第3話


「エマさまは、どのくらいご存じでしょうか」

「なにを?」


 かつん、かつん。階段を下るふたつの足音が響く。

 足を踏み入れたとたんにぽぽぽぽとついた灯火は、ゆらりゆらりと揺れてエマとヴェルトの足元を仄かに照らしている。

 気を付けていないと転びそうね、とエマは思う。


「この世界と……あちらの世界について」

「うーん、私はほとんど何も知らないわ」


 残念ながら、と付け足して。


「あの世界が突然現れて、だんだん近付いてきている事。それから、向こうの神様がこちらの世界中の神様を乗っ取っていって……もう元の神様への信仰が少しだけでも残っているのはこの国くらいかしらねぇ」

「知ってるじゃないですか……」


 うう、とヴェルトがまた泣きそうになる。もてあそばれた。



 二百年と少し前、性格には二百二十三年前に突然上空に現れた異世界は、特に何もせずただそこにあるだけ。そう思われている。

 けれど、実際は。


「そろそろぶつかりそうなのかしら」

「……はい。間もなく、だそうです」

「あらあら。それは大変ね」


 世界と世界がぶつかったらどうなるのか。そんなのは誰にも分からない。自然に考えれば、弱い方が負けるのだろう。

 

「こちらから向こうには行けないのに、向こうからは来れるのは厄介よねぇ」 


 先に手を打ったのはあちらだった。

 

 はじめは、ここから遠い国だった。

 そこの国に、新たな宗教が立ち上がった。それがどんどん、瞬く間に広がっていって、ついには元の国教が喰われた。あっという間のことだった。

 それが世界中で起こりはじめ、気付いたときには。


「あちらの神様は野心家ね。それに狡猾だわ」


 神を屠り、入れ替わる。それだけでもこちらの世界は弱くなる。元の神がしていた世界の管理をわざと怠れば、すぐにでも。

 けれど、あちらの神はそれだけに留まらなかった。こちらの世界の在り方を変化させていったのだ。

 建物は高さを競いあうようになった。機械化が進み、大量生産が可能な大きな工場が建った。ものと人の動きが激しくなって、交通網が整備された。


 それはまるで、空の向こうのあちらの世界。

 同化させて、衝突に乗じて取り込む算段だろう。

 

「たくさんの森がなくなっていったわね。もう緑がほとんど残っていない国もあるらしいじゃない」

「なくなったのは、森だけじゃありません」

「ええ、ええ。私たちね」


 いままで手作業で作っていたものが機械によって作られるようになった。そうして職人が消えていった。

 職人の代表格といわれるのが、「魔女」


「あんなにたくさんいたのにね」


 みんな、消えていってしまった。

 魔女たちが消えたことで、人々から魔法が遠ざかっていった。いま生きている人たちは、魔法などおとぎ話の中にしかない。


「生き残ったのは、ほんのわずか。それも、世界中に散っていったわ。坊や、よく私を見つけたわねぇ」

「本当に、大変でしたよ」


 魔女たちのほとんどは、機械化の流れに乗れずに町を去っていった。つまり、森の中を探せばよかった。

 けれど、エマは。


「なんで王都にいるんですか……」

「うふふ、だって便利なのよ。森に籠っているよりも、大きな町にいる方がいろんな毛糸が手に入るし」


 人を隠すのなら人の中。どうりで見つからない訳だ。


「この国はまだ大丈夫だしね」

「……はい。あとこの国だけですけどね」


 緑の色濃い、この世界の元の姿。それをまだギリギリ保っているのがこの国だ。それに、新しくできた教会に追いやられたとはいえ、昔からある元の神の社が残っているのもこの国だけだろう。

 先ほどの教会。あれはきっと、この社の参道に建てたものだったのだろう。彼らはそうやって、この世界の神たちを「なかったこと」にしていく。

 ここはまだいい。王都の中心部にあった社は取り壊されてその跡地に教会が建てられた。


「向こうからしたら厄介でしょうねぇ」


 それでも。

 それでも元の社は、大きさを変えこそしたもののひっそりとまた建てられた。建物と建物の間の隙間に。民家の庭に。工場の屋上に。


「坊やたちが、頑張ったのね」


 そうやって抵抗しているから、この国はまだ元の姿を残している。


「あいつらの思いどおりになんて、させませんよ」


 侵食し、弱体化させる。同化させて、この世界を取り込もうとしている向こうの世界になど負けるものかと。


 ヴェルトたち神官がふんばってきた。

 でも。


「でも、もう限界なんです」


 階段が終わる。

 そこには、大きな扉。その前には四人の


「魔女ね」

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