第10話.逢瀬

 背負ったリュックを大きく揺らしながら駅へと走る。亮一が陽菜の家を出たのは電車が出る八分前だった。かなりギリギリだが、どうにか間に合いそうだ。


 亮一は中学では陸上部。足には多少の自信がある。とはいえ、部活を引退して丸二年。息が苦しい。


 今朝、亮一は七時過ぎに陽菜の家に行った。電車の時間まで十分じゅうぶん時間はあったはずだが、結局し始めると歯止めが効かず、こうして時間ギリギリになってしまったわけである。陽菜も朝から激しいのは勘弁と言っていたくせに結構乱れていた。


 駅前広場には架純の姿。いつも腰掛けているベンチの前で不安げな顔でそわそわしている。一応、陽菜の家を出る前に『遅れるかもしれないから先に行ってて』とメッセージを打っておいたが、彼女は待っていてくれたようだ。


「ハァハァ……、ごめん遅くなって。ちょっと寝坊して」


「間に合ってよかったです。急ぎましょう。でも、亮一君が寝過ごすのなんて珍しいですね」


 そう言ってクスクスと笑いながら架純は亮一と共に走り出した。



 一方、陽菜の家には真斗。彼は部屋に上がるとすぐに変化に気づいたようで、怪訝な様子で辺りをうかがっている。


「ん? 部屋の匂い変えたのか?」


 行為の匂いを消すため消臭スプレー済み。乱れたベッドも整えたし、使用済みのゴムやティッシュもちゃんと処理をした。部屋のゴミ箱なんかには捨てていない。また、汗をかいたのでシャワーも浴びている。


「あの、ほら夏だしね。まぁ、女の子は色々とあるのよ!」


 そう答えると、そんなもんかねと真斗は肩をすくめた。


 こうして毎日、亮一は夏期講習に行く前に陽菜の部屋に寄った。また、夕方は夕方で真斗たちと別れた後は、再びどちらかの部屋に集まり体を重ねる。そんな逢瀬を重ねる日々。


 お互い、した後に何食わぬ顔で会う架純と真斗に罪悪感があったが、彼らに隠れてしていることがより一層興奮させているところもあった。



 お盆に入ると亮一は父方の実家に帰省、架純は家族と旅行に出掛けた。その間、真斗と陽菜は二人きり。


 彼らのSNSには二人で出掛けた際に撮った写真が数多くアップされている。ショッピングモールやアミューズメント施設などではしゃぐ真斗と陽菜の姿。それらを亮一は離れた地で見ていた。


 楽しそうだなぁと羨ましくは思うが、さほど嫉妬も心配もしていない。陽菜が頻繁にメッセージを送ってきてくれたこともあるが、今は純粋に彼女のことを信じている。


 とはいえ、お盆が終わり戻ると、できなかった鬱憤を晴らすかのように亮一は何度も陽菜を抱いた。彼女も溜まっていたのか激しく乱れる。時には真斗たちの誘いを断って、食料を買い込み朝からずっとホテルにこもることもあった。



 ある日の午後、いつものように亮一は集合場所の駅前広場へと向かった。少し後に架純が来て、後は真斗を残すのみ。陽菜は急遽バイトになったと先ほど連絡が入っていた。


「真斗のやつ遅いなぁ。どうしたんだろ」


「そうですね。もう少し待ってみましょう」


 真斗は遅刻の常習犯。とはいえ、ここまで遅いのは珍しい。連絡しようか迷っていると二人のスマホが同時に鳴った。


真斗

『わりぃ、急用。また明日な』


 やけに簡素なメッセージ。来れない理由も特に書かれていない。


「なんだろ……、真斗もバイトかなぁ。うーん、ちょっと電話してみる?」


 大袈裟だろうか。付きまといの件があったので少し心配性になっているところもある。


「どど、どうでしょうか。何かおうちのお手伝いとかかもしれませんし。えっと……、また明日とありますので、それほど深刻なことではないのだと思いますよ」


 架純の言い方に少し引っ掛かるところがあったが、当事者である彼女の意見なのできっと大丈夫なのだろう。それに真斗も付きまといの件で相当りたので、何か困り事があれば相談してくるはずだ。


「うーん、まぁ、そうだね」


 疑っても仕方がない。少し気になったが、了解と返しスマホを仕舞った。


 さてこれからどうしよう。図書館で勉強でもいいけど勉強道具を持ってきていないし、参考書は一昨日見に行ったばかり。


 うーん、女の子と二人きり。なにがあるかな?


 亮一は陽菜と二人でいる時のことを思い出してみる。買い物やカフェでお茶、ゲームセンターやアミューズメント施設で遊んだり、手をつなぎながら公園をぷらぷら散歩するだけでも楽しい。


 ただそれは全てデートでのこと。遊びでもデートでも、やることはさほど変わらないのかもしれないが、そもそも陽菜以外の女の子と二人きりで遊ぶのは気が引ける。


「えっと、じゃあ、二人だけなのもなんだし、今日は解散しようか」


 そう亮一が提案すると、架純は焦った様子で言う。


「あっ、あの、でしたら美術館に行きませんか? 頂いたチケットがちょうど二枚あるんです」


 彼女は急いでゴソゴソとバッグの中からチケットを二枚取り出した。そして、それを亮一に見せる。


 亮一はそのチケットの絵面に見覚えがあった。確か、同じデザインのポスターが図書館の掲示板に貼ってあったと思う。どうやら現在、市立美術館でモネなど印象派の絵画を集めた特別展をやっているようだ。


「亮一君か陽菜さんでも誘って行こうかと思っていたのですが、今日ちょうど二人ですし行ってみませんか?」


 真斗を最初から外しているのは同意。静かに絵を鑑賞だなんてあいつの柄じゃない。亮一もそれほど絵画に興味があるわけではないが、有名な画家なのでちょっと行ってみたいと思っていた。


「いいの?」


「はい、ぜひ!」


 架純は笑顔でうなずく。後日、三人で行くことも考えたが、そもそも陽菜だってこういう芸術に興味があるようには思えない。それに、真斗は興味がなくても仲間外れにされると「なんで俺だけ!?」とすぐに騒ぎ始める。それはそれで面倒だ。


 陽菜に申し訳ないとは思いつつも無理に断るのも不自然。一応、行く前にメッセージを送っておこう。


「うーん、じゃあ、せっかくだし行ってみようか」


 結局その日は美術館へ行き、二時間ほど鑑賞して架純とは別れた。


 美術館を出た後にさっさと帰ろうとすると、お茶に行きましょうと何度も架純に引き留められたが、やり残した勉強があると嘘をついて断った。せっかく誘ってくれたのに断って申し訳なかったし、それにちょっと強引すぎたかもしれない。


 夕方、バイトを終え亮一の部屋に来た陽菜はご機嫌斜めの様子。


「ふーん。美術館、楽しかったんならよかったね」


 口を尖らせ目も合わせず嫌味っぽく言う。どうやら彼女も行きたかったようだ。必死になだめ、どうにか機嫌を治してもらった後の彼女は、いつもより積極的だった気がする。



 数日後、たまには二人で遊ぼうと真斗から誘われ彼の家に来ている。陽菜も架純と二人で買い物に行くと連絡があった。


 以前からこうして男子だけ女子だけで遊ぶこともある。特にゲームの時は陽菜はまだしも架純はしないので、真斗と二人きりのことが多い。


 久しぶりに入る真斗の部屋。模様替えをしたのか以前来た時とは感じが違う。落ち着かず部屋の入口で佇んでいると、飲み物を取りに行っていた真斗が戻ってきた。


「ぼーっと突っ立ってないで、そこに座れよ」


 差し出されたペットボトルを受け取ると、示されたソファーに腰を掛ける。バイトのに付きまとわれ、部屋にこもっていた時に暇つぶしに買ったという新しいソフトを二人でプレーした。


 勉強ばかりしている印象の亮一だがゲームもそれなりにする。以前は真斗よりもうまかった。


「亮一、ずりぃ。なんだその攻撃」


「真斗こそ逃げ回ってないでちゃんと戦えって」


 お互い文句を言い合いながら白熱する。そして、何度目かのプレーの中、突然彼が尋ねてきた。


「で、亮一はいつ架純に告白するんだ?」


 その問いに焦って操作をミスる。すると、ズバッと彼の攻撃が入った。


 どうやら真斗は心理戦に持ち込もうとしているらしい。こうして相手のミスを誘って適当なことを言ってくるのは彼の常套手段。久々のことで引っかかってしまった。


「い、いや、告白する気なんてないよ」


 平静を装い返す。


「そうなのか? 架純のこと好きなんだろ?」


「えっ!? い、いや、そんなことは――」


 焦って真斗の方へ顔を向けた。すると、目を離した隙を突かれ彼が超必殺技を放つ。それをまともに食らってしまった。


 亮一の操るキャラクターは右に左にと激しく何度も打ち付けられ、そして最後は吹き飛ばされると死に体となって無造作に床に倒れ込んだ。画面上に『K.O.』の文字が派手に浮かび上がる。


 コントローラーを握りしめたまま亮一はうなだれた。ゲームで負けたこともあるが、それだけではない。


「亮一、俺この間のことで失敗したなぁって思ってることがあってさ」


 うなだれたままちらりと彼の方へ目をやると、勝ったことを喜ぶ様子もなく思い詰めた表情でじっと手元のコントローラーを見つめている。


「……うん、どうしたの?」


「お前にだけは、最初から本当のことを言っておくべきだったってさ」


 真斗が何故そんなことを言い出したのか分からず首をかしげる。すると、彼は顔を上げ急に真剣な眼差しをこちらに向けた。その表情に気圧される。


「お前、俺と架純のこと疑ってるだろ?」


「えっ!?」


「本当は付き合ってる、付き合っていたんじゃないかって。だから、架純に余所余所よそよそしいんじゃないのか?」


 自分でも架純を避けていることを認識しているが、気取られないようにしてきたつもり。しかし、それを鈍感な真斗から指摘されるとは思わなかった。


 架純を避けているのは恋人である陽菜に遠慮してのこと。でも……、それだけじゃない。


 隠れて交際していることもあるが、ずっと好きだった彼女になんとなく後ろめたさがあった。そして、そう感じてしまうのは、きっとまだ架純に気持ちがあるからなのだろう。でも、そのことを認めたくない、認めないようにしないと、そう思う気持ちから彼女を避けているのだと思う。


「神に誓って、命を賭けてもいい。本当に架純とは付き合っていないからな」


 必死な真斗のその表情から、彼が本当に気にしていることが伝わってくる。しかし、そのことについて亮一は疑ってはいなかった。


 確かに、にわかには信じられない内容だったし、納得がいっていない部分もある。でも、両親や学校、警察まで巻き込んだ騒動。さすがに嘘はないだろうと考えていた。なので、真斗の大きな勘違い。


 きっと今日、真斗はこのことを伝えたくて自分を呼んだのだろう。亮一はフーっと小さくため息をついた。的外れではあったが、そんな愛すべき馬鹿の気遣いがありがたい。


「わかった。まぁ、架純のことは違うけど信じるよ」


「そっか、ありがとう。でも、改めて本当に悪かったな」


 亮一は微笑みながら首を振る。それを見て、晴々とした顔で真斗もニッと微笑んだ。


「よし! もう一勝負しようぜ!」


「うん! 次は負けないよ!」


 コントローラーを握ると、二人は再び画面に向かった。



 その後四人でプールやテーマパーク、日帰りで東京にも遊びに行った。どれも最高の夏の思い出。そして、そんな四人での夏は過ぎ、来週からは学校が始まる。

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