第10話


 まっすぐおつかいを済ませてまっすぐ帰る。

 そう思っていたのだけれど。


 エマは大通りに面した喫茶店カフェテラスで珈琲にゆっくり口をつけていた。広がる香りが爽やかで、これもお土産に買って帰ろうかしらと精算所レジ横の棚に目を向ける。


 そうして一通り店内をぐるりと見渡して、またカップに口をつけて、ふう、と息を吐く。


(ううん、困ったわ。どうしましょうね)


 視線を感じる。それも、嫌な視線。

 これは知っているものだった。魔女として長く生きていればそれなりに色々と経験するものだ。特に、異世界が侵攻を開始してからは。


 今エマを監視しているのもその類いだろう。

 異世界からの侵略者。世界の同化をはかるため、この世界から手作りハンドメイドを排除し全自動機械オートマティック化を推し進める者たち。


 つまるところ、モノづくりの担い手である魔女を排除したい者。


(しつこいのねぇ)


 かれこれずっと、視線を浴び続けている。普段のエマならば問題はない。自分で対処できる。けれど今はできない。だって、道具をもっていないから。

 かぎ針も何もかも、置いてきてしまったから。




「本当に困ったわ」


 とっぷり日が暮れてずいぶん経ってしまった。珈琲は三杯飲んでお腹がたぷたぷになってしまって店を出た。それから本屋を眺めて、洋服を眺めて、夕食を食べに食堂レストランに入って、いろいろ時間をつぶしてみたけれど視線が途切れることはなく、ついにはすべての店の営業が終わってしまった。


 追い出されるように店を出たエマは、ぽつぽつとすれ違う人たちを眺めながら考える。考えた、けれど。


(うん、これは無理ね)


 諦めた。

 諦めて、人気のまったくなくなった公園に足を踏み入れたのだった。


「お待たせしてしまってごめんなさいね」


 どこかに向かって声をかける。そうしてしばらく待つと、かさりと茂みが動いた。

 そちらに目をやれば、男がひとり。

 手には、拳銃が一丁。


 男の腕が上がる。

 ぴたりとまっすぐ、銃口がエマに向く。

 撃鉄の起きる音。ガチリ。

 引き金に指がかかって、



「――――何してやがる!!!」



 銃の弾ぜる音の一瞬前、エマの身体が真横に傾いた。び、と何かの引き裂かれる音。それを確認するまでもなく、ごん、と身体がぶつかった固いものを見上げる。


「あらあら、神様」

「馬鹿かお前は!!!!何を考えて」

「ねぇ、私の仕事道具。出してくださいな」

「はぁ!?」


 神にはエマが何を考えているか本気で分からなかった。拳銃を向けられて怯えるわけでも震えるわけでも泣くわけでもなく、いつも通りの何を考えているか分からない笑顔でそれを見つめていたエマが。

 分かる気もしない。けれど、す、と指で示された先、男がこちらに背をむけて走り去るのは分かったので。


「……チッ」

「うふふ、ありがとうございます」


 魔法でエマの仕事道具、かぎ針をエマの手のなかに転移させる。とりあえず、エマがこれで何をするのかを見てやろうと思った。

 あとで絶対に叱るとして。


「さぁさぁ、戻っていらっしゃいな」


 くるり、エマが針を回す。

 くるくる、くるくる。規則正しいうごき。

 針の先に糸が出る。魔法の糸。それがどんどん編まれてそして、一本の鎖編みチェーンになっていく。

 しゅるしゅると伸びたその鎖はあっという間に男に追い付いてその胴体に巻き付いて。

 

「おいで」


 くん、と針を引く。力などいれていないはずなのに、男がずるずるとこちらに戻ってくる。

 くるくる、くるくる。巻き取られていく鎖と一緒に。


 男が苦し紛れに拳銃をエマと神に向けた。間髪をいれずに発砲。乾いた音。けれど銃弾は届かない。

 巻き取る鎖を左手に持ち変えたエマが、右手で一瞬で編んだドイリー防護壁にくるまれてぽとりと落ちた。


「ねぇ、貴方は何色が好きかしら」


 くるくる、魔法で出された糸が男を覆っていく。

 足元から手の先から、規則正しい細編みが一段また一段と積み重なっていく。

 何色が好き、なんて聞いておきながら答えを聞くわけもなく、また男がそんな質問に答えることも答えられることもない。


 薄い茶色の糸で覆われて見えなくなっていく男を、神はエマの後ろでただ見ていた。



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