第8話
そうして魔女たちによる”世界地図”の修復作業ははじまった。期間は一ヶ月。それまでに巨大な地図をすべて修復しなければならないというとんでもない作業量。故に魔女たちは世界の裏側に缶詰状態で、泊まり込んでの強化合宿みたいなもの。
本人たちは嬉々としてやっているけれど。
「嫌になったり、飽きたりしませんか」
「しないよ」
「しないです」
「しないね」
魔女たちのお世話係りに任命されたヴェルトがそう聞けば、彼女たち、棒編みの魔女レイナ、刺繍の魔女マヤ、機織りの魔女メイサが順に答えた。
「こんなに楽しい事、なかなかないさ」
メイサが機織り機に頬杖をつき、長い足を組み替えて言う。短く切り揃えられた髪に涼しげな目元。一見すると王子さまのような見た目の彼女は世の女性たちを魅了するような微笑みをヴェルトに向けた。
「こんな機会、そうないですしね~」
鈴の転がるような可憐な声で言うのはマヤ。さらりと長い金の髪に幼い顔つき。まるで人形のように可愛らしいけれど、彼女だって魔女なのでヴェルトよりもずっとずっと長く生きている。
「うん、私もそう思う。だけどね、」
レイナが気の強そうな瞳をきろりと動かす。
その先には。
「あれはどう考えても異常でしょ」
脇目も振らずにレースを編み続けるエマの姿があった。
それを見てレイナもマヤも苦笑する。
エマ以外の三人はヴェルトが持ってきたお菓子で休憩をしているところだ。ヴェルトからすれば、朝からずっと作業をしている彼女たちだってすごい。今日で五日目。朝から晩までここでずっと。尊敬する。
だからこその先の質問だったのだけれど、彼女たちにはそんな心配は不要のようだ。
そして、そんな彼女たちですらちょっと引くくらいの人。
すぐ近くでそんな話をされているというのに、エマの耳にはまったく入っていなかった。
そんなことよりもとにかく目の前の、この素敵な作業に頭の先から爪先まで浸っていたい。できればずっと。
かぎ針をもって何かを編んでいればしあわせ。
そんなエマにとってこの’”世界地図”の修復作業は夢のような依頼だった。
魔女というのはだいたいそういう性分だけれど、エマはなんというか、度合いが違う。編みはじめたら楽しくて楽しくて寝る間も惜しんで編んでしまう、というより寝ることなんて忘れてしまうし、食事なんて意識の外に放り出されたまま戻ってはこない。
ここはどうしようかしら。
どんな色の糸がいい? 浅い海、深い海で色はやっぱり分けたいわよね。こっちは貝編みにしたからこっちには透かしを入れて軽くして、ここの波はピコットを編みましょうか。あら、前の方はこんな風に編んでいたのね、とっても素敵だわ。そうね、だったらここは同じ編み方にして。ああでももう少し大きく、じゃあこの辺りで増し目を入れないと……
「――――おい」
「…………はい?」
その声が聞こえたのは、顔の目の前に大きな手が差し込まれて針と糸が見えなくなったからだった。物理的に遮断されてしまった視界と思考がエマの顔をあげさせた。
「あら、神様」
「あらじゃねぇよ。お前いつまでやってるつもりだ」
くるりと辺りを見渡せば、もうすでに他の四人はいなかった。必要のないところの灯りは落とされて、部屋は少し薄暗い。棚に置いてある時計に目をやれば、短針が天辺を越えてずいぶんたつ。
「あらあら、もうこんな時間」
そんなに時が経っていたなんて驚きだ。手に持っていた針を一旦置いて、ぐぐっと伸びをすればなんだかすごい音が背中からした。あらまぁ。
「メシは」
「ごはん?」
こてん、と首を傾げたら深く深くため息をつかれてしまった。はて、ごはん。そういえばお腹が空いている。最後に食べたのはいつだったかしら。
「食え」
目の前に出されたのはスープだった。トマトかしら、赤い、ああ、お米が入っていた。
湯気をたてたそれをぐいっと押し付けられ、間違っても糸を汚してしまわないように少し移動する。
「まぁまぁ。ありがとうございます。神様が作ってくださったのかしら」
「ンな訳ねぇだろ。そこに置いてあったんだよ」
ということは、誰かが作っておいてくれたのだろう。ずいぶんと前だろうから、冷めきったそれを暖めてくれたのはこの人だろうが。
「うふふ、ありがとうございます」
ふうふう息を吹き掛けて、ゆっくりと口に運ぶ。うん、とってもおいしい。お腹がじんわり暖まって、凝り固まった身体がぽかぽかしてくる。ぜんぶ食べきる頃にはすっかり身体が暖まっていた。
「ごちそうさまでした。これでまた頑張れるわ」
「いや寝ろよ」
呆れた顔を向けられてしまった。エマとしてはこれからまだやるつもりだったのだけれど。
「寝るって、でも、どこで?」
「嘘だろ今日五日目だぞ。今までどこで寝てたんだ」
「寝て……たかしら? あら?」
「嘘だろ」
二回も嘘って言われちゃったわ。けど、そういえばいつ寝たかしら。
呆れた顔が吃驚の顔になったのを「あらあら」と見ていれば、その顔が今度はげんなりの顔になった。
神様、ずいぶんと表情が豊かだったのね。
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