第3話.仮初

 玄関の鏡の前で最終チェック。右に左にと顔を何度も振っては髪やメイクのノリを確認する。


 うん、よし、オッケー!


「陽菜、学校に遅れるわよ!」


「あっ、本当だ。いってきまーす!」


 陽菜は鞄を取ると慌てて家を出た。



 降って湧いたような突然の真斗と架純の交際宣言。かなり驚いたし正直すごくショックでもあった。幸せそうに並ぶ二人の姿を悪いと思いつつも、口にした祝福の言葉通りには見られない。


 しかし、それ以上に見ていられなかったのが隣にいた亮一。可哀想になるくらい絶望した顔で固まる様子は気の毒としか言いようがなかった。


 その後の落胆ぶりもひどく、落ち込んだ様子でうつむく彼を毎日見ていたら無性に元気づけたいと思ってしまった。母性本能に近い感覚だったのかもしれない。


 でも、付き合わないって言ったのはちょっと唐突すぎたかも。まぁ、あの真面目な亮一が受けるとは思わなかったけどね。


 昨日、亮一が交際を受け入れてくれて陽菜はホッとしていた。素直に彼が受け入れてくれたこともそうだが、誰かに必要とされていることが今はなにより嬉しい。


 ただ、そんな純粋な気持ちの反面、よこしまな思いもあった。


 真斗とは気が合うし、いつも一緒にいて楽しい。そして彼も同じ気持ちだと思っていた。なので、自分と架純、もし彼がどちらか選ぶのなら絶対に自分だと信じていた。ところが期待に反し、彼は架純を選んだ。しかも告白されたのではなく彼からの告白。


 身勝手な考えだとは分かっているが、自分を選んでくれなかった、自分の想いに気づいてくれなかった真斗に怒りの感情があった。見返してやりたい、そんな気持ちがなかったとは言えない。


 そんな考えに亮一を巻き込むことに若干の後ろめたさもあったが、信頼できる彼だからこそ相手として選んでいたところもある。彼は昔からの仲間。多少の我儘に付き合ってもらってもいいかなぁという打算的な考えもあった。



 いつもの交差点で自分を待つ亮一。今日から恋人だと思うとなんとなく違って見える。


「ごめん、ごめーん」


 照れくさくて元気に大きく手を振りながら駆け寄った。遅くなったのは、なんとなくいつもより身支度に時間をかけていたせい。


 亮一もいつもと違う感覚を覚えているのか少し緊張した面持ち。


「お、おはよう。大丈夫だよ。僕も今来たところだから」


「あの、うん、おはよう」


 彼の髪がいつもより上がっている。何か整髪料でも付けてきているのかもしれない。柄にもなくそんなことをしてきた彼が可愛く思えた。


 やだ。亮一のくせに、なんか私ドキドキしてる?


 急に恥ずかしくなり無意識に髪をいじる。恋人ができたのは初めてなので、どういう顔をしていいものなのか分からない。そして、それは亮一も同じようで、苦笑いしながら赤い顔で明後日の方を向いている。


 何を話せばいいんだろう? 今まで何を話してたっけかなぁ?


 気まずい雰囲気に何か話題を振ろうと必死に考えるが、こんな時に限って何も思い浮かばない。すると、逆に彼が先に口を開いた。


「えっと……」


「うん……」


 そう言ったきり亮一は黙ってしまう。言葉が続かないよう。


 もぅ、何か言ってよ!


 モジモジしている亮一に心の中で文句を言う。すると、心の声が届いたのか再び彼が口を開いた。


「なんだか恥ずかしいね」


 気の抜けた彼の言葉に思わず呆気にとられる。そしてお互いアハハと苦笑い。交際するってこういう感じなのかと、新鮮な気持ちに戸惑っていた。


 赤い顔で恥ずかしがる二人、そういえばと思い出す。この前、交際宣言をしていた真斗と架純も同じ感じだった。しかし、あっちは本物の恋人、それに対しこっちは仮初の恋人。


 なにやってんだろ私……。


 急に虚しくなり、ため息をつく。こんなことをやっている自分が馬鹿馬鹿しく、また、こんなことに付き合わせてしまっている亮一に申し訳ない気持ちになった。さっきまでのドキドキはいつのまにか消えている。


 やっぱり、こんな交際やめた方が……。


 そう思ったところで、突然亮一がバッと空を見上げた。どうしたのかと彼を見ると、真剣な表情で何かを探るように目をキョロキョロさせている。何事か固唾を呑んで見守る陽菜の耳に、遠くからガタンゴトンと電車の音が聴こえてきた。おそらく自分たちが乗る電車。


「やばい! 陽菜、急ぐよ!」


 彼はいち早く電車の音に気づいていたようだ。必死の彼の表情にクスっと笑ってしまう。


「うん!」


 陽菜は元気に返事をすると、駅に向けて彼と共に笑顔で駆け出した。



 あれから一週間、仮初の交際だったが思いのほか亮一とはうまくいっている。


 登下校はいつも一緒だし、放課後に買い物やカフェでお茶をしたり、二人きりでカラオケにも行った。いつもの日常が二人だと新鮮で、そしてもちろん楽しくもある。ただ、カラオケだけはやはり四人の方がいいと思ったのは二人とも同意見だ。


「おーい! 亮一!」


「あっ、陽菜。お待たせ」


「もぅ、遅いよ。早く行こう」


 そう言って陽菜は笑顔で歩き出す。慌てて亮一はその後を追いかけると彼女の隣についた。


「あっ、聞いて亮一。ずっと推してたCaNsの宮本君が女優の――」


 自分の好きなことから家族の愚痴まで思いついたことを一方的に喋る陽菜、そして亮一はそれを相槌を打ちながら笑顔で聞く。


 結局、陽菜はあれこれ難しいことは考えないことにした。元々あまり考えず直感で動くタイプ。変に気を遣わず普段通りにしていればいい、そういう結論に至った。


 陽菜は自分の我儘に付き合ってくれている亮一に、亮一も自分を元気づけようと一緒にいてくれている陽菜にとても感謝している。そして二人は、お互い一緒にいる心地良さを感じ始めていた。


 しかしその一方で、真斗と架純のことを忘れたわけではない。


 真斗たちの交際は瞬く間に学校中に知れ渡り、美男美女カップルとして話題になっていた。そのため、公園で仲良く寄り添っていた、楽しそうに二人でショッピングモールを歩いていた、などなど聞きたくもないのに二人の噂が自然と耳に入る。


「真斗たち、昨日駅前のカフェでお茶してたんだって。うちのクラスのが見たってさ」


「そうなんだ……」


 残念そうにうつむく亮一。その様子に思わず陽菜はため息をつく。


 陽菜は真斗たちのこともそうだが、どちらかというと亮一の態度にため息をついていた。目の前に自分の恋人がいるにもかかわらず、他の女性のことで落ち込んでいる彼に少し呆れている。


 元々陽菜は自分が真斗の好みではないことを知って、少し心が彼から離れていたところがあった。確かに二人の交際には大きなショックを受けたが、諦めようか悩んでいたところの真斗たちの交際宣言でもある。それに時間も経ち、多少気持ちの整理もついてきていた。


「よし、今日は新しくできた駅裏のクレープ屋に行こうよ! 昨日みっちょんが行って、すごく美味しかったって」


 暗い表情の亮一に、できるだけ明るく声をかける。


「うん、いいね。行こうか。適度な糖分はね、脳の働きを活性化して――」


 いつもの亮一の小難しい話が始まった。その様子を見てホッとする。


「はいはい。美味しければ何でもいいでしょ」


 そう言うと、早く行こうと陽菜は亮一の腕を取り引っ張っていった。



 結局、二人は付き合い始めたことを誰にも言っていない。なんとなく気恥ずかしかったし、それに不純な動機で交際を始めた後ろめたさもあった。


 しかし、それ以上に真斗と架純には知られたくないという思いから、交際していることは伏せておきたかった。もしかしたらすぐにあの二人は別れるかもしれない、そんな淡い期待を心のどこかに抱えていた。

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