第4話.薄紅色

 真斗と架純が付き合い始めてから一ヶ月近く、一度も会っていないし連絡も一切ない。逆にこちらからメッセージを送ってみようかとも思うが、最初にああ言われてしまうと邪魔しては悪いと思い連絡できないでいる。


 ここまで連絡がないとさすがに心配になってくるが、校内で見掛ける彼らの様子に特に変わった様子はない。なので、ただ単に今はまだ恋愛に夢中でこっちに構っている暇はないのだろう。


 付き合い始めで浮かれているのも分かるが、あまりにも連絡がなさ過ぎる二人に亮一も陽菜も少し頭に来ていた。とはいえ、仲間であることには変わりはない。これ以上そんな二人を嫌いになりたくないという思いから、最近ではどちらともなく彼らの話題は避けるようにしている。



 そしてGWに突入した今日は、亮一と陽菜にとって初めてのデート。放課後に買い物やお茶をすることはあったが、休日にお洒落をして二人で出掛けるのは初めて。


 行き先は電車で一時間ほどのところにある遊園地。以前、真斗と架純を含め四人で行ったことがある。「せっかくのGWだしどこかに行こうよ!」と陽菜が言い出し、手頃な距離と料金でそこになった。


「亮一、お待たせ!」


 いつもの交差点、朝早くに亮一が待っていると、満面の笑みで陽菜が大きく手を振り駆け寄ってくる。週末に四人で出掛けることもよくあったので彼女の私服姿には見慣れているはず。ところが、この日の彼女はいつもとは雰囲気が違っていた。


 髪もそうだが、ばっちり施したメイクが元々の可愛さだけでなく大人っぽさも引き出している。特に鮮やかな薄紅色の唇に目を引かれた。


「おはよう。あ、あの、陽菜……、今日はすごく綺麗だね」


 まるでモデルかと思うほどの姿に自然と称賛の言葉が出る。


「そ、そう?」


 陽菜は恥ずかしそうに体をくねらせると顔を赤らめた。それを見て、思わず柄にもないことを言ってしまったと急に恥ずかしくなる。すると、不意に彼女がフフッっと笑った。


「ごめん。こんな僕から褒められたって、気持ち悪いだけだよね」


「ううん、違うの。綺麗だって言ってもらえて純粋に嬉しかったの。ありがとう」


 そう言って陽菜はゆっくりと花が開くように微笑んだ。そのあまりの美しさに思わず見とれ呆然とする。すると、彼女はいつもの調子で「早く行こう!」と腕を取って急かした。せっかくのお淑やかな雰囲気が台無しだ。



 電車に乗り一時間、遊園地に着くと早速ジェットコースターを始め、二人は様々なアトラクションを楽しんだ。


 普段あまり騒がない亮一も今日は特別。テンション高めに陽菜と一緒に盛り上がる。彼女もゆるふわな髪を揺らしながら元気にはしゃぎとてもご機嫌。


 そんな彼女をすれ違う人がちらちらと見ているのが分かる。今日の彼女は特に綺麗で多くの男性の目を奪っていた。


 こんな綺麗なとデートなんてなかなかできないだろう。しかも仮初とはいえ一応交際もしている。改めて亮一は、自分なんかと一緒にいてくれている彼女に感謝していた。



 広げた園内ガイドを覗き込んでいた陽菜は、視線を上げると黒い建物を指差す。


「亮一! 次、お化け屋敷に行こう!」


 この春に新しく出来たアトラクションで、最新のテクノロジーを駆使した新感覚のお化け屋敷と園内ガイドで紹介されている。


 亮一は首を傾げた。確か陽菜はそういったところが苦手だったはず。でも、前に来た時にはなかったので入ってみたいのだろう。


 人気のようで入口には長蛇の列。亮一たちも急いで最後尾に並んだ。陽菜は亮一の心配をよそに、「楽しみ!」と笑顔だ。


 ところが、最初は平気そうだった彼女も、順番が進むにつれ徐々に笑顔と口数が減っていく。そして三十分後、次が亮一たちの番となる先頭まで来ると、彼女は明らかに顔を引きつらせた。たまに建物の中から聞こえてくる入場客の悲鳴のような声に怯えた表情を見せる。いよいよとなり、大丈夫なのかと不安になってきているのだろう。


「陽菜、大丈夫? 入るのやめようか?」


「な、なに言ってるのよ。大丈夫だって。せっかく並んだんだし勿体ない。亮一こそ怖くなったの?」


 そう言って鋭い目つきでこちらを見上げる。しかし、強がっているのか、その顔には不安な表情が滲んでいた。


 誘った手前、後には引けないのだろう。今更入らないとは言えないようだ。こうなると、もう何を言っても意固地になるだけ。


 亮一はさてどうしたものかと天を仰いだ。そして諦め顔でフーっと息を吐くと、小さく震えている彼女にすっと手を差し出す。


「うん、僕はちょっと怖くなってきたかな。だからその……、手を繋いでもいい?」


 亮一の意外な行動に一瞬驚くも、その手を見て陽菜はわずかに微笑んだ。彼の気遣いがとてもありがたいし、なにより嬉しかった。すぐさまその手を取る。


「いいよ。まったく亮一は怖がりなんだから。仕方がないなぁ」


 そう言って陽菜は悪戯っぽく笑った。その様子に亮一は安心し微笑んだ。



 結局お化け屋敷の中では陽菜が絶叫し、手をつなぐどころか常に亮一に抱きついている状態。彼女の豊満な胸が背中や腕に押し付けられていたが、恐怖でパニックになっている彼女を落ち着かせるのに精一杯で、そんなことを気にしている余裕はなかった。彼女を支えながら、どうにかお化け屋敷を出る。


「あー、もう本当に怖かったー」


「陽菜、怖がり過ぎだって」


「えー!? だってしょうがないじゃない。すっごいリアルな生首とかがグワーって飛んできてさ。あんなの反則だよぉ」


 確かに新感覚のお化け屋敷と言うだけのことはあって、内装から人形、お化け役のスタッフのメイクはとてもリアルだし、大きなディスプレイに映し出されたおどろおどろしい幽霊のCGも本物と見間違うほどだった。また、それぞれの仕掛けもタイミングよく配置されていて、入場者を驚かせる様々な工夫がなされていた。


「あっ、ごめん」


 怖いからとつないだ手。いつの間にかその手は恋人つなぎになっていた。慌てて離そうとする。


「待って。まだ少し震えてるから」


 そう言うと陽菜は強く握り返し、不安そうな目で亮一を見上げた。


「えっと……、うん、わかった」


 今更になって亮一はドキドキし始めていた。でもそれは、お化け屋敷とは違うドキドキだった。



 夕暮れ時、日は西に傾き始めそろそろ帰る時間。夕日を眺めながら乗ろうと最初に決めていた観覧車に向かった。ゴンドラの扉が開き陽菜をエスコートする。お化け屋敷の後、二人はずっと手をつないだままだった。


 外の景色が見えるように並んで座ると、タイミングを合わせたおかげでちょうど綺麗な夕日が遠くの山の端に下りてきているのが見える。二人は目を細めながら静かにそれを眺めた。


「きれーだね」


「うん」


 ゆっくりと落ちていく夕日はぼんやりと揺らめき、最後の力を出し切っているかのよう。


「そういえば、前に来た時も同じように夕日を見たね」


 陽菜がぽつりと呟く。夕日に照らされオレンジ色に輝く彼女は切なげな表情をしている。四人で来た時のことを懐かしんでいるのか、それとも真斗を想っているのか。


 亮一もふと架純に思いを馳せた。きっと今ごろ真斗の隣に寄り添っているのだろう。そして、同じように夕日を眺めているのかもしれない。


 二人の気持ちを表すかのように、日は完全に山の向こう側に隠れ、徐々に闇が光を飲み込んでいく。


「あっ、ごめん。変なこと言って」


 我に返った陽菜が慌てて言う。亮一は何も言わず遠くに目をやったまま。陽菜の声が届いていないよう。


 でもそれは、聞こえていないふり。彼女の方を向いてしまったら、また落ち込んだ顔を見せてしまう。亮一はそんな顔を見られたくはなかった。


「あの……、本当にごめんね」


 もう一度言う陽菜に亮一は軽く目をやると、ため息混じりに微笑み僅かに首を横に振る。そしてまた遠くに目をやった。


 きっと陽菜は特に思うところがあったわけではなく、たまたま思い出したことを言っただけなのだろう。そう分かっていても、夕暮れ時という雰囲気も相まって亮一は沈んだ気持ちを上げられないでいた。


 輝き始めた園内のイルミネーションとは対照的に、ゴンドラ内には重苦しい空気が流れている。しばらくの間、二人とも黙っていた。


 さっきまでは楽しかった初めてのデート。自分の余計な一言で台無しにしてしまったと、陽菜はひどく後悔し落ち込んでいる。そして、この気まずい雰囲気をどうにか変えたいと思った。


「あっ、亮一! あれ見て!」


 突然陽菜が声を上げる。彼女が指し示す方向に振り向いた瞬間、――目の前には彼女の顔、そして唇には柔らかい感触。


 イルミネーションが点滅する度に、目を閉じた陽菜の顔が様々な色で暗闇の中からぼんやりと浮かび上がる。生々しい感触に違和感を感じながらも、この時間がずっと続いてほしいと思った。


 しばらくすると、すっと陽菜が離れた。ゆっくりと開いた彼女の潤んだ瞳がこちらを見上げる。そして恥ずかしそうに目を伏せた。


 さっきまで彼女の唇が触れていたところ、そこに指を当てる。まだほんのりぬくもりと柔らかい感触が残っていた。


「どうして……」


「あの……、さっきのお礼。お化け屋敷の。嫌だった?」


 彼女はそう言うと困ったように微笑んだ。嫌だなんて、そんなことはない。全力でブンブンと首を横に振る。すると、その様子が可笑しかったのか彼女はフフッと笑った。そしていつもの悪戯っぽい調子で言う。


「これでも私のファーストキスだったんだぞ!」


 意外な告白に亮一は驚いた。男慣れしていないとはいえ、キスくらいは経験済みだと思っていた。彼女の初めてになれて嬉しい反面、なぜか申し訳ない気持ちになる。


「あの、その、ごめん」


「なに謝ってんのよ。まぁ、光栄に思って」


 亮一の心配をよそに彼女は平気そうに言う。


「うん、ありがとう。あっ、ちなみに僕も初めてだったから!」


 亮一が真剣な表情でそう言うと、彼女は目を丸くし、そして盛大に笑った。


「アハハハッ。うん、大丈夫。そうだと思ってたから。アハハハッ――」


 そう思われても仕方がないと思いつつも、彼女の笑い様に亮一はちょっとムッとする。


 ひとしきり笑った陽菜は落ち着くと、いつもの笑顔でこちらを見上げた。さっきからずっと彼女の唇が気になって仕方がない。そして亮一は自分でも意外なことを口にする。


「その、陽菜。あの……、もう一回、もう一回したい」


 突然のキスであやふやな感触をちゃんと確かめたかった。それに、ただ理由もなくもう一度したいと思った。


 陽菜は目を見開いた後、躊躇ちゅうちょするように一瞬目を逸らしたが何も言わずすっと顔を上げた。そして目を閉じる。彼女のその仕草が、もう一回キスをすることを許されたことがとてつもなく嬉しい。


 無防備に差し出された艶やかな薄紅色の唇。その形に色に息を吞む。もう一回だけ、そう思うとすることが惜しまれたが、したい気持ちを抑えることができなかった。亮一はそっと彼女の肩に手を添えると、ゆっくりと自分の唇を重ねた。今度はちゃんと目を閉じて。


 きっと真斗と架純もこうしてキスをしているのだろう。もしかしたら、あの夕日を見ながらしていたのかもしれない。キスをしながら二人はそんな余計なことを考えていた。


 離れると、恥ずかしそうに陽菜がふぅと吐息を漏らす。そしてまた、潤んだ瞳で亮一を見上げた。


 どちらが先に動いたのかは分からない。示し合わせたように少しずつ距離を縮めると、二人はゆっくりと目を閉じ再び唇を重ねた。


 観覧車はちょうど頂上付近。下までの約十分間、目の前で輝くイルミネーションには目もくれず、二人はお互いの唇を求め続けた。

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