六話 千草色の勾玉

「おい」


「ひゃっ?!」


 後ろから聞こえたあり得ない声に、思わず素っ頓狂な声が飛び出してしまう。

 私は飛び出した声に些かの忸怩を覚えながらも、パッとそちらを向いた。


 すると再び、自分の口から素っ頓狂な声が飛び出す。


「い、いばな?!」


「騒ぐな」


 平然と部屋に佇むいばなは顔を露骨に顰めると、「五月蠅い」と呻く様に言った。

 私はその声にパッと口を押さえてから「ど、どうして」と声を潜めて訊ねる。


「・・丁度、そちらに出かけようとしていた所だから、良かったのかもしれないけれど。ここは人里よ、誰かに見られてしまえば大変な事になるわ」


「案ずるな、人間共に騒がれるのは慣れている」


 ・・そう言う話じゃないのだけれど。


 私は憮然と突っ込んでしまいそうになったけれど、それが外の世界に出る事はなかった。いばなが「そんな事よりも」と言葉を継いだから。


「お前、もう出られるか?」


 端的な投げかけに、私は目を軽く瞬いてから「えぇ」と首肯した。


 彼はその答えに「よし」と答えてから、私の方にズンズンと歩み寄る。問答無用と言った真顔で近づいてくる彼に、私は戸惑ってしまった。


「何?何を・・ひゃっ?!」


 ひょいと私の足が宙に浮き、くるんと身体が横に倒れる。


 膝裏と背から伝わる力強い手、いつもより近くに見える端正な顔、ドクドクと力強く聞こえる彼の鼓動に、私はかーっと沸騰してしまう。


「お、下ろして!早く!」


 真っ白な頭であわあわと訴えると、目の前の端正な顔が「は?」と思いきり不機嫌に歪んだ。


「俺が何の為に持ち上げたと思っているんだ、お前は」


「分からないけれど、取り敢えず下ろして欲しいの!」


 狼狽したまま答える私に、いばなは「もう黙れ」とにべもなく返す。


「まぁ、舌を噛んでも良いと言うならば続けていろ」


 ピシャリと渋面で告げられた言葉に、私は「えっ?」と眉根を寄せた。


「舌を噛むって」

 どういう事?何をするつもりでいるの?と、訊ねようとしたが。私の言葉は不自然な所で止まり、続くはずの言葉が「わっ?!」と言う短い悲鳴に塗り替えられた。


 彼が私を抱えたままズンズンと歩き出し、そして縁側からひょいと飛び上がる。


 いつもの様にダンッと力強く踏みしめるのではなく、静かな飛翔。

 そして近くの木の枝に着地すると、次々と高い木の枝にひょいひょいと飛び移って行く。


 まるで花を次々と移る蝶の様に身軽だから、景色もどんどんと流れているのだろうけれど。私は、その流れゆく景色を楽しむ暇もなかった。

 正面からびゅうびゅうと吹く風と、身体が上下する感覚でいっぱいいっぱい。ただ必死にしがみついて、零れそうになる悲鳴を奥歯でギュッと噛みしめていただけだった。


 そして、ようやくその状態から解放され、地に足が着いた時の安堵と言ったら・・。


 私はよろりよろりとたたらを踏みながら、地に足が着く幸を噛みしめていたが。それは目の前に広がる景色によって、すぐに興奮に塗り替えられた。


 今まで我慢していた声もするりと「わぁぁ!」と飛び出す。


 渓谷の中でドドドドッと流れる滝、その水の衝撃でゆらりゆらりと揺らぐ池の水面、その水面に輝く居待月。

 そしてその優美を際立たせる様に、池の周りで雅に舞う無数の源氏蛍たち。


「凄い、凄いわ。とても素敵・・」


 こんな美しい場所があったなんて。と、目の前の光景にうっとりと魅入られながら、感嘆を零す。


「天影曰く、今日は条件が揃っているからこうも美しく彩るらしい」


 隣のいばなは憮然と言うと、「ここに座って見れば良かろう」と、池の前の岩石を指した。それはまるで岩石で出来た縁台の様で、明らかに誰かが運んで来た不自然さがある。


 私はそれでピンと来てしまった。


 何故いばなが私を迎えに来たのか、何故私をここに連れてきたのか。


「いばなはひどく不器用な奴ですからね」


 頭の中の天影様が、私の見つけた答えを外に出させない様に、そしてその答えを確かなものにする様に、微苦笑混じりに答えた。


 じわじわと喜びと嬉しさが込み上げ、顔がゆるゆると綻んでしまう。


「・・おい。なんだその面は」


 分かり安い程ぶすっとした声で、つっけんどんに訊ねるいばな。


 私はフフと小さく笑みを零してから「景色が素敵だからです」と、泰然と打ち返した。


 そしてその岩石の方に進み、中央から左寄りに腰を下ろす。


 いばなはむっとしかめっ面をして、口をまごつかせていたけれど。多分、良い返しが思いつかなかったのだろう。私が座ってから、数秒置いた後、自分も腰を下ろした。


 私が手を伸ばしたら、その手に当たりそうな距離に。


 今までで、一番近い距離・・。


 ドドドドッと滝が強く打ってくれていて良かったと思うばかりだわ。

 だって、今の私の心臓は、隣に居るいばなに聞こえてしまいそうな程にうるさいから。


 心音なのか、滝の音なのか。どちらか分からない音を耳にしながら、私は楚々として眺める。


「げに美しい眺めだわ。こんなに美しい所があったなんて、私、全く知らなかったわ」


 心からの感嘆を吐き出すと、隣から「俺には分からんな」と淡々と返された。


「ただの眺めだろう?何がそうも心を震わせるのか微塵も分からぬ。極上な肉を前にした方が、心が震え躍ると言うものだ」


 この眺めや雰囲気、そして私の言葉を平然と破壊するいばな。


 本人としては、悪意も悪気も何もないのでしょうけれど。純真な悪ほど嫌なものはないわね・・。


 私は彼の無神経な言葉に苛立ちを覚え「こんなにも雅趣がある美しさなのに。何も分からないなんて・・」と、突っかかりに行ってしまいそうになった。


 けれど、私がその皮肉を放つ前に、彼から言葉が発せられる。


「だが、お前が気に入ったのならば良い」


 あまりにも柔らかな声音で、温かな言葉が紡がれた。


 私の口から「えっ」と驚きが飛び出し、雅趣のある眺めから顔がパッといばなの方を向く。


 いばなは景色を眺めたまま、優しい笑みを浮かべて満足げに「甲斐があると言うものだからな」と独りごちていた。


 その笑みに、私は釘付けになってしまう。


 いばなは私の視線に気がつくと、こちらを向くが。何も可笑しな事は言っていないとばかりに平然としていて「他にも似た様な場所がないか、天影に探させるか」と訊ねてきた。


「い、いい」


 私は呆然としながら首を横に振る。


 その答えに、いばなは「そうか」と言ってから「まぁ、お前が良いと言っても探させる腹づもりだが」と、天影様に対して暴君を発動させていた。


 いばなの態度は何も変わらない。ドギマギとしているのは私だけ、か。


 私はギュッと拳を作ってから、ふいと顔を景色の方に向けた。

 悠々と好きに舞う螢が、なんだか虚しさを込み上げさせる。


 私が口を噤んでしまうと、二人の間に沈黙が降りた。


 だからと言って、辺りが寂寞とした訳ではない。空気の気まずさも意に介さない滝が前にいてくれるから。

 滝があって良かったわ・・。と、ポツリと心の中で呟いた。


 その時だ。


 横から「おい」とぶっきらぼうに声をかけられる。


「天影の鬼火を出せ、今も持っているだろう?」


 淡々と問いかけられる言葉でハッと我に帰り、私は「鬼火?」と首を少し傾げた。


「お前が俺達の元に来る時に使っている石だ」


 ぶっきらぼうな返答に、私は「あぁ、それなら・・」と懐から紺碧の宝玉を取り出して見せる。


 いばなは出された宝玉をサッと手にすると、素早く拳を作った。


 すると、いばなの拳の中でパキンッと甲高い音が弾け、ぶわりと彼の指の間から封じ込められていた鬼火が逃げていく。


 その様に、私は「ちょっと!」と甲高い悲鳴の様な非難を上げた。


「なんて事をするの?!」


「喧しいぞ。気に食わなかったから壊した、ただそれだけの事だろうが」


 いばなは毅然と告げながら、パンパンッと手を払う。「嫌な物を触ってしまった」と言わんばかりの手つきで。


 私は一切悪びれない姿に、「いばな!」と怒声を張り上げた。


 いばなはその声に「なんだ」と、不機嫌に打ち返し、はぁと呆れたため息を吐き出す。


「そうも怒る事ではないだろうよ」


 飄々とした一言に、私は「怒るわよ!」と、直ぐさま食ってかかった。


「今貴方が壊した物は、私の大切なものだったのよ!アレがあったから、百鬼軍の元に行けていたし、妖怪に襲われずに着けていたのに!壊してしまったら、もう私」


 この生まれた激怒を須くぶつけたいはずなのに、徐々に語勢が弱まってしまう。


 それは何故か・・この激怒の中に悲しみが混ざってしまったからだ。


 頼りにしていた宝玉を壊すと言う事は、「もう二度と俺達の元に来るなよ」「もう二度と俺の前に現れるなよ」と言う、強い拒絶と相違ないから。


 距離が縮まったなんて、私の思い上がりだったんだわ。


 あぁ、そうか。今宵、こんな場所に連れて来たのは最後の別れと言う事だったのね。


 じわじわと視界が嫌でも歪み、嗚咽が込み上げてきた。けれど・・


「だったら、これを大切にしておけ」


 ぶっきらぼうに告げられると、ぷらんと顔の前で何かを見せられた。

 歪む視界を明朗にさせて、その「何か」を見る。


 いばなの手からぷらんと吊されていたのは、陰の勾玉だった。首から提げられる様に黒の紐が付けられ、勾玉では珍しい千草色の様な色をしている。


「・・これは・・?」


 目の前の物に呆気に取られながら訊ねると、「代わりの物だ」とぶっきらぼうに答えられた。


「言っておくが、これは天影の物よりも断然質が良いぞ。なんせ、俺の鬼火で作っているのだからな」


「・・いばなの鬼火で?」


 目をやや見開かせながら言うと、「そうだ」とふんと鼻を鳴らされる。


「ほとんどの妖怪はこれが放つ俺の妖気に負けて、お前に近寄る事も出来やせん。仮に妖気を越える事が出来た奴が居てもだ、お前に触れようとしたら弾かれる様になっている」


 まぁ、この鬼火の主たる俺が大妖怪であるからな。妖気を越えられる奴は早々おらん。と、尊大に物の凄さを語っていた。


 けれど、その部分は全く私の耳には入ってこなかった。「いばなが作ってくれた」と言う、嬉しい真実を噛みしめていたから。


 渦巻いていた怒りや悲しみがサーッと消え、顔が幸せでゆるゆると綻ぶ。


 そして愛しい物を包み込む様に、優しく強く勾玉を握りしめ「ありがとう」と囁いてから、いばなの方を向いた。


「本当に、本当に嬉しいわ。ありがとう、いばな。肌身離さず着けておくわね」


 笑顔で礼を述べると、いばなは少々ポカンとしていたけれど。「ふんっ!」と大きく鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまった。リィンリィンと彼の右耳にぶら下がる鈴が、大きく荒ぶる。


 私はそんな彼にフフッと笑みを零してから、首に貰った勾玉を早速着けた。


 ひやりと首元に冷たい触感がすると、千種色が仄かに輝く。まるで封じ込められた鬼火が持ち主を認識したかの様だった。

 私は勾玉をなぞる様に触ってから「ねぇ」と、そっぽを向いている彼に声をかける。


「これが陰の勾玉と言う事は、対になる陽の勾玉があるの?」


 私の問いかけに、いばなは「・・ない」と憮然として答えた。


「天影から女が着ける勾玉は陰の形だと教わったから、そうした」


「あぁ、そうだったのね」


 私は朗らかに答えるけれど。内心では「絶対に陽の勾玉があるわね」と、目を側めていた。


 いや、絶対にあるはずだわ。訊ねた瞬間、ぎくりと小さく身を強張らせたし、今も答える時に目が微妙に泳いでいたし。それに陰だけが存在する勾玉なんて、聞いた事も見た事もないもの。


 なんて心中ではぶつぶつと言葉を並べていたけれど、それを外に出す事はしなかった。


「陽の勾玉があるんでしょう?」


 この問いかけは、きっといばなの羞恥を刺激してしまうものだから。


 ふて腐れて、対になっているコレを壊されかねないものね。

 私はキュッと陰の勾玉を握りしめてから「大切にするわね」と、もう一度伝えた。


 隣のいばなはふんと鼻を鳴らしてから「当たり前だ」と、ぶっきらぼうに言っただけだった。


 そして私達はゆるりとした時に身を置き、二人で同じ景色をただ静かに見つめていた。

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