第2話  私と公務員 黒澤映画「生きる」

私は高校一年生の夏休みに「公務員」をやったことがありました。

  都庁に勤務する父から、南多摩建設事務所というところで10日間、アルバイトをするように言われたのです(当時の私の住まいからバスで20分)。

後年、父が亡くなる前に聞いた話では、東大出の偉いさんの娘がアルバイトをしたいというので、その為に作られた仕事でした。娘一人では「格好がつかない」ので「平栗君の息子さんも」と言われた(命令された)ということでした。

  父は子供の時からケンカっ早い男で、都庁に勤務してからも、なにかと上司に噛みつき、その為に3度も島送りになりました。

  1回目は私が3歳の時に八丈島へ3年間、2回目は小学校3年生の時に大島へ3年間(私たち家族は1年間)、そして中学2年の時には小笠原へ2年間(家族は半年間)。  初回の島送りとは「東大出の課長が行なったトンネル設計の強度計算が甘い」と父が訴えたにも拘わらず却下されたのですが、工事の途中でそれが現実化して崩落事故が起こった。ところが、その責任を取るはずの課長ではなく部下である父が、「口封じの為に」当時、僻地とされていた八丈島へ転勤させられたのです。

(ミッドウェー海戦の大敗北を隠蔽する為に、司令長官山本五十六と作戦参謀源田実によって、生き残った戦闘員たちは日本への帰還を許されず、そのままパラオ諸島の激戦地へ送られたのと同じです。)


  60年前の八丈島とは、本当に絶海の孤島でした。私は、物心ついた頃の3年間、幼稚園へも行かず、マムシのうじゃうじゃいるバナナの木が密生するたジャングルで、毎日独りで遊んでいたのです。


  しかし、強情な父も、月に一度本土から来る船の荷で開店するスーパーが一軒だけ(飲み屋もたばこ屋も床屋も一切無し)、テレビもラジオも電波が届かない3度目の島送り先である小笠原での生活に嫌気がさし、終(つい)に改心して3年のところを2年に「刑期短縮」してもらったのです

。  以後「どうせ公務員で生きるなら東大出のように出世してやる」と、ただひたすら「有能な官吏」に徹しました。

  そして、自称「数学なら東大並み」という「数字に強い」ことを武器に、都の交通局で部長、定年前には水道局長になりました。おまけに、大きな建設会社に天下りし、親父以外の6人は全員東大出という理事の一人として、運転手付のプレジデントに乗って官庁回りをしていたようです(私が大学を出て商社で働いていた頃)。


  そんなわけで、私が高校に入った頃には、「すまじきものは宮仕え」「上役に尻尾を振るポチ」に徹していたので、嫌がる私を無理やりアルバイトへ行かせたのです。  父からは「偉い人の娘だから絶対に失礼の無いように」「間違ってもお茶に誘うなんてことはするな」と厳命されていたので、朝9時から夕方5時までの間、ほとんど話をしませんでした。

  いま思い出しても面白いのは、公務員の仕事です。  黒澤映画「生きる」で、市役所の若い女性職員が「公務員の仕事というのは、1時間でできることを1日かけてやる」と話す場面がありますが、まさにそれでした。


 私たち2人に与えられた仕事というのは、伝票に書かれた数字(金額)を、別のノートに写し取るという、小学生でもできる仕事でしたが、その伝票の束を朝、職員から渡されて、必死になれば1時間でできてしまうくらいの量でした。初日は何度もチェックしたりしたので午前中で終えたのですが、その旨を伝えに行くと「少し休んでいて」と言われる。  次の束を渡されたのは午後3時頃でした。


  女の子に「なんかしないと、いけないかな。」と言うと、さすが東大出の偉いさんの娘「いいのよ。」と言って、ちゃんと用意してきた文庫本を読んでいました。ですから、2日目からは私も太宰治の文庫本なんかを持っていきました。


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  当時、高校生で「お金と仕事の関係」など考えたことがなかったので、仕事が暇とか・何もしないでお金を貰う、ということに関して、罪悪感みたいなものを全く感じませんでした。

  大学時代、まいにち日本拳法をやることで「死にそうになるくらいの緊張感・切迫感」がないと居心地が悪いという「病(やまい)」に罹った所為か、営業マンのくせに一日中机に座っている、なんていうことが性格的にできませんでした。とにかく、死に物狂いで毎日、社内・社外を走り回って仕事を作り出し問題を解決して、部課として会社として利益を出すことが生きがいのようになったのです。

  金儲けとか家族のためにではなく、自分自身の生きがいとして仕事をやっていたので、見た目にも・実際にも働かない社員がいくら沢山存在していても、全く気になりませんでした。彼らと私とでは、趣味が違う、異なる生き方なんだ、という考えなのです。


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  面白いというか困ったのは、時折、職員が私たちのいる大きな会議室のような部屋に来て、煙草を吸っていくことでした。

  「個室に若い男女二人」ですから、初めは監視に来ているのかな、と思ったのですが、女の子が父親に事前に言われていた話では「たまに職員が交替でサボりに来るが、気にしないように。」ということでした。


  9 to 5を10日間で3万円程度でしたが、私がいままでやった仕事(アルバイト含む)の中で最も「辛い」仕事でした。ロシアの流刑地シベリアで、囚人が穴を掘らされ、次にその穴を埋めさせられる、という単調な仕事を繰り返しやらされていると発狂する、という話を聞いたことがありますが、まさにそんな辛さがありました。

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