第24話 彼と俺のソクバク関係。

 元々、素質はあったんだと思う。

 ずっと水の中に潜っていて、限界まで我慢して、どうしようもなくなって水面から飛び出したときのあの開放感。

 逆立ちして、ガンガンと脈打つほど頭に血が上って、視界が暗くなるまで我慢して、ずるっと横になったときの安心感。

 いつからかはわからないが、気が付いたときにはけいの快感はそういったものが基準になっていた。

 そして、大人になってSMを知った。


「……僕はマゾヒストです。思い切り苦しめられて、完全に支配されたい」

 蓮川はすかわを見つめながら螢は言った。

 螢は心の奥にあったものをさらけ出して見せた。

 今まで誰にも話したことのない「根源」の話。

 思い出すだけで手が震えている。指先は冷たく冷え、今にも叫びだしたいほどつらい。

 でも、蓮川には話さなくてはいけないと思った。

 こんな自分を預けようとしているのに、それを隠して微笑むことはできない。

 蓮川が自分に与えてくる衝動も、昔の仲間から受けた理不尽な暴力も、そこに違いなどない。暴力は暴力だなのだ。

 そこに違いがあるとしたら、その暴力を受けたのちの代償――暴力を受けた螢をどう思うかという事。

 それが支配という事。

ただ、螢が求める支配はただ隷属させるだけじゃない。隷属させる相手のすべてを許し受け入れることでもある。

「僕という人間を知って、僕という人間の歪みを認めて、僕という全てを完全に受け入れて欲しい」

「完全に……」

「そう、完全に」

 他の何者にも触れさせないほどに。螢自身すら自分を自由にできないように。

「単純に殺されるんじゃなくて、求められて求められて、僕からも僕を奪って支配してほしい」

「…………」

「あなたのすべてを受け入れるから、どんなに残酷に殺されてもいいから、あなたが僕を自分のものにしてほしい」

 どんな苦しみも痛みも受け入れる。理不尽さも意味のなさも関係ない。蓮川が螢だけを見てそれをすべて受け入れたい。

「どんなあなたでも受け入れるから……」

「どんな螢も受け入れる」

 蓮川がうなるような声で言った。

 歯を食いしばり、何かを堪えるような低い声。

 蓮川も螢も、自覚のあるなしは別にして、感情が高ぶれば、劣情を催す。

 それは暴力に結びついていて、咄嗟に湧き上がるのは暴力衝動。

 蓮川は殴りたい、首を絞めたい、殺したい。

 湧き上がる殺意は、殺意ではない。性欲の高ぶり、相手を支配したい衝動、その結果の殺意。

 好きだから、愛しているから、自分のものにしたいから――殺してしまう。

 本来ならば結びつくはずもない欲求が歪んで結び付いてしまった。

 認知のゆがみ。その一言だが、それでもそこに感情があるのだ。

そして、螢は殴られたい、縛られたい、苦しめられたい、殺されたい。

 あなたを受け入れる証にどんな暴力でも受け入れるから、その結果、どんなに無様に醜い存在となっても自分を愛してすべて受け入れて。

 苦しみに耐えきれず、無様に地面に這い蹲って、醜く命乞いをしても、その手を緩めず殴り続けて、自分をすべて肯定して受け入れて。

 同僚にゲイだというだけで理不尽な暴行にあった時に、それにすら快感を感じていた悍ましい自分すら――蔑まずに受け入れて認めて欲しい。

(絶対的に僕を許す主人……)

 螢が求めるものは一つ。

「ただ、痛みを与え痛みを受けるだけの関係ではなくて、それをつないで関係を深めて欲しい」

「それが何かわからない俺でもか?」

「わからないなら、わからないなりに誠意を見せて。まずは僕だけのあなたでいて欲しい」

「他の人間を相手にしないことは多分できる。だが、それでお前だけを見ているとなるのか……?」

「僕もよそ見はさせないようにするよ。だから、まずはそれに応えて。何もわからなくてもいいから、僕だけを見て」

 幾度も考えた、幾度も話し合った。それでもそこで止まっていたのは、それがなんだかわからないからだった。

(でも、それでもいいんだ)

 それがなんであるのかわからなくても、関係を守り築くことはできる。

 関係が出来上がった後に、その関係に名前を付けても問題はないのだ。

「まずは、僕と関係をつくりましょう。すべてはそれからです」

「螢……」

 戸惑い目を泳がせる蓮川に、螢はしっかりと抱き着いた。

 背中に手を回し、ぎゅっと抱き寄せる。

 身長も体格も近しい相手を抱きしめているのに、なんだか腕の中で蓮川が小さく感じる。

「僕もあなたのものです。どんなあなたであっても受け入れる。あなたの衝動だけじゃなく、その衝動を生み出すことになった過去からすべて」

 許され認められるのは螢だけじゃない。同じものを抱える蓮川もまた許し認められる。

 それが関係を築くという事。

「僕からもあなたに与えられると思うんです。あなたを受け入れることを」

「俺を許し、受け入れる……」

「だから、今すぐでなくてもいいから、僕にあなたのことを教えてください」

「俺のこと……」

「話すことは沢山沢山ありますよ。僕だって、すごく大切なことは話しましたが、まだすべて話したわけじゃない」

 螢はほんの少し緊張を緩めて言った。こうしていると、腕の中にいる蓮川の温もりが、螢の冷え切った指先を温めてくれる。

「俺は……」

 蓮川は言葉を詰まらせた。

 だが、その指先はしっかりと螢の背を掴んでいる。

(今はこれでいい)

 強くつかまれて食い込む指が執着を伝えてくる。

「僕は、あなたと生きていきたい」

 たとえ、蓮川に殺されたとしても、その手に感じる感触は蓮川の中に残される。

 それを受け入れて欲しい。

 重くて、歪んでいる自覚はあるけれど。


「螢……」

 螢の腕の中でじっとしていた蓮川がゆっくりと顔をあげて名を呼んだ。

 蓮川の顔を見ると何とも表情の読み取り辛い顔で螢を見つめている。

「何ですか?」

「俺のことをよると呼んでくれるか?」

「夜……」

 そっと螢がその名を唇に乗せると、それをふさぐように蓮川が唇を重ねた。

「芙美にももう呼ばせない」

 真剣なまなざしで見つめられる。

 微笑んでもいない、でも、悲しそうでもない。何か強い感情を抑え込むような表情で螢を見つめている。

 蓮川の心の奥底にあるマグマのような何かがふつふつと熱を湛えて爆発するときを待っているような――何か。

「夜は時々そんな顔をするね……」

 螢は抱きしめていた蓮川の背から腕を外し、両掌で蓮川の頬を包んだ。

 それと同時に蓮川は腕を伸ばして螢を抱きしめる。今度は螢が蓮川の腕の中に納まる形だ。

「どんな顔?」

「何かを我慢するような顔」

「ああ……」

 蓮川は螢に言われて初めて気が付いたらしい。

「俺はそんな顔をしてるか」

「はい。何を我慢してるんですか?」

「……これは何なんだろうな」

 蓮川はそう言いながら螢の事をより強く抱きしめる。

 螢はくすくすと笑いながら蓮川の胸に頬を摺り寄せた。

「あなたの胸の中が見てみたいけど、僕にはそこにあるものが理解できるのかな」

 理解するのと許容するのはまた別の話。

 わからなくても、蓮川の胸の内を蓮川だとして受け入れたい。

「そういえば、いつの間にか一人称が「僕」になっているな。本当はそっちが素なのか?」

 蓮川に最初に出会った時は、螢は当り障りの良い人間を装って「僕」。

 知り合って話しているうちに親しい人間に見せるための「俺」。

 でも、どちらもそれは取り繕った螢で、本当に自分を表現するなら「僕」かもしれない。

「夜には「俺」でいいって言われてたけど、本当の僕は多分、こっちなんだと思います」

 僕という一人称は子供のころしか使えなかった一人称。

 学生時代も、自衛隊時代も、そんな風に柔らかなところを見せることは許されなかった。

 何もかも捨てて、新しい世界に来た時に、僕をもう一度使ってみたけど何か違っている。

 俺と言っても、僕と言っても、どこか取り繕ったような、装ったような、少し遠い感じがしていた。

「そうか。それがお前なら、そのままでいい」

 蓮川の言葉にこくっと頷く。

「だが、俺はお前に俺の中のものを打ち明けられないかもしれない」

「……はい」

「これは俺が生きるために必死に隠してきたもので、もう、どうやって見せたらいいのかもわからないくらい奥深くにあるんだ」

 蓮川は自分の胸に頭を預けている螢の髪を優しくなでる。

 こういう仕草はまるで普通の恋人同士のようだ。こういうものが彼の中にないわけでもないんだろう。

 螢も蓮川も歪みはしているものの、中身が空っぽなわけではない。

「それならば、抱えているあなたをそのまま受け入れます」

 何が蓮川の中に封じられているのかわからなくても、そういうものを抱えて生きようとしていることはわかる。

「お前の方が、よほど俺を許してるな」

「そりゃそうですよ、僕はあなたが好きなんですから」

 螢の言葉に蓮川は困ったような顔になる。

 蓮川にとって好きという感情はネガティブなものでしかない。

 彼を好きだ愛していると言っていた女たちは、蓮川に刃を向けたのだから。

 蓮川からしてみたら、それさえ無ければかもしれない。

「そんないやそうな顔しないで下さいよ。あなたが思うほど、悪いことでもないと思いますよ」

「そうかな……」

「ええ、だって、今、僕は幸せですから」

 蓮川が目を瞠る。

「そんな、驚くようなことです?」

 螢は少し唇を尖らせて拗ねるように言った。

「いや、俺は何もしてないから……」

「してますよ」

「え?」

「こうして話しているだけでも、お互いに理解しようとするだけでも、それは幸せなんですよ。だって相手のことを思い合ってるんだから」

「…………」

「あなただって性衝動に突き動かされて行為に及ぶだけの獣じゃないでしょう?」

 螢は少し饒舌になっている。それだけ浮かれているのだろう。

 好きな人に好きだと伝えることができるだけでも、嬉しさがこみあげてくる。

「それを感じたときに暴力衝動を感じるかもしれないけど、その前にもうワンステップ段階があるんですよ。気に入って好きになる。今はその段階で、好きな人が自分のことを見つめてくれて、他の人を近寄らせないと言ってくれるなんて――幸せでしょう?」

「幸せ……」

 蓮川にはピンとこないらしい。

 蓮川は感情に疎い。

 それは元からなのか、そうふるまううちにそうなったのか。

 決して彼の中にも感情無ないわけではない。

(今はまだ繋がっていないだけ)

 芙美という存在に危機感を感じるくらいには、蓮川の中に螢への何らかの感情もある。

(空っぽじゃない)

 それだけで螢は手ごたえを感じていた。

 蓮川の最後の一人になると決めたときの気持ちがよみがえる。

(大丈夫……)

 何もわからず迷っていた頃とは違う。

 つかめる腕があるなら、螢はそれを放さない。

(欲張りなのはSだけじゃない)

 Mの螢だって支配欲はあるのだから。


―― 続

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ドMな僕の××××事情。 貴津 @skinpop

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