第5話.加速

 六月下旬、亮一と陽菜は来週の期末テストに向けて一緒に勉強をしている。亮一の部屋に置かれた小さなテーブルに向かい合って座り、お互い黙々と勉強に励む。


「亮一。ここってどういう意味になるの?」


「あぁ、そこは――」


 中間テストの時もこうして二人で勉強をした。陽菜は分からないところがあればすぐに亮一に尋ね、そして彼は的確に答える。誰であっても亮一の説明は分かりやすい。そのおかげか、下から数えた方が早かった陽菜の成績は急上昇し、普通コースの中で二十位内に入った。


 亮一はトップ、特進コースの中で一位。架純への失恋や陽菜と交際し始めても、勉強をおろそかにすることはなかった。恋愛よりも勉強の方が亮一にとってはより根底にある。


 逆に真斗と架純は急降下。以前は、真斗は三十位以内、架純は十位以内をキープしていたが、張り出された上位三十名に二人の名前はなかった。


 きっと二人とも恋愛に夢中でテスト勉強をしていなかったのだろう。そして、それほどまで夢中になるのは、二人がすでにそういう関係にあることを示しているようだった。それを裏付けるかのように、二人がホテル街を歩いていたなんて噂もちらほら耳にしている。もう二人が手の届かないところまで行ってしまったようで、落胆を通り越し諦めに似た空虚な気持ちしか残っていなかった。



 静かに机に向かっていた陽菜は、急に手に持っていたペンをノートの上に落とすと、伸びをするように両手を上げたまま後ろに倒れ込んだ。


「あぁもう限界! 少し休憩!」


 そう言って駄々っ子のようにじたばたと手足をばたつかせる。勉強を始めてまだ一時間ほどだが集中力が切れたようだ。それでも最初の頃は三十分も保たなかったので、かなりの成長。


「そうだね。少し休もうか」


 亮一はちらりと時計を見てフーっと息を吐くと、飲み物に手をかけようとした。しかし、すでに空。見ると陽菜も同じようだ。


「何か飲み物を持ってくるから、ちょっと待ってて」


 そう言って亮一は空のコップをお盆に乗せ立ち上がる。


「あっ、ありがとう!」


 ゴロゴロと絨毯の上で寝ころんでいた陽菜は顔だけ向けて応えた。


 亮一が部屋を出てパタンとドアが閉まると、陽菜は行儀悪くハーっと息を吐きながら再度大きく伸びをする。


 亮一は気が利くし教えるのも上手、そしてなにより優しい。真斗も優しいが適当だし大雑把。しかし、以前はそんな彼のことを男らしくカッコいいと思っていた。それは好きだったからこそ。


 でも、最近は亮一といる時の方が素直に自分を出せている気がする。そう考えると、意外な組み合わせだと思っていた真斗と架純は結構お似合いなのかもしれない……、そんなことを陽菜は思っていた。



 亮一はキッチンに降りてくると、冷蔵庫からジュースを取り出しコップに注いだ。家には陽菜と二人きり。両親は共働きで二人とも仕事に行っている。


 亮一たちが交際していることを両親は知らないが、陽菜は息子の中学からの友達で何度も顔を合わせている馴染みの子。以前は真斗や架純もよく家に遊びに来ていた。なので、家で陽菜と二人きりでも心配はしていない。


 お盆にジュースとお菓子を乗せて部屋に戻ると、陽菜はベッドに横になってスマホを見ていた。何か面白い動画でも見つけたのか、鼻歌交じりに足をパタパタさせている。


「亮一、これ見て!」


 戻ってきた亮一に陽菜が笑顔でスマホの画面を向けた。お盆をテーブルの上に置き、ベッドの脇にしゃがみ込むと肩を寄せ合い画面を覗き込む。どうやら、よくある動物のハプニング映像のようだ。一緒に観て二人して笑い声を上げる。


 笑い合った後、すぐ横に陽菜の顔があることに気づいた。とても近い。彼女も同じことを思ったのか、恥ずかしそうにうつむく。そして、どちらともなく近づくと、目を閉じすっと唇を重ねた。


 GWにして以来、こうして会う度にキスをしている。すること自体にはだいぶ慣れてきたが、するタイミングはまだまだ掴めていない。それでも最近では舌を絡めることを覚えた。静かな部屋に二人の湿り気のあるキスの音が響く。


 何度か唇を重ねた後、亮一は顔を離し立ち上がろうと膝を立てた。すると、陽菜が袖を掴む。


「亮一。今日も」


 そう言って仰向けになると陽菜は誘うように両手を広げた。


 亮一たちはキスをすることを覚えたのと同時に抱き合うことも覚えた。とはいえ、陽菜の豊満な胸が当たる亮一はいつも固まってぎこちない。そこで陽菜はことあるごとにハグを要求するようになった。


 訓練と称しているが、陽菜は陽菜でハグは嫌いじゃない。むしろ好き。抱きしめられる暖かさと心地良さが安心感を与えてくれる。もちろん、亮一を揶揄からかっているところもある。


「ほら早く!」


 気後れしている亮一を陽菜が急かす。仕方なく亮一は彼女に覆い被さると、彼女は亮一の背中に手を回した。そして目を閉じる。


 しばらくキスを交わし、抱き合ったままごろりと向きを変えたところで亮一は気づいた。もう季節は初夏。陽菜は割と薄着で開いたシャツの間から胸の谷間が、そしてレースがあしらわれた白いブラも結構大胆に見えている。


 咄嗟に目を逸らすと、その行動に見えていることに気づいた陽菜がバッと胸を押さえた。恋人とはいえ無防備すぎだ。


 ちらりと見ると、陽菜は赤い顔で胸元を押さえながらこちらを睨んでいる。まるで大好物のおやつを取られまいとする子供のよう。その様子を見て亮一は目を逸らしたまま謝った。


「ご、ごめん」


 すると彼女はうつむく。


「あ、あのさ、少し……、触ってみる?」


「えっ!?」


 意外な言葉にどうしたらいいのか分からず亮一は固まった。すると、彼女は仰向けになると誘うように一つ一つ胸のボタンを外していく。


 陽菜はもう少し関係を進めてもいいかなぁと思っていた。それに勉強を教えてもらっているお礼もある。男の子は誰でもこういうことが好き、男慣れしていない陽菜でもそんなことくらいは心得ている。もちろん、陽菜もこういうことに興味があった。少しだけ、それならいいかな、そんな考えだった。



 亮一は陽菜の手元をじっと見つめ、彼女が次のボタンに手をかけるのか目で追う。外してほしいと思う反面、外された後どうしたらいいのか分からず不安でいっぱいだった。ボタンが外されていく度に、期待と不安でドキドキと鼓動が高まっていく。


 徐々に露わになる陽菜の身体。夏のせいか少し汗ばんでおり、張りのある血色の良い肌と相まってとても健康的に、そして魅力的に見えた。駄目だと思いつつも目が離せない。ゴクリと唾を呑む。


 そして、完全にブラが露になると、ホックに手をかけようとした陽菜が言う。


「は、恥ずかしいから、亮一も脱ぎなさいよ!」


 その言葉で亮一はハッとし、慌てて上体を起こすと乱暴にシャツを脱いだ。お互い上半身裸で見つめ合う。すると、陽菜がおいでとばかりにまた両手を広げた。完全に見えている胸がプルンっと揺れる。亮一は引き寄せられるように彼女に覆い被さった。


 陽菜は彼の首に手を回し、亮一は彼女の胸に顔をうずめる。彼女の匂いや柔らかさに、彼の温もりや肌の感触に、二人は今までにない興奮を覚えた。


 どこまで触っていいのか、どこまでしていいのか、止まるタイミングも止めるタイミングも分からず、欲望のままお互い上から下へと行為は進む。意外なこともあったし想像以上のこともあった。ただ、その一つ一つが愛おしく、お互いを興奮させていた。


 きっと架純も、きっと真斗も、こうして肌を合わせ一心不乱にお互いを求めているのだろう。そんなことが二人の頭の隅をよぎった。それを消し去るように、お互い目の前の相手を求める。そして、二人の行為は加速していった。



 一時間後、生まれたままの姿で二人は川の字になりぼーっと天井を眺めている。二人の間にある手は指だけ絡んでいた。


 結局、エスカレートした行為は止まることなく最後までしてしまった。


 夢中だったし手探りだった。これでいいのかと迷ったし、陽菜も途中で何度か顔を歪ませていた。達成感や満足感はもちろんあるが、今は不安や罪悪感の方が大きい。


「なんかすごかったね……」


 余韻のままに陽菜がぽつりと呟く。その言葉に後悔といった後ろ向きな気持ちは感じられない。そのことに亮一はホッとしていた。


「ごめん。なんか余裕なくって」


「ううん、大丈夫だよ。でも亮一、すっごい必死だったね」


 そう言うと陽菜はクスクスと笑い出す。陽菜だってすごくぎこちなったくせに、そう思ったが言うのはやめておいた。


 笑っている彼女に、もう勘弁してよと言いながら口を塞ぐようにキスをする。離れると今度は彼女が追うようにキスをした。お互い何度もキスをし合うと、ついには唇は離れることなく抱きしめ合う。そして、再び行為が始まった。



 その日以来、毎日のように放課後はどちらかの部屋で体を重ねた。しかし、するのは必ず勉強が終わった後、そう決めている。


 そうできていたのは、ある意味真斗たちの存在があったから。彼らのように性欲に溺れてはいけない。真斗と架純の交際が、アクセルにもブレーキにもなっていた。


 とはいえ、期末テストが終わり制限がなくなると、タガが外れたようにお互い体を貪り合った。放課後は急いで帰宅し、また、休日は朝から夕方までどこへも行かず、どちらかの部屋かホテルにこもる。二人は真斗と架純よりもたくさんしようと、彼らと競い合うかのように何度も何度も体を重ねた。


 あんなことをしているかもしれない、こんな所でしているかもしれない、そんなことを想像し、彼らのプレイをなぞるように二人は大胆に、そして追い越そうと過激になっていく。すると、いつしか二人の頭から真斗と架純の姿は消え、もう目の前の相手しか見えなくなっていた。



 そんな生活が続き、明日から夏休みという一学期の最終日。午前中で学校は終わり、亮一は教室を出ると陽菜と合流するため急いで玄関に向かう。すると不意に呼び止められた。


「亮一君!」


 聞き慣れた柔らかなその声に、亮一は咄嗟に振り向いた。

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