第6話 李徴の噂

 袁傪が、その家を辞して、十日もたたないうちに、袁傪のもとに、李徴の作品集が届いた。速さにも驚いたが、字の美しさに驚いた。清冽に澄み切った筆致は、李徴の詩によく合っていた。

 もとより、袁傪は詩については素人で、漠然とした感想は持てても、その巧拙を判断する力はない。それでも、その美しい文字で、改めて作品を読み返してみると、とても美しい作品に思えた。

 とにかく、李徴の妻には、人に紹介すると約束してある。出来るだけのことはしておこう。

 まず、李徴とは同門で、今や詩家として名をなしている季孫を訪ねてみた。確か李徴との仲も悪くなく、李徴の才能を買っていたはずだ。

「実は見てもらいたいものがある」

 家を訪ねて、李徴の作品を取り出すと季孫はびっくりした。

「どうしたんだ。これは?」

「李徴の奥さんが作ったものだ。李徴の作品がまとめてある」

 季孫は眉をひそめた。

「奥さんが、書いたのか」

 ページをめくる。

「きれいな字だな。字だけでも芸術品だ」

「ぜひ読んでもらいたいと思ってな」

 しかし、季孫はすぐに読もうとはしなかった。そのかわりにじっと袁傪を見つめる。

「虎になってまで作った作品か?」

「え? ど、どういうことだ」

 李徴が虎になったことは、決して他言無用という妻との約束だった。あの日同行したものにも、「絶対に他言するな」と念を押しておいたはずだが。

「やはりそうか……」

 袁傪が動揺したのを見破られたらしい。

「こんなこと、隠しても隠しきれるものじゃない。たくさんの供と一緒だったらしいじゃないか。もうすっかり一部では噂になっているよ。詩を書き取らせたというのも聞いた。読んでみたいと思っていたんだ」

 そしてページを開いて熱心に読み始めたが、数ページ読んだところで顔をあげた。

「思った通りだ。素晴しい。もともと李徴は、当代一流の才の持ち主だ。美しい詩を書いていた。私は好きだったが、繊細すぎるようにも思っていた。だが、今は、何かが吹っ切れたような大胆さというか力強さがあるような気がする。この、望郷の詩、虎という言葉こそ出てこないが、帰れなくなった故郷の妻と子どもを思う気持ちが痛いぐらい伝わってくる。まさしく傑作だ。とにかく、これをみんなに知らせよう。出来る限りのことはするよ。早い方がいい、というのも……」

 季孫は冊子をたたむと袁傪の方に身を乗り出した。

「李徴のことは噂になっている。どちらかというと、よくない噂だ。虎になってまで詩を残そうとするのか、という執念が、浅ましいというんだな。だけど、この詩集が世に知られれば、李徴がそうまでして残した詩の素晴らしさをみんなが知る。そうすれば悪い噂は消えるはずだ。私は李徴の才能を知っていたから、きっと素晴しい作品に違いないと思っていたんだよ。今日はそれが証明された。正直、うれしいよ」

 そして、袁傪の手を握ると、この冊子を広めたい。もっとつくってくれるよう李朝の妻に頼んでくれと言うのだった。

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