別れたではなく付き合っていないと言う。


 思わず亮一と陽菜は「えっ!?」と声を上げた。実際は「は!?」に近い。言っている意味が分からない、そんな感じだった。


 理解できず困惑している二人を見て、すぐに真斗が説明を始める。



 それは今から約七ヶ月前、年明けのこと。真斗がバイト先の同僚から告白されたことに端を発する。


「あ、あの、真斗さん。私、真斗さんのことが、す、すす、好きです! 付き合ってください!!」


 そう大声で言うとガバッと頭を下げ、勢いよく手を差し出した。勇気をふり絞り真斗に告白したこの娘は佳代かよ


 彼女は学校は違うが真斗と同い年で、背が低く顔は童顔。これといって綺麗なわけでも可愛いわけでもない。本当にどこにでもいる普通の。むしろ少し地味な方だ。


 性格は真面目で一生懸命。もちろんバイトも熱心に取り組んでおり、そんな仕事ぶりを見て真斗はいいだなとは思っていた。


 同い年でまた同時期にバイトに入ったということもあり、それなりに仲良くはしていたが、あくまでバイト仲間の一人。彼女に対して恋愛感情というものは一切なかった。


「佳代ちゃんの気持ちは嬉しいんだけど、俺、好きながいてさ。ごめん」


 真斗はやんわりと彼女の告白を断った。答えを聞いた彼女は「そうですか……」と一言いうと、差し出していた手を引っ込め残念そうにうつむく。


 真斗はイケメンでたまにこうして告白されることがある。断った時に見せられる残念そうな顔や泣き顔に、悪いなと思いつつもこればかりは仕方がない。


 自分のことは諦め新たな恋に進んでほしい、佳代に対してもそう思っていたが状況はおかしな方向へと進む。彼女は諦めるどころか、逆に猛アピールが始まった。



 以前は自転車だったにもかかわらず、佳代は毎回バイト先がある駅で真斗を待ち伏せては一緒に出勤し、そして帰りも駅まで付いてくる。時には友達と会う約束があると言って、真斗たちがいつも使っている駅にまで一緒に来ることもあった。


 後になって分かったことだが、彼女の家はバイト先から自転車で五分の距離。本来なら駅も電車も使わない。また、真斗たちの駅の近くに友達がいるというのも嘘だった。


 付きまといはエスカレートし、彼女の時間が許す限り行われ、ついにはバイトの日以外も現れる始末。


 ほとほと困り果てていたにもかかわらず、真斗は振られて傷ついている彼女に無下に「もう付きまとうな!」とは強くは言えなかったし、また家族や亮一たちに迷惑が掛かると思い誰にも相談しなかった。


 今になって思えば、そうした彼の態度が佳代の付きまといを助長させていたところもある。最初から強く佳代に注意すべきだったし、誰かに相談すべきだったと真斗自身も反省してる。



 その後、真斗はバイトを辞めたが佳代の付きまといはまなかった。そして新年度を迎え二年生に上がった数日後、家の近所に現れた彼女に尋ねられる。


「真斗さんの好きな人って、あの茶髪のですよね?」


 それはひどく暗く冷たい表情。その顔に真斗はゾッとする。


 彼女が言う『茶髪の』とはもちろん陽菜のこと。亮一たちと四人で一緒にいるところを見て、彼女は架純ではなく陽菜が真斗の好きなだと判断したようだ。確かに見た目は真斗と陽菜、亮一と架純のペアに見えてもおかしくはない。


 佳代が何か犯罪めいたことをするとは思えないが、すでに付きまといはストーカーの域。もしかしたら陽菜に危険が及ぶかもしれない、そう真斗は危機感を覚えた。


 そして、この二人のやり取りを見ていた少女がいる。そう、架純である。


 亮一と街に参考書を買いに行った帰りだった。友人が見知らぬと揉めているところを偶然目撃する。


 佳代が去った後、物陰に隠れていた架純は何があったのかと真斗に尋ねた。彼は最初は誤魔化していたが、心配する友人の顔を見て事情を話すことに。


 そして話を聞いた架純は提案する、自分が彼女役をやると。


 真斗に恋人がいると分れば佳代も諦めるのではないかと考えた。そして、その役は小柄で力の弱い陽菜ではなく自分の方が適任。


 中学に上がる前、架純は何年か空手を習っていた時期があった。段位は取得していないものの多少の武芸の心得はある。もし佳代が自分に何かちょっかいを出してきたとしても、男性ならまだしも小柄な彼女が相手なら大丈夫だろうと思った。


 真斗は最初は迷っていたが、それですぐに解決するならと思い架純に協力をお願いすることにした。そして、『敵を欺くにはまず味方から』ということで、亮一と陽菜には黙っておくことに。


 巻き込みたくもなかったし、それにすぐに解決するだろうと思っていた。もちろん全てが終わった後には、亮一たちにちゃんと打ち明けるつもりだった。


「じゃあ、悪いけど架純に俺の彼女役をお願いするよ」


「はい、任せてください!」


 こうして亮一と陽菜たちの裏で、真斗と架純の『秘密』の交際が始まった。



 偽りのカップルとなった真斗たちは、作戦通りにまずは亮一と陽菜に交際宣言をして二人きりになるよう仕向ける。そして、真実味を持たせるため、一緒にいるところをわざと佳代に目撃させた。登下校や公園、ショッピングモールやカフェなど目立つ場所を選んだ。


 これで佳代は真斗のことを諦める、そう考えていたが事はそれほどうまくは運ばなかった。架純という恋人を立てても、簡単には佳代が諦めてはくれなかったのだ。


 そして、佳代は今度は架純にも付きまとうようになってしまった。直接なにかしてくることはないが、通学路や駅に現れては観察するようにじっと見つめている。自ら彼女役を買って出たものの、いつどこに現れるのか分からない彼女の姿に架純は次第に怯えるようになった。


 また、この頃から、二人でホテル街を歩いていた、実は顔に似合わずビッチなど、根も葉もない噂が囁かれるように。そのような状況に架純は強いストレスを感じ、勉強に身が入らなくなってしまった。そして、中間テストでは成績を落としてしまう。


 真斗はそんな架純の様子を見て、悩んだ末に決断をする。大人に助力を求めることを。


 彼はできるだけ穏便に、そして佳代を傷付けずに解決しようと考えていたが、友人に被害が出ている状況にそうも言っていられなくなった。


 すぐに両親に事情を話すと、両親は早速警察に相談。家族はもちろん佳代が通う学校も巻き込んで、もう付きまといはしないと彼女に約束させた。


 佳代はみんなの前で謝罪し、そして「ただ真斗さんと一緒にいたかった。彼女(架純)を見て、少しでも彼の好みに近づきたかった」そう言って泣き崩れた。


 その後、幸い佳代の付きまといは一切なくなった。そして、それから約半月ほど、完全に解決したと判断できたところで、亮一たちに打ち明ける運びとなったわけである。


「本当にすまん。騙してて悪かった」


 深々と頭を下げる真斗と架純の姿を見て、責める言葉も逆に慰める言葉も出ない。ただ、自分たちはなんてことをしてしまったのだろうと亮一と陽菜は青ざめた。


 実際にはない真斗と架純の情事に嫉妬し、亮一と陽菜は、付き合い、キスをして、体まで重ねてしまったのだ。


 亮一は、架純を奪ったと恨んだ真斗に、勝手に嫌悪感を抱いた架純に、そして甘えてしまった陽菜に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 また陽菜も同様に、真斗に選ばれたと思い妬んだ架純に、自分の気持ちに気づいてくれないと恨んだ真斗に、そして当てつけに利用した亮一に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


◇◇◇◇


 日は西に傾き周囲は暗くなり始めている。あと少しで陽菜の家だ。しばらく黙って隣を歩いていた彼女が不意に口を開く。


「ねぇ、亮一はまた仲良し四人組に戻れると思う?」


 不安そうな曇った顔。


「どうだろう。でも、真斗と架純のためにも、戻らなくちゃいけないんじゃないのかな?」


「うん……、うん、そうだね。そうだと思う」


 亮一の言葉を確認するように陽菜は何度もうなずいた。そして、まっすぐこちらを見る。


「じゃあ……、私たちの関係は?」


 彼女の問いに、亮一は目を逸らすように前を向く。答えに迷っていた。


 元々は仮初の交際。しかし、キスをし体も重ねている。しかも、一度だけでなく何度も。


 彼女の体を隅々まで目にしたし、それに卑猥な格好や行為も色々とさせた。とても人には言えないようなプレイもしている。古い考えかもしれないが、もうここまできたら責任を取る必要があるんじゃないかと思っている。


 もちろん責任がどうとかではなく、純粋に陽菜のことが好きだ。これからも一緒にいたい。しかし、彼女が好きなのは自分ではなく真斗。自分の我儘だけで縛ってはいけない、そう亮一は思っていた。



 答えを口にすることができないまま陽菜の家に着いてしまう。家には明かりが点っていなかった。共働きの両親はまだ帰宅していないようだ。彼女は自分の部屋がある二階を見上げる。


「まだ話もあれだし、寄っていってよ」


 他人ひとの家の前で立ち話もなんなので、亮一は誘われるまま彼女の部屋に上がった。


 窓もカーテンも閉め切られた薄暗く蒸した部屋。蒸し暑さと部屋にこもった彼女の匂いでクラクラする。


 ドアが閉じられると、陽菜は振り返り胸に飛び込んできた。お互い強く抱き合い口づけを交わす。そしてまた、行為に及んだ。


 陽菜もみんなに悪いと思いながらも、亮一から離れられなくなっていた。抱かれるたびに肉体的な快感だけでなく、求められている喜びが心を満たす。もちろんそれは亮一だからこそ。この居心地の良い場所を手放したくはなかった。



 事が済み、まだベッドで横になっていた陽菜は少し上体を起こす。そして、服を着ている亮一の背中に声をかけた。


「ねぇ、亮一がもしいいならなんだけど……」


 シャツのボタンを留めながら亮一が振り向き返事をする。


「うん」


「あの二人には言えないけど、私たちこのまま交際を続けない?」


 不純な動機で始まった交際。今更、付き合っているとは亮一もあの二人には言えないと思ったし、言わない方がいいだろうとも思った。なにより、せっかく戻った四人組を壊したくはない。


 それに、陽菜はきっと真斗には知られたくないのだろう。そのことに少し寂しさを感じるが、亮一も架純に対し同じように思っているところがあった。


 服を着終えた亮一が顔を上げ答える。


「うん、そうしよう」


 力強い目つきで言う亮一の顔は、全ての責任を一人で負おうとしているかのようだった。その顔に申し訳ない気持ちになる。交際もキスもエッチも全ては自分から誘ってのこと。


 陽菜は起き上がると、裸のままゆっくり彼に抱きついた。口にはできなかったが、一人で背負い込まないでと心の中で呟く。そして、謝罪と感謝の気持ちを込めて亮一に優しくキスをした。

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