第9話 故郷へ帰る
虎はじっと耳を傾けていたが、最後はうなだれた。
李徴は、もう人間のように話すことは出来ないように見えたが、それでも、妻の姿もその言葉もよくわかってはいると袁傪には思えた。
虎はうながされまま、一行がひいてきた檻の中に入った。檻の中に詩の冊子を入れると、最初はめくっていたが、やがて、見向きもしなくなった。袁傪は、もしかすると虎の中の人間が姿を消す時間がきたのかとおそれたが、虎は特に暴れる様子もなくおとなしく檻に入っていた。
商於に戻ると、虎を見に、人々が集まってきた。
元は人間で、今も人間の心を持っているということは、知られているし、人によっては、その詩が国中で人気沸騰中であることも知っていた。
多くの人が、その一挙手一投足に興味津々だった。
李徴の妻はこの地に着いたとき、虎となった李徴に襲われたという二人の人間を探し出して、相手がびっくりするような補償金を手渡していたので、それも一種の評判になっていて、取り巻く群衆の雰囲気は決して悪いものではなかった。
妻はいつも檻の近くで、何か話しかけていた。李徴は人間としての意識があるのかないのか、ただ寝そべってぼんやりしているように見えた。
袁傪が驚いたことに、李徴の妻は、筆と紙とを檻の中に用意していた。さらに驚いたことには、故郷へ帰る道すがら虎は時々思い出したように、紙に何か書いていた。
そして、ある朝、袁傪と妻がいつものように檻の中の様子を見に行くと、その紙を咥えて妻に渡そうとする。
妻が受け取って開くと、かなり乱れてはいたが、決して読めないほどではなく字が書かれていた。
「どんな感謝の言葉も我が胸の思いを表せず、どんな尊敬の言葉も私の正直な気持ちには足らない。もし私が人間の涙を流せたのなら、きっとこの道は川になっていたことだろう、あなたという妻を持った私は、古今東西で一番幸せな生き物なのだから」
これを読んだとき、妻は思わず泣き崩れてしまった。
「私もです。たとえあなたが虎になっても、私は李徴の妻であることを幸せに思います」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます