時を結ぶ縁~鬼頭の不器用な囚愛~
椿野れみ
序話 縁の始まり
あと数歩、足を前に進ませたら、この手が彼に届く距離に居るのに。私達はその場で留まり、まっすぐ互いを射抜いていた。
以前ならば、空いた距離を少しでも縮める様に寄り添い、手を絡ませ合っていた。
思い返すにも、そう遠くない以前ならば・・。
私は瞼裏にまざまざと現れる温かな記憶に、ギュッと唇を強く噛みしめる。
こうしていないと、彼に対する想いがズキズキと刺激されてしまうから。
この身を燃やす怒りが、恨みが揺らぎ、彼を
グッと堅く拳を作り、鋭い爪が柔からな手の平の肉を深々と抉った。
そんな事は絶対に許されない。絶対にこの怒りは消してはいけない、この憎しみを彼にぶつけないといけない。
彼が私の最愛の師を・・安倍晴明様を殺したのだから。
私は堅く噛みしめていた唇をゆるゆると離し、憎悪と激しい怒りを孕んだ目で彼を貫いた。
すると目の前の彼の瞳が動揺に揺らぎ、「紫苑」と私の名を呼んだ。喉から絞り出した様な、とても弱々しい声音で。
「何故、お前が・・俺を殺そうとするのだ」
困惑に滲んだ疑問が耳に入ると、私の怒りがごうっと猛々しく燃え上がった。
その炎が、かつての私達を瞬く間に包んでいく。記憶と溶け合った火の粉がパチパチと蛍火の様に舞い、残った記憶もボロボロと黒く焼け焦げる。
だからもう・・後ろ髪を引かれるものが、何もなくなってしまった。
「こんな事をしておきながら、何故と問うとは!」
私は甲高く叫ぶ様に怒声を張り上げる。
「よくも、よくもそんな白々しい言葉を吐けるものですね!」
目からの雫がパッと雨の様に振りまかれると、彼は沈痛な面持ちになったが。私はつらつらと怒りを吐き出した。
「やはり人と妖怪は相容れぬ存在、一生分かり合えぬが定めと言うもの。あぁ、私は何と甘い夢を見ていたのでしょうね。越えられぬ程高く、壊せぬ程厚い壁が間に隔てられていると言うのに、妖怪と人が結ばれる道があると思うなんて」
愚かしいにも程がある・・と、自嘲気味に底冷えした声で呟く。
すると彼の唖然とした表情が、徐々に変わっていった。
端麗な顔が憤怒に歪み、カタカタと煮えたぎる怒りで顫動し始める。困惑や動揺がすっかり消え、私を射抜く瞳も激怒に染まった。
けれど、それに臆する私ではない。何故なら、こちらも彼と同等、いいえ、それ以上のものに支配されているからだ。
激情に燃えた互いの怒りが、刺々しい殺気となり、辺りの空気を震撼させていく。
「紫苑・・この、この・・クソ女がぁぁぁっ!」
彼の口から凄まじい咆哮が飛び出すと同時に、私を殺さんとダンッと力強く距離を縮めた。
私は猛々しく迫る彼にキュッと唇を結んでから、いつもの様に指を動かし、五芒星を描く。
「眠りなさい、永遠に」
淡々と告げ、キュッと指を頂点に戻し、五芒星を結んだ。刹那、彼の身体に聖なる白の五芒星が現れる。
そして私に手がかかる寸前で、彼の身体がヒュンッと強く後ろに引き戻された。
ダアァンッと五芒星が彼を力強く壁に貼り付けると、壁から木の枝がにょきにょきと現れ、彼を内側に飲み込んでいく。
枝から逃れようと彼はもがき暴れるが、暴れれば暴れる程に木の枝は強く絡みついた。
彼の口からあがる咆哮。けれどそれすらもギチギチッ、ブチブチッと言う嫌な音が飲み込んでいた。
愛しかったはずの彼が哀れな姿で、それも私の眼前で飲み込まれていく。
けれど私はそれを止めもしないし、ただジッと見据えているだけだった。
「・・紫苑っ!」
憎悪だけが孕んだ声で私の名を呼び、自分を埋め込む枝の狭間から彼はこちらに手を伸ばす。
「俺はお前を絶対に殺してやる!許さねぇ、許さねぇぞ!紫苑!」
怒りと憎悪がぶつけられるが、途端に語勢が弱くなり「紫苑」「許さねぇ」と言う言葉だけが繰り返された。
そしてズシンと太い枝が彼の首にかかると同時に、その弱々しい反芻も消え、ガクンッと彼の動きが止まる。
あれだけ怒り狂い、私を殺さんと躍起になっていたのに。木々の中で、大人しく鎮まった。
私は彼を見つめたまま、膝からドサリとその場に崩れ落ちる。
これで彼が、この世を生きる事はなくなった。いいえ、この世だけではないわ。きっと先の世でも、彼は永遠にこの大樹と共に眠り続ける。
二度と、二度と日の目を見る事はないわ。彼に殺された晴明様と同じ様に。
・・晴明様。私の愛する師であり、父の様な人。まこと大切な人。そんな晴明様の仇を・・この私の手で、しっかりと討つ事が出来た。私の最愛の人の・・仇を。
「・・うっうっ・・ううっ」
口から嗚咽が漏れ、じわじわと視界が歪み出す。
仇を討てた喜びがあるはずなのに、喜びがちっとも込み上げてこなかった。喜び所か、胸を張り裂ける様な痛みと心臓に杭を打ちつけられた様な苦しみを感じる。
最愛の人の仇を討てたのに、こんな気持ちでいっぱいになるなんて。晴明様の弟子として、最低最悪よ。早く、この気持ちを喜びに塗り替えないと。
私はグッと奥歯を噛みしめ、ゴシゴシと掌底で強く目頭を拭った。何度も、何度も。この涙は間違っていると強く言い聞かせる様にして。
けれど、安らかな眠りについた彼の顔を見てしまうと、意に反してそれがボロボロと零れてしまう。
「・・彼だって、私の愛する人だったのに」
遂に、封をしたはずの想いがボロボロと涙と共に溢れ出る。
「こんな事になるなんて嫌よ。貴方はいかないで。ずっと私の側に居て・・いばな」
いつもと同じ様に空いた距離を早く縮める様に手を伸ばして、「いばな」と愛しい名を呼びながら歩み寄った。
けれど彼は何も返してくれない。私の手を取る事も、私の名を呼ぶ事でさえも。
私の手が彼の温かい頬に触れると、目から零れる涙が奔流になった。
「やはり貴方は、こんなにも温かい・・」
自分の背を押し上げる様にグッと爪先立ちをして、項垂れる彼の頭に自分の額をゆっくりと触れさせる。
「
囁く様に告げてから、彼の唇に自分の唇をゆっくりと重ねた。
ねぇ、いばな。私、本当はずっとこうしたかったの。貴方の温もりに触れながら、二人で共に生きたかったのよ。
ツウッと目の端からこめかみに涙が駆け抜けた。まるで二つの流れ星が、別々の場所に落ちていく様に。
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